中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

人の役に立つ薬をつくりたい

長田先生が研究者への道を志すきっかけになったのは、中学生時代にさかのぼる。
親友の大叔父さんが日本のがん研究の第一人者である吉田富三博士で、親友の家に遊びに行くと吉田博士の写真が飾ってあったという。吉田博士は世界で最初の人工肝臓がんの生成に成功、この研究は後に発がん性化学物質究明の糸口となり、1959年に文化勲章を受章している。
「親友のお父さんから吉田博士がえらい研究者で、文化勲章までもらった人だと聞かされたのですが、がんを治したのならともかく、がんを作ってどうして文化勲章がもらえるのか、今ひとつわからなかった(笑)。親友のお父さんから、それなら、長田君は大きくなったらがんを治す研究をしなさいと言われたのが、今考えると、この道に進んだきっかけかもしれません」

長田先生が発酵学に興味を持つきっかけとなった本

長田先生が発酵学に興味を持つきっかけとなった本

しかし高校時代になると物理学者に憧れるようになる。ただ物理の授業を聞かずに自己流で勉強したので、成績が伸びずに受験に失敗。『世界の酒』という著書のある坂口謹一郎先生の本を読み、「世界中のお酒を飲み歩いて学者になれるなんて、なんていい商売だと考え(笑)」、東大の坂口先生がいた発酵学研究室に入る。これが、長田先生と微生物研究の出会いとなった。その後、理研で微生物から新しい生理活性物質を発見するためのスクリーニング系の開発や、放線菌がつくり出す抗生物質の生産性向上に取り組むことになる。
「理研に入ったとき、有機化学の知識が何もなくて大変苦労しましたが、猛勉強し、微生物と有機化学の両方の知識を持ったことは後々大いに役立ちましたね」

長田先生が理研に入ったころ、理研では微生物による農薬の開発に取り組んでいた。すでに1960年代初めに阿蘇山のふもとの土壌で発見した微生物からポリオキシンという抗生物質を見出し、イネの紋枯病菌などに有効な農薬として研究を進め、1967年には商品化されていた。
「1970年代はまだ農薬にはリン酸系の毒の強い農薬が使われていましてね、有吉佐和子の『複合汚染』という小説が社会的な話題になったころです。ポリオキシンは、そうした時代にあって、複合汚染のような弊害を生み出しにくい農薬として開発され、今もなおその役割を果たし続けています。その後、農薬だけではなく人の病気に有効な微生物由来の抗生物質を開発したいという思いを強くして研究を続け、リベロマイシンなどの発見につながっていったわけです」

いま長田先生が追求したい研究テーマは、放線菌やカビなどの微生物がなぜ、どのようなきっかけで抗生物質をつくるかだという。
「土の中にいる微生物は、いつも抗生物質を産出しているわけではないんです。そのきっかけについて、やっと少しずつわかってきた。そのことを私たちの手で解明して、フレミングやフローリーなどの微生物研究の歴史につなげていきたいですね。それと、やはり、人の病気を治すことができる薬を多く開発して、一人でも多くの患者さんの治療に役立てたいと思っています。以前、大村博士からも、『キミはいい論文を書いているが、論文はほどほどで良い。薬をつくったら世界が変わるんだから薬をつくりなさい』とアドバイスを受けたことがあるんですよ」

こうした研究生活の中で最もワクワクするのは、微生物を採ってきて培養し、スクリーニングするときだという。
「微生物の中から新しい化合物を探し出すのはすごく大変な作業で、それだけにスクリーニングで新しい化合物が見つかったときのうれしさといったらありません。まさに研究者冥利につきます。中高校生の皆さんにも、こうした醍醐味をぜひ味わってもらいたいですね。そのためには、まず何事にも好奇心を持つことです」

研究室にて

研究室にて

(2015年10月29日取材)

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