公益財団法人テルモ生命科学振興財団

財団サイトへもどる

中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

小さいころから虫採り三昧(ざんまい)

———生きものへの興味は何歳ごろからありましたか?

たぶん、生まれたときからじゃないですかね。実家は東京杉並区にあって、京王線の明大前駅の近くで、住宅地のど真ん中でした。森も田んぼも畑もなく、自然環境はとても貧弱だったのですが、なぜか小さいころから夢中になって生きものを追いかけていました。
今でもそうですが、どこかへ旅行に行ったりしても、そこでどんなものを見たかとか、どんな人と話したかより、どんな虫を採ったかということのほうが強く印象に残っています。これまでの記憶の多くも、そのときに出会った虫に結びついています。おそらくぼくにとって生きものは、世の中を認識するための起点で、それって、何かの影響というより、結局は生まれつきなんじゃないかと思います。

———虫採りに行ったのは近所の公園ですか?

近所に玉川上水公園という、玉川上水の跡に蓋をしてできた公園があって、幼いころはよくそこで虫採りをしていました。ところどころにある草ぼうぼうの場所を見つけては虫を捕まえて、ちょっと珍しいのを見つけると大喜びでした。実家に小さな庭があるんですが、花壇や木々にも結構いろんな虫がいました。カタバミにはヤマトシジミ、ミカンにはクロアゲハ、地面を見ればトウキョウヒメハンミョウやノミバッタ、睡蓮鉢を置いた水盤にはトンボのヤゴやツマグロオオヨコバイなど、いろいろな生きものを観察していました。

玉川上水公園の前で。小学校1年生のころ

今も実家の庭にある苔むした石造りの水盤。ウキクサに覆われメダカが泳ぐ。2021年6月撮影

———子どものころに読んだ本で、影響を受けたものはありましたか?

小さいころから本の虫で、暇さえあれば片っ端から読んでいましたが、最も影響を受けた本といえば『ファーブル昆虫記』ですね。幼稚園の年少のときに、偕成社版『ファーブル昆虫記』の第4巻「かみきりむしの生活」を叔母が買ってくれたんですが、それを一気に読破して、ほかのも読みたいと親にねだって6巻全部を揃えてもらい、それこそ擦り切れるほど読みました。岩波文庫版『ファーブル昆虫記』全20冊や、奥本大三郎さんが全訳した『完訳ファーブル昆虫記』(集英社・全10巻20冊)は、今も机の前に全部揃っていますよ。

———幼稚園で『ファーブル昆虫記』を読むなんてすごい!

もう一つ、小学校1年生のころに父からもらった本で強烈だったのが、ジェラルド・ダレルの『積みすぎた箱舟』ですね。ナチュラリストの著者が若いころ、アフリカのカメルーンに行って英国の動物園や博物館のために野生動物を収集する話ですが、手つかずの大自然の中で、一緒に出かけた相棒や現地の人達を巻き込んでさまざまなトラブルに見舞われながらも動物を捕まえるのがおもしろくて、いったい何度読んだことか。ぼろぼろですが今も手元にあります。講談社文庫版でふりがなもなく、7歳には読めない漢字だらけでしたが、この本をむさぼり読むことで漢字の読み方を覚えたようなものです。

ぼろぼろの『積みすぎた箱舟』。奥付に昭和48年2月15日第1刷発行とある。

———スポーツなどは?

4歳のときに母親にいわれて剣道を習いはじめ、それなりに強かったので中学校でも剣道部に入ったんですが、本当にやりたいのは虫採りだと思うようになりました。2段の昇段試験を受けた高校1年の夏、合格した翌日に退部して、すぐに生物部に入り直し、それからは虫採り三昧でした。

剣道を始めた4歳のころ

———生物部だと、採った虫についての研究発表などもしたんですか?

いや、ひたすらおもしろい虫、捕まえたことのない虫を追いかけまわしていましたね。部員の中には、文化祭のときなんかにまじめに研究発表する人もいましたが、ぼくはひたすら図鑑でしか見たことがないような珍しい虫に出会いたい一心で、ここに行けばいるんじゃないかと、ワクワクしながらフィールドに出てばかりいました。

———どんなところへ?

一番行ったのは高尾かな。環境が良くていろんな虫に出会えて、しかも行きやすかったので。高校があった国立からはJRで高尾まで直通で行けたし、実家のある明大前からだと高尾山口まで京王線1本でしたから。そのうち中央本線で高尾の先の藤野、上野原あたりに出向くとまたいい場所がたくさんあるし、さらにその先の初鹿野(現在は甲斐大和に改称)から大菩薩山麓まで繰り返し足を延ばすようになりました。

丹沢塔ノ岳山頂にて。中学時代

———高校時代に見つけた昆虫で、思い出に残るのは?

いろいろあるんですが、高1の夏に初めて泊まりがけで採集旅行に行ったとき、中央本線に日野春という山梨県の田舎駅があるんですが、そのあたりは一面のクヌギ林になっていて、オオムラサキの多産地として有名です。樹液が出ているクヌギの幹には10匹以上のオオムラサキが群がっていて、近づくと目の前で青色のチョウが一斉に飛び立つのが壮観でした。クワガタムシやカブトムシもたくさん採れるし、オオクワガタの産地としても知られています。そういうところで虫採りをしていたときに、オレンジ色の小さな虫が飛んでいて、網で掬ってみたらスネケブカヒロコバネカミキリだったんです。西南日本には結構いるんですが、東日本では珍しくて、そのとき採ったのが山梨県で2例目の記録ということで、「月刊むし」という雑誌に投稿して掲載されました。学術論文とはいえませんが、ぼくの発見が印刷物になったのはそれが最初のことでした。

高校1年の夏、剣道部をやめて人生初の泊まりがけの採集旅行。清里ユースホステルにて(右から2人目)。

そのときのスネケブカヒロコバネカミキリの標本は今でも大事に保管してある。