公益財団法人テルモ生命科学振興財団

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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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生物としての蚊のおもしろさも調べたい

———先生の研究で、どんなことがわかってきたのでしょうか。

まず、蚊がATPを感知するしくみについては、ある遺伝子によってつくられるタンパク質がATPの受容体ではないかとわかってきました。それが針のところにあって、針を刺してATPを認識したら吸血を始めるらしいのです。
ビデオで観察すると、蚊は何度か針を刺したり抜いたりしてATPがあるかないか“味見”をして、ATPを認識したらたちまち吸血しておなかがぷうっと膨れます。しかし、受容体となるタンパク質がない変異体の蚊は、針を刺して振り回し続けていつまで経っても吸血を始めません。たぶん、針で探ってもATPを認識できないんでしょう。

さまざまな色の食用色素を添加したATP 緩衝液をネッタイシマカに擬似吸血させたところ、蚊が血液と認識しおなかがふくれる様子が観察された。

———血なら何でも吸うわけではないのですね?

まず、血を吸うのは雌だけです。血は卵を産むための大事な栄養源で、普段は花の蜜などから得る糖を栄養源としています。蜜も血も同じ針から吸っていますが、蜜は嗉嚢(そのう)という貯蔵器官に送られ、血は腸に送られます。そして、その振り分けについてもATPがシグナルとして関与しているらしいんです。

血も蜜も同じ針で吸うが、血液と糖は異なる器官に送られる。

———ATPっていろんな役割があるんですね。

ちなみに、蚊の口は一番外側のさやに6つもパーツが納められているんですよ。その中心が蜜や血を吸う針です。その脇に、はさみのような大顎と小顎が1対ずつあって針を皮膚に押し込む役目をしています。あとは、吸血が宿主に気づかれないよう、麻酔薬や血が固まらない成分の入った唾液を入れる唾液腺があります。すごく複雑なんです。

図版:理化学研究所
生命機能科学研究センター「いきもんぬりえ」より

蚊の口吻(こうふん)の構造

———今後はどんな研究をしたいですか。

ATPの受容に関わるタンパク質がわかってきたので、今度はそれが実際に機能している神経を可視化したり、人為的に活性化したいのですが、ちょっと苦戦しています。蚊の遺伝子編集では外から人工的な遺伝子配列を入れるのが難しくて、なかなか入らないんです。そこで、代わりにショウジョウバエに蚊のタンパク質を入れて、蚊の状態を再現して神経を活性化することにも挑戦しています。
それから、最近、宿主の血の中に蚊の吸血をやめさせてしまう物質を見つけました。その物質は蚊が吸血を進めるにつれて増えていくと考えられます。私たちは蚊の方にATP受容を遮断するしくみがあって吸血をやめるのではないかと考えていました。おそらく、そのしくみもあると思いますが、吸血をやめさせる機構が宿主側にもあるようなのです。

———吸血を制御するしくみが少しずつ明らかになっているのですね。

私が研究を始めた時期は、蚊の遺伝子編集が始まったばかりで試行錯誤でしたが、世界中の研究者が少しずつツールのブラッシュアップを進めているので、私が見たかった世界も少しずつ見えてくるだろうと期待しています。

———日本でも蚊の研究者がもっと増えるといいですね。

じつは日本にしかいないユニークな蚊はいっぱいいます。奄美諸島や沖縄にユニークな蚊が多く存在していて、西表島にはカエルから血を吸う蚊がいますが、蚊は変温動物の体温をどうやって感知しているのでしょう? カジカガエルの鳴き声に寄ってくるという報告もあり、興味が尽きません。日本でももっと蚊の研究の意義が注目され、蚊を分子レベルで見る研究者が増えてくれれば嬉しいです。

カエルや魚の血を吸う蚊を採集するために西表島へ。マングローブ林を歩きながらカニ穴を探している。

——— “生物”としての生態にも、まだまだ未知な部分が多いと。

そうなんです。蚊は身近な生き物なので1950年代ごろの古い文献にも観察による記述がすごく詳しく載っていて膨大な蓄積があります。私はそれを改めて分子生物学の視点で解き明かしたいんです。
例えば、蚊のサナギの期間はたった2日間しかありません。彼らはその間、魚に食べられないように水中で泳ぎ続けます。そして、その状況で変態するんです。餌も食べず、サナギの中であんな複雑な体の構造を短い時間でどうやってつくり上げているのでしょう。将来はそうした発生の研究もやりたいですね。

———最後に若い読者にメッセージをお願いします。

私はいろいろなものに広く興味を持ってしまうのですが、いつもよい方向に導いてくれる友人や恩師がいました。人とのつながりはすごく大事だと思います。それを大切にして、自分が気になることはとことん掘り進めてほしい。
もう一つは、科学の世界では常識は常識じゃないということ。小さいころは親や先生、教科書は絶対だと思っていましたが、研究を始めてみたらそうではないことがたくさんあります。細胞の中の形や配置ですら、実際に見てみたら習ってきたものとは全然違うのです。だからこそ、「自分はよく知らないから」、「私の考えは平凡だから」なんて言わずに、思ったことはどんどん言葉にすることが大事です。
それから、ともすると研究者は孤高なイメージがありますが、現代は多くの人が力を合わせないと研究が進まない時代です。生き物を知るために、物理や数理モデル、コンピュータ・シミュレーションなど、あらゆる分野の人と技術を駆使しなければなりません。人とのコミュニケーションは非常に重要です。そう考えると、今やっていることは、私が憧れていた国連の仕事と少し似ているかもしれませんね。

(2024年1月18日更新)