中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

すべてはペニシリンから始まった

さて、植物を薬として使うことは何千年もの昔から行われてきたが、人類が微生物から薬をつくり出せるようになったのは、20世紀中ごろのことだ。そもそもは、イギリスの細菌学者アレクサンダー・フレミングがいささかズボラで、培養実験の際に使っていたシャーレを窓ぎわに放置してしまったという偶然なできごとに始まる。実はフレミングは食中毒の原因になる黄色ブドウ球菌に効果のある物質を探していたのだが、培地にアオカビが生えてしまったのだ。捨てようとしてシャーレをよく見ると、アオカビのまわりだけ細菌が溶けて透明になっているではないか! こうしてアオカビがつくる物質に病原菌を殺す作用があることが発見された。ペニシリンである。

しかしこの発見がそのまま薬の開発につながったわけではなく、後にオーストラリア生まれの医師ハワード・フローリーらがペニシリンの単離・精製、量産化に成功し、1940年代初めに世界で初めて、医薬品としての抗生物質が誕生した。当時は第二次世界大戦のただ中で、多くの兵士が感染症で死んでいたが、ペニシリンのおかげでたくさんの兵士の命が救われたのである。

1944年には土壌中の放線菌という微生物の仲間が産生する抗生物質からストレプトマイシンが開発され、それまで「死の病」と恐れられていた結核の画期的な治療薬となった。

第二次世界大戦中に、世界のあちこちで微生物から抗生物質が探し出されて、感染症防御に大きな成果を上げ始めていたが、同じころ日本でもペニシリンの研究が進んでいたという。
「第二次世界大戦中に、同盟国であったドイツの医学誌にペニシリンの総説が掲載されたのを見た研究者たちが、日本全国からアオカビを集めて研究を進めていました。残念ながら薬に使えるほど大量に精製することができませんでしたが、戦後アメリカがその事実を知り、研究のレベルの高さに驚いたと言われています。世界水準のレベルだったのは、味噌や醤油醸造の伝統があったからでしょう。戦後になると製薬会社だけでなく、発酵技術をもつ食品や菓子の会社も抗生物質研究に参入して、本格的な抗生物質の開発・研究がスタートしました」

抗生物質の発見によって、感染症で亡くなる人が大幅に減ったんだって。

こうして1950~60年代には土中の微生物探査の黄金期を迎え、微生物から次々に新しい抗生物質が生み出されていった。戦時中、ペニシリンの臨床記録が掲載されたドイツの医学誌の翻訳に携わった梅澤濱夫博士は、細菌性下痢症に効果があるカナマイシンを発見、カナマイシンで得た利益をもとにして微生物化学研究所を設立した。その後も梅澤博士は、奈良の春日大社の土壌から稲の病気であるイモチ病に効く抗生物質を発見、採取した土地の名前をとってカスガマイシンと名づけるなど、わが国の抗生物質研究を発展させた。大村博士のノーベル賞受賞も、こうした日本の抗生物質研究の伝統に連なるものといえるだろう。

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