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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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30ナノメートルのクロマチン線維は存在するのか?

「教科書を書き換えるような発見をしたといっても、最初から疑っていたわけではなく、もともと私もずっとクルーグ博士の説を信じていたのです。そして、もっと詳細にDNAの束ねられ方や収納のされ方を調べようと、スイスのローザンヌ大学やEMBL(欧州分子生物学研究所)のチームと共同研究をしていました。2004年ごろのことです。その研究で、定説に疑問を持ちはじめました」

染色体を観察するには高い分解能を持つ顕微鏡が必要になる。細胞の核のような小さなものを観察する場合、これまでは電子ビームを試料に当てて観察する「透過型電子顕微鏡」が使われていた。しかし試料を真空中にさらすことになるため、電子顕微鏡で生体組織内の構造を見るときは、試料を薬剤で化学固定し、アルコール脱水、樹脂処理する必要があった。
「言ってみればミイラ化するわけですよ。そうすると細胞内の分子が凝集したり逆にスカスカになってしまうのです。そこで私たちが目指したのが、より自然な“生きている”状態に近い環境で染色体を観察することでした」

前島先生たちが用いたのが、「クライオ電子顕微鏡」である。これはジャック・ドゥボシエ博士らが30年ほど前に開発した手法で、2017年にノーベル化学賞を受賞したスグレモノ。簡単にいうと、細胞を高圧下で急速凍結してマイナス150℃で切片化し、それを極低温下でそのまま観察する。脱水や化学処理をしないため、より生体に近い状態で観察することができるのだ。
「クライオ顕微鏡で分裂期のヒトの細胞(HeLa細胞)を観察したところ、直径11ナノメートルのヌクレオソーム線維の存在は確認できたのですが、クロマチン線維モデルの30ナノメートルの構造は観察できなかったのです」

しかし、クライオ電子顕微鏡にも2つの弱点があった。一つは厚さ70ナノメートル程度の薄い切片を用いるため、染色体の限られた領域しか観察できないこと。しかも凍結した切片づくりは極めてむずかしい。少数の切片しか観察できず、必ずしも染色体の全体像を捉えたとはいえなかった。もう一つは得られた画像のコントラストが非常に弱いことだ。見やすくするためにコントラストを調整するプロセスで、一部が強調されたり、逆に減衰する問題があり、そのせいで30ナノメートル程度の構造が見えにくくなっている可能性もあった。このため明確な結論を出すには至らず、2008年に研究成果を論文にしたものの、否定的な反応も多かったという。

クロマチン線維の規則正しい構造はあるのかないのか? それを確かめるために前島先生たちが次に取り組んだのが、X線散乱を用いた構造解析だった。
「タンパク質などが集まった構造体にX線を当てると、その構造体の規則性に応じた散乱パターンが得られます。これを解析する手法がX線散乱法で、X線は電子顕微鏡に使われる電子線に比べて透過性に優れており、染色体丸ごとの構造解析ができるというメリットもありました」

この研究で前島先生が利用したのが、理研・播磨研究所の大型放射光施設SPring‐8だった。放射光とは、電子が磁場の中で曲がる際に生み出される強力なX線で、通常のX線よりさらに詳細な構造解析を行うことができる。しかし、その結果はクライオ電子顕微鏡での観察とは一致しないものだった。
「散乱データを解析したところ、30ナノメートルの構造に対応する散乱ピークがあるのです。この解析結果はクライオ電子顕微鏡で得たデータと矛盾します。いったいなぜ矛盾が生じたのか、いろいろな角度から再検討しました。試行錯誤の結果、X線散乱で観察された30ナノメートルのピークは、染色体の表面についているリボソームだということを突き止めました」

リボソームはDNAの遺伝情報からタンパク質を合成する工場の役割を果たす複合体である。リボソームが染色体を調製する過程で染色体の表面にくっついてしまったのではないか? そこでリボソームを取り除いた染色体でX線散乱解析をしたところ、予想通り30ナノメートルのピークは観察されなかった。

リボソームを取り除いた場合、ヌクレオソームの厚さである6nmとヌクレオソームの直径に相当する11nmの散乱ピークが現れるが30 nmのピークは見られない(左)。染色体のまわりにリボソームがついていると、6nm、11nm、30 nmそれぞれのピークが現れる(中央)、リボソームのみでX線を照射すると、30 nmのピークだけとなる(右)

リボソームを取り除いた染色体で調べたら、30ナノメートルのピークは観察されなかったんだって!

「次に、染色体内に階層構造があるかどうかを調べるために、私たちは染色体直径に相当する1000ナノメートルの範囲まで調べることができるX線散乱解析をおこないました。その結果、100ナノメートルの散乱ピークも、200-250ナノメートルのピークも観察されず、結局、検出できたのは11ナノメートルのピークだけだったのです。こうして、細胞分裂期の染色体には定説の30ナノメートルのクロマチン線維も、クロマチン線維がさらに規則正しく束ねられた高次の階層構造も基本的に存在していないと結論づけました」

その後の研究で、分裂期の染色体だけでなく、分裂していない間期の細胞においても30ナノメートルの規則正しいクロマチン線維はほとんど存在しないことを示唆するデータが得られた。間期も分裂期も、ヌクレオソーム線維は不規則に折りたたまれているらしいのだ。