公益財団法人テルモ生命科学振興財団

財団サイトへもどる

中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

高1のときに読んだ新聞記事で「ビビビッ!」

———子ども時代はどこで過ごしましたか?

岡山県玉野市の宇高連絡船が発着する港町で育ちました。家のすぐ裏に山があって、野山を駆け回って遊んでいましたね。小・中・高とずっと地元の公立に通いました。高校は田んぼの真ん中にあったんですよ。

———当時、熱中したことは?

小学校のころはバレエと本に夢中でした。図書館の本を片っ端から、それこそ棚の端から順番に借りて読んでいて、特に熱中したのが、ジュール・ヴェルヌのSF小説とマンガ版の「日本の歴史」ですね。

———小さいころに思い描いていた将来の夢はどんなことでしょう。

小学校のころはバレリーナに憧れたこともあったけれど、ロシアのすばらしいバレリーナなどを知るにつけ、無理だなぁと。幼稚園ぐらいのときに両親の知り合いだった女性の植物学者に会って、「研究者ってかっこいいな」と思ったこともありました。

———中学生時代はいかがですか。

陸上競技部に入って、短距離走やハードルに取り組みました。夏休みを返上して毎日練習して、真っ黒に日焼けしていました。もともと、何かにハマって一生懸命やるのが好きだったんです。一生懸命やれば上手になるじゃないですか。それが楽しかった。生徒会活動にも夢中になって、校則が非常に厳しかったので、戦略を立てて校則改正活動に取り組んだり…。青春でしたね。

中学時代の部活。校庭でハードル走の練習

———高校でもハマったものがありましたか?

高校時代は将棋部で、これもまた熱中しました。

高1のころ、クラスメートとともに。後列左から3人目、Vサインをしているのが河野先生

———バレエに陸上に将棋、かけ離れている気がしますけど?

一見、かけ離れているように思えるかもしれませんが、技術を習得してうまくなるというところは全部一緒なんですよ。バレエも陸上競技も、体の動かし方を最適化していくみたいなところは同じですし、将棋にしても、定石というか、ロジックをいかに組み立てるかが重要です。筋肉と脳と使うところは違っても、技術を身につけて努力することで伸びていく。そこに充実感がありました。

———もともと、理系志望だったのですか?

中・高校時代の得意教科は国語と英語で、理系に進むとは思っておらず、国文学をやろうかなと思っていたくらい。それが高校1年生のとき、東京大学の浅島誠先生のアクチビンの研究*の記事を新聞で読み、「サイエンスをやろう!」と心に決めたのです。

*浅島先生の記事「細胞の不思議~ヒトのからだができるまで」を読んでみよう!
アニメーション https://www.terumozaidan.or.jp/labo/class/02/slideshow.html
インタビュー  https://www.terumozaidan.or.jp/labo/class/02/interview01.html

———どんな内容の記事ですか?

浅島先生が発見されたアクチビンの働きによって、試験管の中でイモリの卵から拍動する心臓ができるということが紹介されていて、衝撃を受けました。
ちょうどそのころ立花隆さんの『脳死』という本を読み、脳死からの臓器移植については倫理的な問題がいろいろあると感じていたのですが、試験管内で心臓を作ることができるなら倫理的な問題が回避できるはずだと思いました。そして「これを東京大学で研究したい!」と、まるで雷に打たれたみたいにビビビッと感じて、それまではのびのびと遊んでいたんですが、そこから必死に勉強をがんばって、東京大学に入りました。そして1,2年の教養学部時代に、なんと、浅島先生と立花さん、お二人の講義を受けることができたのです。

———どんな講義でしょう?

浅島先生の集中講義は、実際に自分でイモリの動く心臓を作るというもの。動いたときはもう、超感動しました。
立花隆さんは、私が東大に入った1996年に、教養学部で「調べて書く」をテーマとした立花ゼミを開講されたのです。人気のゼミだったのですが運良く入れていただくことができて、いろいろな活動をしました。一番思い出深いのは、誰でもいいから自分の興味のある人に二十歳のころの思い出をインタビューするという課題で、ゼミ生たちの成果は、『二十歳のころ』として新潮社から1998年に出版されました。
高校生のころの2つの夢がいっぺんに叶ったという感じでしたね。

駒場キャンパスにて。立花ゼミで活動を始めた1年生のころ