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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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中高校生が第一線の研究者を訪問
「これから研究の話をしよう」

第18回
ようこそ言語脳科学の世界へ
自然科学で言語を解明!

第3章 質疑応答とアドバイス

■心理学をサイエンスとして研究するには?

大石
言語の多様性が科学的に研究されるようになり、次は心の多様性(心理)だというお話がありました。日本語を話す人がたくさんいるように、言語は一定の範囲で共通していると思うのですが、心理は同じ心を持つ人がいないので研究しにくいのではないかと思います。
私たちの学校には、自分で研究テーマを決め、調査や実験をする「富士未来学」という取り組みがあります。ここで心理を取り上げてみたいと思うものの、調べるのは難しいだろうなと感じています。サイエンスとして心理学にアプローチするには、どうすればいいのでしょう?
酒井
世界中でまだ誰もうまくいっていないので答えはないのですが、もし自然科学で明らかにしたいのであれば、現象に対して仮説を立て実証していく。この流れは何百年たっても変わりません。同じことを見聞きしても涙を流す人もいれば、逆に笑ってしまう人もいる。心持ちはなぜこんなに違うのかといったとき、それに対する仮説と実証が必要です。
心の問題なので、当然、脳は関係しますよね。それから、言語から影響を受けるかもしれないから、「言語圏によって心が違うのか」を調べてみると、どうなんだろう。例えば日本語というある種の文化的・社会的な影響を受けて心がどうなっていくのか。他の言語環境で育ったら、心はどういう影響を受けるのか。そして、本当にそれが一番の原因なのか掘り下げてみる。ひょっとすると心の持ち方は、言語より脳から来るほうが大きいかもしれない……。
ある民族は心をこういうふうに持ちやすい。でも、その中にも例外があるのはなぜだろうと考える。だから両方だと思うんですね。人間の心はまさに脳と言語の両方で成り立っているので、最終的にはこの狭間に心を解く鍵があるのだろうと。
それから、特殊な発達心理学。特殊というのは赤ちゃんが対象になるからで、赤ちゃんに聞いてもわからない。つまり、言葉からはアプローチしにくいけれど、脳を持っているのだから、発達中の脳が示す子どもたちの心はこういうものだとモデルを立てて解ければ、それはサイエンスになりますね。
実は赤ちゃんの心持ちは世界中でほとんど変わらなくて、人間の脳を持っている限り心は同じだけれど、それが何か特殊な環境、例えばネグレクト(育児放棄)などの残念な環境にいたとき、脳が病んでしまうようなことが起きるかもしれない。そう考え、ケアをすることが大切だという社会になってきました。
それから大人になる途中で困難に遭遇したとき、心をどうやって強く持てばいいのかといった問題を脳で理解することは今までほとんどなかった。脳は目に見えないので考えなくていいと思っていたのだけれど、先ほどお話ししたように、サイエンスは単純な目に見えないものによって複雑に見えるものを説明すること。つまり、脳にある単純な見えないもので、心という複雑に見えるものを説明できればいいわけです。これは物理学の考え方ですが、心理学でも成り立つと私は思います。
人間であるということにおいて普遍的な心というのは必ずあります。外側にバラエティーがあるだけ、多様に見えるだけだと思います。それが自然科学の見方なので、心の研究を目指すのなら、このへんをきちんと知っておいたほうがいいでしょう。
現象は違うのですが、人間の言葉はなぜこんなに多様なのか、心が多様であることと本質的に何が違うのかと考えたとき、脳で説明できるわけですから、何かありそうだという感じです。これはとてもレベルの高い問題で、学会でも出ません。もし、こういうことに興味を持っている学者がいたとしたら、いいところをついていると思います。
心理学って未来のサイエンスになる可能性があるんだ。

■さまざまな機能を分担している脳

古性
以前、祖母が脳卒中で倒れ、そのとき言語を司る脳の部分に障害が起きたと母から聞きました。記憶ははっきりしていて頭の中ではわかっているのですが、それを他の人に話すことができない。それは記憶と言葉を司る脳の部分が違うから?
酒井
そのとおりです。記憶は、言語野の周りにある側頭葉や海馬という場所に1回ためておいて、その後、大脳皮質に保存し直されます。一方、言葉が出なくなるのは左脳の前のほうが関係しています。記憶や思考はしっかりしていて、きちんと理解できるけれど、話そうとすると言葉が出にくいということであれば、リハビリでだんだん元に戻っていきます。
側頭葉より少し上の部分に障害を受けると、書いたりしゃべることはできるのですが、なぜか聞いたときにうまく理解できなくなります。それから、言葉が完全になくなり飛んでしまう場合もあります。
また頭を打ったとき、よくドラマにあると思うのですが、記憶喪失といって記憶だけがなくなる場合もあります。「あなた、誰だっけ?」「私は誰?」というような感じですが、時間がたつとだんだん戻ってくる。それは、この部分は少し落ちてしまったかもしれないけれど、このへんの回路はきちんと通っているからです。ただ、もしこれが完全になくなってしまうと、身近な人も誰だかわからない、自分の顔すらわからなくなります。
それから、顔のつくりからそれが誰なのか認知するセンターが脳底に近いところにあるのですが、そこが障害を受けると、鏡で自分の顔を見ても見覚えがない、自分の顔なのに知らない人が自分を見ているといった症状が出ます。色だけが消えてしまった例とか、いろいろあります。
あと、動きが見えなくなることも。コップに水を注ぐと、どこで注ぎ終わったかがわからず、あふれていた。そういうことで見つかる場合があります。加えて、横断歩道をうまく渡れない。車が止まったと思って渡ろうとするとぶつかりそうになるというような、車が止まったのか動いているのかがわからないという病気もあります。
脳はこれだけの領域があり、いろいろな場所で分担しながら仕事をしていて、ある部分の調子が悪いと他がバックアップして支えてくれる場合もあります。脳は自分の中で仲よくして暮らしているのですが、けんかをすると大変。脳は左と右で同じようなのが合わさっていて、言語野は左優位だから何とかなるのですが、右が頑張り過ぎるとぶつかってしまい、それがけんかをしている状態なのかもしれません。何か指図するような声が聞こえるとか、幻覚、妄想といわれるのはそういうものかもしれない。ジキルとハイドのように性格がガラッと入れ替わってしまい、また戻るような、SFやドラマによくありますね。あれも脳の中で起こりうる現象です。
脳はいろいろ分担して体の機能を担っているんですね。

■脳を使えばシワが増えるってホント?

大石
学校に口癖のように「脳みそをシワシワにしなさい」と言う先生がいます。「脳はツルツルではなく、シワシワのほうが絶対にいい」「これで脳のシワが増えたね」とよくおっしゃるのですが、それは実際にあるんですか。知識を得て賢くなったら脳みそがシワッとなったり、逆にツルツルの人がいたりするのでしょうか?
酒井
皆さんくらいの年齢なら、みんなシワシワなので心配ないというか、まったく余地がないくらいシワシワのまま詰め込まれているので、それを変えることはほぼ不可能です。
大石
そうなんですね。
酒井
ただ20歳を過ぎると、基本的に細胞は死んでいきます。神経細胞はものすごく分化して特定の仕事をしているため、分裂能力をほぼ失っていて、一度失うと再生できない。これは人間の網膜も同じで、傷つくとiPS細胞などで再生医療を施さない限り、それ自体が蘇ることはほとんどありません。逆にがん細胞は分化していない分、増える能力が非常に高く、周りの組織を壊してしまいます。
脳は体の中で最も組織化され分化が進んだ状態で、分裂能力を失っているので、増えはしない。だから、MRIで日々撮影しても目に見える変化はありません。
ただし、ある部分を一生懸命に使うと、その周りの部分も総動員して使うようにはなります。これは大人のサルでの研究があり、例えば人差し指をよく使うようになると、顔や親指の脳の領域が減り、人差し指を司る領域が増えていきます。
となると、その先生の言うことはある意味正しくて、担当領域が増えるということ。例えば、私はバイオリンを弾きますが、指の動きや繊細なタッチを覚えるために練習すると、脳の中でその領域が広がっていく。スムーズに弾けるようになったとすると、それなりに脳が変わったということなので、比喩的かもしれませんが、「脳のシワを増やしなさい」というのはある意味正しい。目に見えるところは変わらないけれど、目に見えないところでそういった変化が起きているということですね。
大石
ありがとうございます。

■脳でイメージすれば実力を発揮できる!?

石葉
脳についてでもいいですか。
酒井
もちろん。
石葉
脳と心はつながっているといわれ、先ほどの記憶喪失の話のように極度のストレスで記憶をなくしてしまうこともあると思います。ストレスは脳の問題ですか。あるいは心と脳の両面で考えていくほうがいいのでしょうか?
酒井
例えばPTSD(心的外傷後ストレス障害)。心に関する機能が集中している場所で脳の神経が過敏になると、わずかなストレスでも脳がパニックになり、発作が起きることは結構あります。それに対する療法としては、「ストレスが来ても大丈夫だよ」と教えてあげるような新たな回路を作ってやること。認知行動療法など心理的な方法で、「大丈夫、大丈夫」と自分で脳に暗示をかけるんですね。
最近聞いた話では、パラリンピックの車いすテニスで優勝した国枝慎吾さんは非常に具体的なイメージトレーニングを行っていて、トッププレーヤーになった自分がフェデラー選手と食事をしているイメージを持っていたそうです。そういうイメージを持つと、今、自分はこの試合に勝つと思える。相手に勝つというより自分に勝つというか、ミスをしないとか、いち早くボールの行方を予測するとか、そういう脳の機能を高めるべく自分に暗示をかけるのです。
短距離走やスピードスケート、フィギュアスケートなどのアスリートもそうです。瞬時にあのジャンプを飛べるんだというイメージ。体操選手もわりとそういう脳の使い方をしていて、頭の中で完全に想像し、自分をうまく誘導する。実際に体が動くのは一瞬ですが、それが頭の中で自動的に動くようになるまでやるといいます。
あとは自信。人前で話をしたり楽器を弾いたりするときに上がってしまい、失敗するかもしれないと思うとパニックになり、いいことは一つもありません。本物のアーティストは、むしろそういう緊張を楽しむくらいで、「私は皆さんと一緒にいるのが楽しい」というような心理状態になり、実力が発揮できる。心理的には極限状態なのですが、トレーニングによって自分の心を穏やかにして、普段どおりの実力が出るようにするんですね。
宇宙飛行士の訓練でよくいわれるのが、「練習は本番のように、本番は練習のように」。なかなかいいことを言いますよね。本番だと思ってしまうから駄目なのであって、練習だと思えばいい。普段練習しているときは「これは本番だ」と思ってやる。そういう心の持ち方一つでだいぶ違うし、それは脳に自分で教えていることになります。ところで、皆さんは何か部活をしていますか。
古性
陸上部で短距離と中距離をしています。
酒井
ちょうどいい、ばっちりだ。
石葉
私は今、科学探究部の天文班ですが、小学校から中学まではバスケでした。
酒井
ここぞというときフリースローが決められるか、緊張するでしょ?
石葉
緊張しないくらいまで練習していました。
酒井
素晴らしい。本当に極められますよ。そう、できるんです。
大石
私は今、ESSという英語ディベートをする部活に入っていますが、中学のときはテニス部でした。
酒井
文武両道、いいですね。でも、英語でしゃべろうと思うと上がったりしませんか。
大石
上がります。
酒井
あれだけ練習していても最初のフレーズが出てこなかったり、頭が真っ白になったらどうしようとか、いろいろ思うじゃないですか。私にも経験があります。学会でのフリースピーチ、要するに相手がどんな質問をするかわからない中、全部英語で答えなければなりません。しかも、そこにノーベル賞受賞者がいたんです。さすがにそんな緊張する場面は二度とないから、もう開き直ってやるしかないと。それで、かえって強くなった気がします。
古性
この前、陸上大会に出場しました。決勝の上位8人が次の都大会に行けるという大会です。
酒井
種目は何でしたか?
古性
普段は200mと400mをメインでやっているのですが、その大会では100mと200mに出ました。1日目の200m決勝で頭が真っ白になってまったくうまくいかず、0.01秒差で負けて9位に。自分をすごく責めて、次の100m予選でも同じことをやってしまいました。もう無理だと思ったのですが、決勝で「他人のことは気にせず、スタートだけ決めてさっさとゴールに行こう」と自分に言い聞かせたら、うまくスタートが切れました。先ほどおっしゃっていたように思い込むというか、暗示をかけるのはすごく自分に響くものなんだなと思いました。
酒井
監督の声が響く場合もあるけれど、一番響くのは自分の声。というのも、緊張し過ぎると本能的に自分でブレーキをかけてしまうからです。そういったある種の防御反応が働くと、一歩が踏み出せなくなります。
科学者である私は失敗に対して非常におうようで、ものすごく楽天的です。いつも、ケンチャナ!(괜찮아!) これは韓国語で「大丈夫!」という意味ですが、論文がうまく通らなくても、誤解されてさんざんけなされても、もう少し改善して自分の意図を伝えればいいんだからと前向きに考えます。「頑張れば、必ず実るから大丈夫だよ」と言ってくれた先生がいましたが、やはりそういう言葉は今でも心に残っていますね。だから、あまり自分を責めないで、ケンチャナ!
脳に暗示をかければストレスを回避できる!

■プラス思考とマイナス思考があるのはなぜ?

大石
プラス思考の人とマイナス思考の人がいて、私は結構何でもプラスに捉えるタイプですが、全部マイナスに捉えてしまう友達もいます。それはその子の元からの性格なのかもしれないし、考え方を変えるのは本当に難しいと思うのですが、なぜそういう差が出るのかが気になっています。脳や心理に関係しているのでしょうか。
酒井
深いところでの防御反応なのかもしれません。こうなったら危ないと、先にブレーキをかけてしまう。そんなとき、いいカウンセラーは話を聞きながら少し背中を押してくれるし、一番いい言葉が選べる人がコーチだったりすると救われますよね。
ただアスリートによっては、励ましてくれるコーチよりも、「お前は駄目だ」と発破をかけてくれるほうがかえって奮い立つタイプの人もいます。コーチとの関係はなかなか難しくて、タイプがうまく合えばいいのですが、逆のパターンだと最悪ですね。
カウンセリングがうまい人は話をきちんと聞き、最後に「大丈夫!」みたいなことを言ってくれるので楽になる。また、アドバイスをした人も元気になれるという部分もあるんですよ。人間の心って複雑ですね。
自分で想像力をたくましくしないといけないと思います。例えば小説を「なぜここで泣いたんだろう、なぜ泣かなかったんだろう」と想像しながら読むと、「ああ、なるほど! 本当はこう思ってたんだな」と全部がつながる瞬間を経験することができます。悩みを聞いたときも、「それはこのパターンとよく似ているから、こういうふうに思ったらいいんじゃない?」「同じくだりがこの小説のこの部分にあるから読んでみたら」というアドバイスができますね。

■言語は一つ。だからマルチ言語レッツ・トライ!

大石
私は選択していないのですが、第二外国語を取っている人がいます。今、英語を勉強中なのに、さらに別の言語を学ぶと両方とも中途半端になってしまうのではないかと思うのですが。
酒井
決して中途半端にはなりません。
大石
ならないんですか?
酒井
なぜなら、言語は一つだからです。スペイン語だろうが英語だろうが、みんな一つの言語です。これは実際に聞いた話ですが、約10カ月間メキシコに行った高校生がいます。そこではメキシコ方言のスペイン語しか使わず、英語はまったく使わない。10カ月して戻ってきたら、学校の英語が簡単にしゃべれるようになっていてビックリしたというんです。
理由は2つあり、一つは外国語に対するバリアーが取れたこと。「あ、そうか。スペイン語をしゃべれるんだ。日本語だとこうだし、スペイン語だとちょっとこうなるんだから、英語だってこうでしょ」というように、すんなりいった可能性があります。
もう一つは、スペイン語は文の構造で英語と似たパターンを取るので、今まで学習して眠っていた知識がスペイン語によって頭の中で整理され、その脳を使えば英語がすんなり自然に出るようになった。三人称単数形なんて全然意識しない、子どものような脳の感じを取り戻せたというわけです。
勉強は無駄というのではないし、勉強してはいけないわけではありませんが、それを生かすには、やはり自然習得に触れる必要があります。
ということは、何語でもいいわけです。むしろ複数やったほうがいい。「2つは無理だし、3つなんてとんでもない」なんて考えないでください。3つ、4つ、5つぐらいやると、もう6つ目はすごく楽ですよ。だから早めに3つ目をやったほうがいいです。
古性
私は第二外国語としてフランス語を選択しています。
酒井
大変素晴らしい。それも勉強という感じではなく、好きな映画や歌などでフランス語を浴びるように聞くと、ちょうどアニメから日本語を覚えるようにフランス語が入ってきます。音から入ったほうがよほど楽しい。特にフランス語は音が美しいので、そこから入って自分もああいうふうに歌いたい、しゃべりたいと思って臨むと、文法は後から勝手についてきます。
複数の言葉を同時に覚える。日本語でいえば、関西弁と東京弁を一緒に話すようなものなので、まったく不思議ではありません。関西弁と東京弁は語彙(ごい)も違えばイントネーションも違うけれど、同時に話している人はいくらでもいます。英語と日本語もこれと同じです。だから、言語は一つなんです。
一同
ありがとうございます。とても面白かったです。
酒井
私も楽しかったです。

質疑応答を終えた後、みんなで集合写真を撮影。カメラに向かって笑顔になる合言葉は「チョムスキー、大好き~」でした。

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