公益財団法人テルモ生命科学振興財団

財団サイトへもどる

中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

サイト内検索

寄生蜂に感染したハエのサナギには”翅のもと”がない?

———筑波大学ではどんな研究を?

帰国するにあたって、夫と私の研究を合体できるような新しいプロジェクトはないかとたくさん話し合いました。そこで思いついたのが「昆虫ホルモン」です。昆虫ホルモンは、光や温度や栄養などのさまざまな外環境に応じて生合成されて、段階的な成長を起こすタイミングを調節します。アメリカで学んだことを活かしつつ、昆虫ホルモンを制御する神経系のメカニズムを研究しようと考えました。

———昆虫の成長段階を左右するのはどんなホルモンですか?

昆虫における段階的成長の特徴として、脱皮と変態があります。そのタイミングを司るのが「脱皮ホルモン」です。脳神経系が外界の情報(光、温度、栄養など)を受け取って、ホルモンの生合成と分泌を促す指令を出すわけです。
たとえば、栄養が不足している環境では、幼虫は幼虫のままで餌を食べ続けます。そして、栄養を十分に蓄えたら神経系が働いて脱皮ホルモンを分泌し、サナギになります。私は、この脱皮ホルモンを合成する器官と脳を連絡する神経経路を調べることによって、栄養に応答して脱皮ホルモン合成を促進する神経や、成長から成熟へのタイミングを図る神経経路などを調べました。その過程で、脱皮ホルモン合成に働きかける環境因子は、栄養以外にもあるのではないかと考えていたときに、夫が学会でショウジョウバエに寄生するハチがいることを聞いてきたんです。

———ショウジョウバエにハチが寄生する?

虫好きの私は寄生蜂の存在はもちろん知っていましたが、ショウジョウバエに寄生するハチを研究することなど考えてもみませんでした。でも、もし寄生蜂の感染でハエの成長が阻害されるなら、脱皮ホルモンの分泌にも関わっているのではと思ったんです。

———そもそも、寄生蜂は宿主をどのように利用するんですか。

寄生蜂が宿主に感染する方法は種によって違います。寄生蜂の種類は昆虫類約100万種の約20%を占めるほど多く、寄生を強力な生存戦略にして進化してきたんですね。宿主の卵・幼虫・蛹・成虫の内外に卵を産みつけて、宿主の体から栄養を搾取して成長します。産みつける卵の数もさまざまです。
私たちが使ったニホンアソバラコマユバチは、ショウジョウバエ幼虫1匹に対して1個の卵を産みつけます。ハチの幼虫は宿主体内で孵化して栄養を奪って成長します。そして、宿主がサナギになったあとで殺して食べ、サナギの殻から羽化するのです。感染後にすぐに宿主の幼虫を殺すのではなく、幼虫がサナギになるまで「生かしておいてから」殺すわけで、このような形の寄生を「飼い殺し型寄生」といいます。

———ニホンアソバラコマユバチを選んだ理由は何ですか。

夫が、学会で知り合った寄生蜂研究者の先生に、寄生蜂の飼育方法を聞いたところ、「単為生殖の系統ならメス1匹で増殖するから、いちばん飼いやすい」と教わって、分与していただいたのが、この種です。そこでさっそく飼育を始め、飼っていたショウジョウバエの幼虫に感染させたところ、ハエの幼虫は普通にサナギになりました。つまり、脱皮ホルモンは普通に合成・分泌されたということです。ホルモンに影響を及ぼしているという予想がはずれて、がっかりしながら解剖をしてみると、いつもと違うことが起きていることに気づきました。

———解剖した幼虫に何が起きていたんですか?

ショウジョウバエは完全変態昆虫なので、翅や脚、触角など成虫になるために必要な組織のもととなる「成虫原基」が幼虫の体内にすでにあるんです。ところが、感染したハエの幼虫では、成虫原基がなくなっていました。

———成虫原基がないことは、すぐに気づいたのですか?

いいえ、最初は私の研究対象である神経系やホルモン合成器官ばかり見ていたので気づきませんでした。そこには何の変化も見られなかった。だからサナギになれるんですね。ただ、当時の私は解剖作業が好きだったので、神経系以外の組織も一通りばらすことを習慣化していました。特に、将来翅になる組織である翅原基の形はとても綺麗なので「お気に入り」でした。なのに、見当たらない。最初は、解剖を失敗したかもしれないと思って、「疲れているのかな、まぁいいや」くらいに思っていました。

感染個体の体内では、将来の翅組織が縮退している。

———成虫原基がなくなってしまうという寄生の仕組みはわかっていなかったのですか?

そうなんです。成虫原基の縮退なんてこれまでに気づかれてないはずがないと思って、寄生蜂を分与してくれた先生にもすぐ連絡して聞いてみたのですが、「調べたことがなかった」という回答でした。たぶん、私がハエをずっと研究していたから気づくことができたんだと思います。ちなみに、幼虫のままサナギになれないハエの変異体にハチを感染させても、ハチは羽化しません。つまり、ニホンアソバラコマユバチは宿主がサナギにならないと羽化できないんです。だから、寄生蜂は自分に必要のない成虫原基は小さくしてしまって、幼虫を“飼い殺し”の状態でサナギまで生かしておいて、栄養を横取りして成長するのだろうと考えています。