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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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6年半の留学生活で、研究者としての基盤を鍛えられる

———博士号を取ったあと、ハーバード大学医学部ダナ・ファーバーがん研究所のディヴィッド・ペルマン教授の研究室に留学されますね。留学先はどのように決めたのですか?

共同研究していた吉田さんがペルマン研で博士研究員をされていて、そのご縁です。
といっても、私、大矢研の中ではできない方の学生だったので、「ペルマン研に応募したい」と言ったら、大矢先生からは「君は無理だからやめておいたほうがいい」と言われていたんです。たしかに完全に実力不足だということは自覚していたのですが、どうしても研究のメジャーリーグといえるラボで自分を試してみたいという気持ちが強く、面接を受けたところペルマンは気に入ってくれて、「来てもいいよ」ということになりました。

———チャレンジしてみるものですね!

早速、大矢先生に「オファーもらいました!!」って報告したら、聞き間違えたようで「え?ごはんもらった?よかったね」みたいな感じで…(笑)、あとでオファーだと知ってビックリなさってました。とはいえ、無理だという大矢先生のおっしゃる通りで、行ってからさんざん苦労したんですけど…。

———ペルマン研ではどうだったんですか?

本当に勉強させてもらえましたね。今の私があるのはペルマンのおかげと言えます。

———どんなボスでしたか?

彼はめちゃくちゃ頭が切れるタイプで、しかもものすごく情熱的なんです。人生のすべてをかけて研究に打ち込んでいて、自分がそういう真摯な姿勢なものだから、ラボメンバーのわずかなスキも許さないし、とても厳しい。でもそれはサイエンスだけを見ているからで、非常にフェアなんですよ。
私は女性だし、日本人、なおかつサイエンスのヒエラルキーとしてはだいぶ下の方なんですが、だからどうということはなくて、出てくるデータがいいかどうか、エビデンスとして強いか弱いかというファクトだけを彼は見ている。ですからしょっちゅう怒られていましたが、おかげでそれが本当に身になりました。
彼は、何がサイエンティフィックに重要なクエスチョンで、どういうエビデンスが信頼性が高いかということを見抜く目にかけては天才的で、私の現在の研究者としての基盤はここで学んだといえます。

ぺルマン先生とともに

ぺルマン研のメンバー。多国籍で多様性にあふれた環境だった。一番右がぺルマン先生、後列右端が河野先生

———ぺルマン研での思い出を教えてください。

とにかく、新しいデータが出るたびにペルマンの部屋に飛び込んでいって見てもらうんです。妥協がない人なので、データそのものや解析手法、論理展開に少しでも足りない部分があると、こっぴどく怒られるんですね。それを、部屋を出るまでは歯を食いしばっているんだけど、部屋を出た途端、バーッと女子トイレに走っていって「ウワーッ」と泣く。そうすると、仲のいいラボメイトが察してペーパータオルを抱えてきてくれて、トイレの洗面台の前でよしよしとなぐさめてくれる。そんな毎日でしたね。

女子トイレで泣いていたときにペーパータオルを抱えて来てくれたラボメイト。左はシンガポール人、中央は台湾人

———目に浮かぶような過酷さですね。

留学中は、夜中まで実験があっても帰り道が危なくないようにと、ラボの隣の高層ビルの21階に住んでいました。すごく怒られた日は目が冴えてしまって眠れない。ボストンの寒い冬の夜、雪が降りしきる中、窓を開けて、今飛び下りたら楽になるよなーみたいな…(笑)。それぐらいすごく落ち込むときもあったけれども、それでも朝になれば必ずデスクに行って、またデータが出ればペルマンのところへ。彼に見せないという選択肢もあったとは思いますが、私はそこで諦めずに、毎日のように怒られに行ってました。そこでがんばれたからこそ今があると思っています。

———そのときはどんな研究に取り組んでいたのですか?

酵母の細胞表面に小さな傷がついたときに酵母がそれをどうやって治すのかという、細胞膜の損傷を治すメカニズムの研究です。

———それは最初から決まっていたテーマですか?

細胞膜の損傷というテーマは、与えられたものではなく、途中から私の希望で始めたもので、実はぺルマン研に先輩でいた吉田さんの失敗実験がきっかけだったんです。

———どんな実験ですか?

彼は光を細胞に当ててタンパク質の動きをみる実験を行っていて、そのとき間違って強い光を当てすぎるとプロテインキナーゼC(PKC)というタンパク質が集まってくることがあるという話を、ラボのお茶の時間にしてくれたのです。PKCというのは膜修復のタンパク質です。吉田さんは「強すぎる光を当てて失敗した」とおっしゃったんですが、私は直感で「あっ、これは膜修復だ!」と思いました。

———すぐにひらめいた。

これまで、顕微鏡下でカエルやウニの卵にガラスニードルで穴をあけると、そのまわりにRhoやPKCが集まってくるという研究はあったんです。でも、カエルやウニの卵は大きいけれど、酵母は5マイクロメートル程度ととても小さく、ガラスニードルでブスッと刺すわけにもいかず、穴をあける研究はできないと思われていました。ところが吉田さんの失敗談を聞いて、レーザーの光を当てれば研究できるのではないかとひらめいたわけです。そこから始まったのが膜の損傷の研究でした。

———それが今のテーマとの出会いだったというわけですね。

私の研究って、いつもこういう感じなんですよ。たぶん研究者は2種類いて、1つは、すごく頭がよくて、だいたいゴールが見通せて、仮説を立ててその通りのゴールに到着するというタイプ。もう1つは、先の見通しが甘くて、全然思った通りにならなくて、フラフラしているうちに全く予想していなかったようなことが見つかって、最初の予定とは全然違うゴールに到着するタイプ。昨今の研究者としてのキャリアパス事情を考えると、おそらく前者のほうが確実にポストを得やすいはずですが、私は後者のほうで、北極に行きますといって出発し、南極に着くみたいな仕事ばかりやってます(笑)。

———でも、後者のほうがおもしろいですよね。

そうなんですよ! おもしろいんです。でも、論文の数はすごく少ない。私、道に迷ってばかりいるから(笑)。

———ひらめいたあとは、すんなり研究が進んだのですか?

どのように実験を組むか、レーザーの光の揺らぎをどのように調整すれば再現性よく、毎回同じ大きさの穴があくかなど時間はかかりましたが、細胞修復の様子が目で見てわかったときは、心臓がドキドキして、「きたーっ!」とテンションが上がりましたね。

———ぺルマン先生の反応はいかがでしたか?

データを持っていったら、もう一緒に「やったぞ!」と大喜びしてくれました。本当に、怒るのも喜ぶのも全力。この研究は2012年に「Cell」に載りました。

細胞表層が局所的に損傷を受けると、娘細胞に集まっていたPkc1やV型ミオシン(Myo2)などの極性制御タンパク質がばらばらになり、やがて損傷部位に蓄積する。そのプロセスで、アクチン線維の重合にはたらくタンパク質のひとつBni1が分解され、もうひとつのタンパク質のBnr1が損傷部位に集まり、損傷部位で新たな細胞壁が合成され傷が治っていく。