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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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中高校生が第一線の研究者を訪問
「これから研究の話をしよう」

第18回
ようこそ言語脳科学の世界へ
自然科学で言語を解明!

第1章 講義

1-1 言語の自然習得という考え方

酒井
「言語脳科学」は、脳科学と言語学のインターフェースをやろうという研究です。背景には物理学があるのですが、分野にこだわらず「人間とは何か」という、これまで哲学や心理学で扱ってきた問題を脳から明らかにしようということです。
人間とはどういう生き物か――、人間の一番人間らしいところは言葉を持っていることだから、それを明らかにしたい。そういう基礎的な研究を行う中で、例えば皆さんが学校で学ぶ英語は果たしてどうなんだろうと考えるようになりました。皆さんは私の著書『勉強しないで身につく英語』を読んでくれたと思うけど、「勉強しないで」ということで私が何を言いたかったのかわかりましたか?

参加者が事前に読んだ酒井先生の著書『勉強しないで身につく英語』(PHP研究所)

大石
題名を見て、「まったく勉強しなくていいなら楽勝じゃん」と思ったのですが、読み進めるうちにそういうわけではないとわかってきました。結局、勉強しなくちゃいけないというか、うまく言えないけど理解できたつもりです。
石葉
日本では、机に向かってひたすら問題集を解くようなのが勉強ですが、そういった日本式の勉強法ではなく、英語を身につけるには自然習得が大事。
酒井
自然習得というキーワードが出ましたね。素晴らしい! 私の意図がストレートに伝わり、うれしいです。
大石
英語を使っていって、体で覚えなければ……。
酒井
うん、そういうことね。英語圏に暮らしていれば、赤ちゃんでも子どもでもみんな自然と話すのだから、自然習得が理想。英語の自然習得を目指すなら、今の勉強法は少し違うかなということです。
そういう私の意図がこの本の担当編集者にはうまく伝わらなかったようで、表紙の絵として動物のナマケモノのイラストを提案されたときは、思わず椅子から転げ落ちそうになりました。
生徒
(笑)。
酒井
一生懸命に勉強して単語を覚えて、ようやく英語がしゃべれるようになると思っているかもしれませんが、そうじゃない。人間の言語はもともと自然に身につくもので、必ず話せるようになります。
今、日本のアニメなどに興味を持ち来日する外国人がたくさんいますが、1年ぐらいで日本語がペラペラになる。日本語は平仮名は50字あるし、漢字も難しいから、相当な勉強が必要なはずです。だから文字から入るとほとんどできないのですが、音から入ると「何だ、人間の言葉じゃないか」とわかり、1年もすれば日本語をきれいに話せるようになります。
私たちは学校の勉強で最初にアルファベットを覚え、単語のスペルを覚え、やっとテキストが読めるようになって……というところからスタートするので、ほとんど音が入っていない。ということで、英語を話すのは二の次、三の次になってしまいます。ちなみに、先生は何を教えていらっしゃるんですか。
佐藤教諭
数学です。
酒井
ああ、よかった。英語の先生だったら、どうしようかと(笑)。

1-2 寺田寅彦に学んだ科学者としての姿勢

酒井
大学に入り、ひょんなことから寺田寅彦という人に興味を持ちました。明治時代の人で、物理学者でありながら、素晴らしく文章がうまい。
彼は「サイエンスは一つのものです。物理学をやるにしても、他の多くの部門の知識が必要です。自分の専門以外のことを知らないと回り道をして進まなくなる。決してフィールドを狭くしてはいけない」と言っています。これを読んで、「ああ、これだ!」と思ったのね。
皆さん、寺田寅彦はまだ読んだことがないかな。名前は聞いたことがある?
大石
どこかで聞いたような。
酒井
彼の言葉で有名なのが「天災は忘れたころにやってくる」。これは聞いたことあるよね。
大石
はい。
酒井
地球物理学を研究していたのですが、こういう言葉も残しています。「頭のいい人は批評家に適するが行為の人にはなりにくい。すべての行為には危険が伴うからである。けがを恐れる人は大工にはなれない。失敗をこわがる人は科学者にはなれない」。
皆さん、学者になるには頭がよくなければと思っていませんか? それは間違いです。「自分を頭がいいと思い利口だと思う人は先生になれても科学者にはなれない」と書いてある。これを読んで、すごくショックでした。当時、私は一生懸命に勉強して頭がよくなろうとしていたのですが、頭がいいだけでは駄目だし、それは科学者の目標ではないことがよくわかりました。
酒井
さらに、自然科学の研究には失敗がつきものです。理論を作ってみたけどうまくいかないなど、試行錯誤しなければなりません。つまり、世界中の人が考えもしないことを考え、あえてやってみて、失敗して後ろ指を指されるかもしれないけれど、そこでめげるようでは科学者にはなれないということ。そして、自分が非常にちっぽけな存在であることを自覚し、大自然の直接の教えに傾聴する覚悟があって初めて科学者になれると書いてあります。これは素晴らしいなと思ったんです。
もう少し先があり、頭がいい学者と頭の悪い学者の話。例えば、私が「こういう研究をしようよ」と言うと、東大の頭のいい学生は「先生、そんなことをしてもしょうがないですよ」「つまらないでしょ、それ」と平気で言うわけです。それは先が見えているから。結果の価値から判断して、骨を折ってもさほど重要なテーマになりそうにないと見込み、着手しないで終わるというわけです。
ところが、頭の悪い学者はそういう見込みが立たないので、周りから見るとつまらない問題にもがむしゃらに取りつき、脇目も振らずに進んでいく。そうすると、予期しなかった重大な結果にぶつかり、「これはひょっとすると面白いかもしれない」と、人がやらないことをやるようになる。この文章は非常に衝撃的でしたね。
酒井
同じ物理学科にいらした小柴昌俊先生はノーベル賞受賞後、自身の大学時代の成績を公開し、「私はそんなに頭がよくなかった」とおっしゃいました。それを聞けば、みんなも「なるほど」と思ったかもしれません。
研究をする上で大切なことは、誰もやろうとしないことをがむしゃらにやることであり、小柴先生はその典型です。科学者として失敗を恐れず、パイオニア精神に満ちた小柴先生とお話しできたことは、私にとって大きな経験でした。

1-3 科学とはいったい何だろう?

酒井
「科学とはいったい何だろう」という問いに対し、「これが科学です」とはっきり言った人がいます。ジャン・ペラン(Jean Baptiste Perrin)というフランスの物理学者で、原子が存在することを初めて科学的に証明しました。例えばこのペットボトルの中に入っている水は分子でできていますが、その水の分子はどんな原子でできていますか?
生徒
H2O。
酒井
そうすると、それは何原子ですか。
生徒
水素原子が2個と酸素原子が1個。
酒井
そう、習ったから知っているね。でも、どうしてそれが正しいとわかったんですか(笑)。そこが問題! 原子を見たことがあるんですか? 見えないですよね。理科の先生が言っているから正しいの?
生徒
(笑)
酒井
約100年前、物理学者のエルンスト・マッハ(Ernst Waldfried Josef Wenzel Mach)は、「目に見えないものを仮定して説明するなんておかしい。そういうものでサイエンスを作れるはずがない」と言ったのですが、それは間違っていました。
というのは、実際に原子がないと説明できない現象があるからです。小さな花粉の粒を浮かした水を顕微鏡で見ると、不規則に動いているのが見えます。水分子が体当たりしているから動くのですが、これを定式化したのがアインシュタインの理論であり、まったく同じ条件で実験的に再現したのがジャン・ペラン。彼は、この水の中で小さい分子が動き回っていると考えないと成り立たない現象が確実にあると説明しました。それで、理科の教科書では自信を持って「酸素原子、水素原子があります」「水分子があります」と言えるようになったわけです。ところが残念なことに皆さんは、このへんを全部すっ飛ばして結論だけ教わる。ショートケーキにたとえるなら、上のイチゴとクリームだけ食べて、それを支えている大事なスポンジを食べないようなものです。
ペランは「認識の彼方にある実体の存在または性質を予測し」、これは先ほどの例で言えば原子や分子のことですが、「単純な見えないものによって複雑な見えるものを説明しようとするところに直感の働きがある」と言っています。つまり、単純な見えない原子によって、複雑な水というものを説明するということ。このような考え方を演繹的推論といいます。
こうなっているはずだと考え、それをたどっていって、最終的に複雑な現象が説明できたとき、科学が説明する力に満ちていることがわかります。このように、目に見えないものを把握しようとしない限り、研究者にはなれません。
酒井
今まで文系はこういうことに重きを置いてこなかったけれど、例えば地理学を本当にやりたかったら、なぜその場所でそのような産物が採れるのか、なぜ地下にこういう鉱脈が眠っているのかを考える。そうすると、地球内部に目に見えない地殻変動があり、それに支えられ、その上で人間は生活しているということがだんだん見えてくるわけです。「ウクライナは小麦の産地です」とか、そういう表面的な知識で終わるのではなく、なぜそこに小麦がたくさん植えられているのか、そもそも人はいつから小麦を食べていたのだろうと考えていく。人間の営みという視点から考えれば、人類学なども含め、さまざまな学問が必要になってきます。

1-4 目に見えない法則を探ることが大切

酒井
言語学者である上智大学の福井直樹教授と一緒に研究しています。彼とはよくいろいろなことを話すのですが、文学部の英文科や心理学科に行くと、当然、物理学はやらない。基礎的な物理学に触れる機会すらないかもしれません。となると、どのように法則を理論化するか、実験でどう実証するか、どうやってモデルを立て見えないものを説明していくかといった感覚から非常に遠ざかってしまうことになります。目標は自然の一部である人間を理解することなのに、自然科学のアプローチをまったく知らず、人間は心理的にこう振る舞うという現象論だけをやっていては、目に見えない法則に支えられているという予感や確信を持てず、研究姿勢が大きく変わる危険性があります。
酒井
私は「言語脳科学」は人間を理解するための科学、人間学(humanity)であると考えています。
人間学は文系だけの学問ではありません。ただ、文系は歴史自体が学問になるし、個別の事象や主観を重視しますが、理系はできる限り客観的、普遍的であろうとし、再現性がないといけないから、ほとんど真逆なんですね。
例えば関ヶ原の戦いは江戸時代になる前に1回しか起きていないので、それを法則にすることは不可能であり、そもそも再現しない。こういうものを自然科学にするのは無理なので、文系と理系はあまり仲が良くありません。
ただ、ややこしいことに理系でも「進化」となると、壮大な生物の歴史を扱わなくてはならず、例えば恐竜の絶滅なんてほとんど再現しないわけです。なので、これを生物学で扱うのは、非常に危うい側面を持っている。つまり、地球の歴史上たまたま恐竜が誕生して消えたという1回しか起きていないことを科学的、普遍的、客観的に理解するのは非常に難しいということです。ちなみに、恐竜が絶滅したのはなぜだか知っていますか?
生徒
いん石。
酒井
いん石説が有名ですよね。
生徒
地球の気温が下がって……。
酒井
そう、大きな地球環境の変化があったと考えられます。しかし、それも議論があるだけで、実際に見た人はいないし、歴史に残っているわけでもありません。そもそも人類は誕生していなかった。だから、地球に残されているいん石の跡や地質を調査し、どんなところに恐竜が死んでいるのかを調べ、総合的に明らかにしようとしているのですが、別のシナリオがあるかもしれません。
今、私が研究している「脳から言語を調べること」、これを生成文法理論といいますが、チョムスキーの理論は人間に対する見方を180度変えました。それまでとどこが違うのかといえば、自然法則として言語理論を作ろうとしたことです。私は脳科学によって言語学に理論的な裏づけを与えるような研究をしようと考えています。

1-5 脳の働きと生成AI

酒井
脳はさまざまなことを分担してやっています。入ってきた情報を想像力で補い、記憶と参照して自分なりに考え、話したり書いたりして発信する。ただ人間が賢いのは、自分の想像が足りない部分に解釈を加えられること。「こうなっているかもしれない」「こう書かれているけれど、実際は違うことを意味しているのではないか」など、自分の経験や勘によって補うことができるのです。
私たちは心の中のすべてを言語化することは不可能だし、実際、小説もごく断片的なものを書いているに過ぎません。だから、主人公の心の奥にはどんな感情があるのか、その行動の理由は何だろうかと自分で考えなければならず、それがうまく絡み合ったとき、クライマックスで起きたことが「ああ、こういうことだったんだ」とわかるわけです。
酒井
生成AIが危ないのは、このへんを勝手にやって何か出してしまうところ。これを教育段階から使ったら、自分で想像して考え、創り出すという部分がまったく育ちません。学校の方針として、どんどん生成AIを使えという雰囲気ですか?
佐藤教諭
文科省が警鐘を鳴らしていて、使い方のガイドラインが出ていたと思います。
酒井
文科省は警鐘を鳴らしているというより、むしろ使ったらいいということで、あろうことか「英語の練習に」と書いてあります。
生徒
授業で使ったことはありません。
酒井
授業で使っていなくても個人のパソコンに入れて使う人が増えれば、「ChatGPTを使えば、それらしい作文がさっさと書けるよ」というささやきが聞こえてくるでしょう。
これに対して大学がどういう立場を表明したかというと、どんどん使えと。そういった技術があり、結局は禁止できないのだから、どんどん使うのが賢い大学生というアナウンスを出してしまいました。
カンニングやドーピングと同じで、使えば手っ取り早く答えが得られるかもしれないけれど、まったく思考のトレーニングにはならない。しょせん借り物です。教育に極めて危ない影響を及ぼすと思うのですが、そういうことは書いてありません。「使いましょう」が前提で、「いろいろなリスクがあるかもしれないけれど、使うことを薦めます」という主文になっているので、非常に危険です。
今の皆さんにとって、「想像→生成→創造」という部分をどうやって作っていくかが一番大切です。本を読んだり音楽を聞いて自分で考え、文章や絵などで表現してみましょう。第一、生成AIに頼って自分よりいいものができてしまったら、もうやる気も出ないじゃないですか。
生徒
そうですね。

1-6 脳―心―言語の見えない関係

酒井
心とはどういうものなのか? 心は目に見えないのですが、私たちが何かものを見て聞いて感じたものを記憶にとどめ、そこに意識が働くという構造があります。最初に脳科学でこういう研究をしていて、そこにだんだん言語が入ってきました。関係性でいうと、脳の世界の中に心という世界が完全に埋まっていて、さらに言語があるという感じです。
だから当然、心の一部しか言語化できません。何かモヤモヤしている、言いたいことあるけれどうまく表現できないのはこのためですが、作家はそこをうまく言葉にしてくれる。歌も心の機微を上手に表現してくれるので、「ああ、素晴らしい歌だな」「何度も聞いてみたいな」と感じ、皆さんの脳がどんどんよく作られていくわけです。
酒井
ところが、インターネットでけんかをしているような記事ばかり読んでいるとイライラして心が荒み、「こう言われたら、こうやっつけてしまえ」とか、「自分が一番偉いんだ」とか、知らないうちに脳がそういう状態になってしまいます。あるいは挫折したとき、「自分なんて、この世の中にはいらないんだ」と思ってしまう。怖いことです。
さらに、生成AIは対話型であるところが厄介で、自分の求める答えが出てくると、そこにはまってしまう恐れがあります。自分が言ったとおりに返ってくるだけなので鏡と対話しているに過ぎないのですが、それがどんどん増幅すると、「私は世の中で一番偉い」「世界だって征服できる」というふうになってしまう。
「生成AIをやると賢くなるかも」なんて、とんでもない。子どものうちからものを考えないような人間になっていく恐れがあります。だから、皆さんの世代には、新しく出てきたものに対して「これは正しい」「これは間違っている」と自分できちんと考え、友達や先生ともよく話をしてほしい。誰かが「使ったほうがいいんじゃない?」とささやいても、「いや、私は使いません」と言えるようになってほしいですね。

1-7 現象→仮説→実証という科学的アプローチ

酒井
科学は基本的に、何かの現象に対して仮説を立て、実証していきます。生物の多様性という現象に対して進化論という仮説があり、遺伝子を見つけることで遺伝子レベルで進化論を語れるようになり、20世紀のサイエンスになりました。
チョムスキーの仕事は、地球上にこれだけたくさんの言語がある中で、生成文法という目に見えない共通した文法があると明らかにしたことです。ここに脳の模型がありますが、左から見ると、ちょうどこめかみの奥あたりに言語野という場所があり、ここでまさに文法をやっていることを私は見つけました。脳の働きでこの場所はとても大切。人間であるという意味で、一番大切な中枢です。
次の世代の課題は心の多様性でしょう。人間の心はなぜこんなにさまざまなのか、科学としてまだわかっていません。心理学がまだ科学にならないのは、その仮説がないからです。私はデカルト(René Descartes)などの合理論*1が大事だと思うのですが、ヨーロッパの学者はだいたい経験論*2です。後天的に学んだことでいくらでも何とでもなるという考えが主流で、そうすると、なおさら実証のしようがないという問題があります。
*1 合理論:人間にはもともと理性が備わっており、知の源泉は理性にあるという考え方。理性という前提を立て、そこから論理的に結論を導きだす。
*2 経験論:人間の知の源泉を経験に求める考え方。観察や実験で得られた個々の事例を集め、そこから一般理論を導きだす。
酒井
心理学は将来のサイエンスになる可能性があるので、これを学ぶことは素晴らしい。よくわかってない部分も多いので楽しいといえば楽しいけれど、親御さんは心配されるかもしれませんね(笑)。大当たりするかもしれないし、行き詰まるかもしれない。私も親に「かすみを食うような物理学科へ行って何をするんだ」と言われたものです。

1-8 言語脳科学における3つの問題

酒井
最後に、言語脳科学の展望について話します。まず、学習可能性について。皆さん、動詞の五段活用を知っていますね。「走らない、走ります、走るとき、走れば、走ろう」。しかし、皆さんはこれで日本語を学んだわけではありません。普通に「これから走ろうか」「走りなさい」と聞いているうちに、「らりるれろ」が頭の中でできている。学校に入って五段活用だと知るのですが、そのはるか前から完璧にしゃべっています。一を聞いて十を知っているわけです。「走りません」を「走らません」とは言わないし、そういう間違いを一切しない。「走れば」と言うけれど「走るば」は何か変で、それが変だと本能的にわかっています。
子どもでもこういう間違いをしないのだから、英語もそうやれば、後からでも覚えられるはずです。三人称単数現在にsがつく……、子どもに三人称を教えられますか?
生徒
(笑)
酒井
私が一人称で、あなたが二人称、他が三人称って、すごく難しい。単数と複数って何が違うのでしょう。あと現在って何ですか。sがつくことを勉強しなくても、英語圏の子どもたちは完璧にしゃべれる。“John speaks”、“John learns”と、きちんとsがつきます。ということが学問上すでに明らかになっているのに、中学・高校の英語ではそれを勉強しないといけない。それは、勉強をしないと英語を話せないと思っているからで、これが間違っています。
次に「なぜ人間だけが特別なんだろう」ということ。私は犬を飼っていて、一生懸命に話しかけると、犬もわかろうとして真剣に聞いてくれ、少なくとも心は伝わったような気がします。だけど、言葉で会話することはできない。なぜ人間だけが言葉で話せるのか? それを脳から明らかにしなければなりません。
3つ目は普遍性。人間のすべての言語は自然言語だけれど、それは脳の中にある神経基盤によって生み出されるということです。もしこれが正しいのであれば、人間が行うさまざまな芸術も、基本的には人間しかできないことなので、脳の中の同じ場所を使って同じようにやっているのではないかという仮説を立て、今、研究しています。最近、音楽でまとまった音のつながりが理解できたと思ったとき、先ほどの文法に関する部分が使われていることが明らかになりました。音楽と言語は全然違うものだと思われていたのですが、実は人間らしい文法どおりに使っている。さらに美を感じるなど、そういうことも人間の脳に秘密があるのかもしれません。私からのお話は以上です。

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