この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

形づくりの謎を解くために、生きた分子を観察したい

───大学ではどんなことを学びましたか。

生物物理学、生化学、 遺伝学、発生学などの基礎生物学を学びましたが、当時の筑波大学のカリキュラムが良かった点は、他学部の講義も自由に受講できるところでした。私は2年以降、午後の生物実験を受けずに自然学類化学科の分析化学や反応有機化学、構造有機化学、量子化学など、化学科の学生が受講する講義をすべて受講しました。生物学を理解するためには化学の知識は必須ですから、このとき化学の基礎をみっちり学んだことは、その後の研究に役に立ちました。

また、大学3年生の頃に読んだイリヤ・プリゴジーン著「混沌からの秩序」「散逸構造論」「存在から発展へ」、トーマス・クーン著「科学革命の構造」、エルビン・シュレーディンガー著「生命とは何か」などの書物からも大きな影響を受けました。その結果「生命とは何かをパターン形成という観点で研究し、パラダイムシフトを起こすような発見をしたい」と思うようになり、研究者への道をおぼろげながら意識しだしました。かつて小学生の頃、通天閣や寺院建築の美しさに魅了されたように、生物学においてもやはり「形」が気になったわけです。

大学4年生の時にどの研究室に入ろうかと考えていたとき、農林学類に高校生時代に夢中になった『バイオテクノロジー』の著者である村上和雄先生がいらしたので研究室を訪ねました。4つのグループがあって、そのうちの一つで、講師として上野直人先生がアクチビンを研究しておられた。アクチビンは動物の「形」を形成していく上で重要な働きをするタンパク質で、アフリカツメガエルの胞胚の細胞(アニマルキャップ)にこのアクチビンをふりかけると、濃度依存的に側板中胚葉、筋肉、脊索、神経組織になったりすることがわかってきていました。今のiPS細胞からさまざまな細胞に分化させる研究の先駆けとなる研究でした。

山中先生と一緒にノーベル賞を受賞したJohn Gurdon先生が91年夏に初来日し、筑波大学を訪問された時に上野グループのメンバーとともに撮影(右から2番目)

山中先生と一緒にノーベル賞を受賞したJohn Gurdon先生が91年夏に初来日し、筑波大学を訪問された時に上野グループのメンバーとともに撮影(右から2番目)

私は、上野先生の指導のもとでアフリカツメガエルの中胚葉誘導に関する研究を進めたのですが、アニマルキャップをアクチビン処理して筋肉や神経組織などに分化させていくとき、細胞の中でいったいどんな変化が起きているかブラックボックスであることが気になりました。やれ、目ができた、神経ができたとその結果はわかっても、アクチビンがアクチビン受容体に結合して細胞内でシグナルがどう伝達されるのか、どんな因子が寄与するのかを分子レベルで見ることができない。この謎をなんとかして解明したいと考えるようになったのです。

村上研全体セミナーで使用したレジュメからの抜粋

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村上研全体セミナーで使用したレジュメからの抜粋

当時具体的に疑問に思っていたことは、アクチビンが胚内にあるとして、どうやって濃度勾配が出来上がるのか?その濃度のわずかな差をどうやって細胞は見分けているのか?一つの細胞に何個のアクチビン分子が働くと分化方向が決定されるのか?等々です。これら常々考えていたことを村上研究室の全体セミナーで発表したのですが、その中で現在提唱している少数性生物学につながる概念の説明をしました。そこでは意気揚々と、前出のイリヤ・プリゴジーン先生が提唱していた散逸構造論的観点からアクチビンの濃度勾配が説明可能であるが、散逸構造論だけでは胚内、細胞内の生体分子反応がこうも秩序正しく進行することは説明できないのではないかと述べ、ではどのような実験をすれば理解が進むか?それは、生きた細胞の中で1分子レベルでタンパク質の動きを捉え、数個程度の分子の間にコヒーレンスは存在するかを視ることであろう、と締めくくりました。

───当時、そうした研究はなされてはいなかったのですか。

当時はまだ生きたままの細胞内のタンパク質を調べられるGFP(緑色蛍光タンパク質)などのバイオイメージング技術が進んでいなかったので、分子レベルで何が起きているのかを調べる方法がなかったんです。「1分子を見る」なんて言うと「こいつアホか?」と言われる時代でした。でも、私はなんとかそれができないものかと思って、光の中でもとびぬけて波長が短く、透過力の高いX線を用いれば理論上はオングストロームの空間分解能があるので生きた細胞の中の分子の観察もできるのではないかと考えました。幸い、筑波大学の基礎工学類物理工学系にX線顕微鏡の第一人者である青木貞雄先生がおられたので、村上研に所属しながら青木研にも出入りすることになりました。残念ながらさまざまな技術的課題によりX線顕微鏡では生きたままの細胞の分子の挙動をみることはできませんでしたが、工学やイメージングとはどんなものなのを勉強する最初の機会になったんです。

───先生は、この頃からバイオイメージングの研究に突き進んでいったわけですか?

いや、それが紆余曲折があるんですよ。大学の小さな研究室で発生できるX線ではなかなか難しいと思い始めていた頃、理化学研究所にSpring8という輝度の高い放射光を出す施設をつくるという話が伝わってきたんです。放射光は小さな実験室で発生させることができるX線とは比較にならないほど明るいX線が含まれているので、それをX線顕微鏡に利用すれば、修士課程で実現できなかった分子レベルの空間分解能でバイオイメージングが可能になるのではないかと思いましたね。それで大学院博士課程はSpring8を使えて、しかも発生学の研究ができるところにしようと思ったわけです。それと実はもうひとつ条件があって、当時付き合っていた彼女、いまの妻ですが、つくば市の隣の阿見町に住んでいて、そこからあまり遠くないところで研究したい(笑)。
そうしたところ、脳神経科学の第一人者である御子柴克彦先生が、当時、東京大学医科学研究所の教授であるとともに、理化学研究所ライフサイエンス筑波研究センターでも研究室を持っておられたんです。修士2年の夏に先生をお訪ねすると、「私の研究室に来れば、Spring8だろうがなんだろうが、使い放題だよ!発生の研究もできるよ!」ということでしたし、しかも、当時の御子柴研は岡野栄之助手(現、慶応大学医学部教授)をはじめ錚々たる面々がいて活気に溢れていたので、もうここしかない!と思いましたよ。
幸い東大の院試を受けて合格し、理化学研究所で神経発生に関する研究活動を始めることになりました。ところが、ここでは私が希望したSpring8を使ったイメージングの研究ではなく、遺伝子クローニングやノックアウトマウスのつくり方、あるいは解析方法などを研究することになってしまったんです。半年前に研究室訪問した時にお話しされたことを御子柴先生はすっかりお忘れになられていて・・・。「なんや、話が違うやないか」と思ったのですが、おかげさまで、分子生物学の基礎をしっかり学ぶことができ、私にとって非常に大きな意味がありましたね。

御子柴研有賀グループと岡野栄之研との合同バーべキューパーティーにて(前列右から2番目)

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御子柴研有賀グループと岡野栄之研との合同バーべキューパーティーにて(前列右から2番目)

───では、本格的にバイオイメージングの研究を始めたきっかけは?
宮脇研発足メンバーと隣のThomas Knoffel研との懇親会にて。前列左が永井先生で、その横が宮脇先生

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宮脇研発足メンバーと隣のThomas Knoffel研との懇親会にて。前列左が永井先生で、その横が宮脇先生

やはり、日本のバイオイメージングの第一人者である宮脇敦史先生との出会いが大きかったですね。私が博士を取得する頃、宮脇先生は同じ御子柴研究室の助手をされていて、留学先の米国カリフォルニア大学で行った研究がNature誌に載り研究室内でも大きな話題になっていました。その宮脇先生が米国から御子柴研究室に帰ってきたんです。
私も海外留学したかったし、バイオイメージングの情報も得たかったので、宮脇先生に連絡をとったところ、英語のメールで返事が来た。“Why don’t you come here on coming Saturday?”って。なんかアメリカにすっかりかぶれてしもうとる(笑)と思ったけれど、お会いして話してみると、私が当時興味を持っていたX線顕微鏡の生物応用、発生学、バイオイメージングの世界的動向など、的確にアドバイスしていただいた。その上で「海外留学なんかしても、たいしたことはできない。それより今度、理化学研究所で研究室を立ち上げるから来ないか」と誘われました。
私としては海外留学に魅力は感じていたけれど、せっかく先生からお誘いいただいたのだからと、宮脇研究室に“留学”することにしたんです。

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