公益財団法人テルモ生命科学振興財団

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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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小さいころから勉強大好き。

———ご出身は?

大阪府の和泉市です。高校3年まで住んでいました。

———小さいころはどんなお子さんでしたか?

4人きょうだいの末っ子で、上とけっこう年が離れてまして、私が小学校に入学したとき一番近い兄が6年生。ですから末っ子かつ一人っ子みたいな感じで、だいぶ甘やかされて好き勝手しながら育ちましたね。

———勉強が大好きだったとか。

小学生のころから勉強が大好きで、4年生のとき、親に頼んで学習塾に通い始めました。中学受験をするような環境ではなかったので、純粋に学校プラスアルファの勉強がしたかったのです。運動、芸術方面は全然ダメで、ほかの人より唯一秀でていたものが勉強だったので、勉強が好きになったのだと思います。昔から数学、理科が得意でしたね。数学って暗号のようなもので、初見では1行も理解できないのに、内容を理解したあとはスラスラ解けるようになる。それが快感でした。

———部活などは?

中学校では水泳部に入っていました。まっくろくろすけになりながら、中3までやり切って、平泳ぎで地区予選を突破するぐらいまではいきましたね。今でも5kmくらいなら遠泳できると思います。

———中学生のころ、将来の目標として何か思い描いていましたか?

特にこれという目標はありませんでした。地元のトップ校が府立三国ヶ丘高校で、「その高校をめざしてがんばるぞー」という感じで、ずっと勉強してました。特に趣味も勉強以外の興味もなかったので。

———高校生活はいかがでしたか?

高校では生物部に所属しました。でも、研究者になったこととは、まったくつながっていません。ほとんど活動していない部で、たまに部活にふらっと寄って先輩としゃべって終わるみたいな部でした。高校一年生から地元の塾に通って、勉強ばっかりしていたので高校時代の思い出はほとんどありません。あ、友達はいましたよ。そうそう、2年生のときだったかな、友達と、テレビ局が主催する「高校生クイズ甲子園」の予選に出たことがあるんです。1回戦で敗退しましたが、そのとき「ああ、高校生らしいことをしたな」って初めて実感しました(笑)。

———志望する学部はどのようにして決めましたか?

理系であることは間違いなかったです。受験競争にガッツリ揉まれていたので、偏差値の高いところを狙っていました。最終的に医学部に行こうと思うようになった一番のきっかけは、高3のときの物理の先生の「お医者さんはずっと勉強するもんやで」というひとことです。勉強好きでしたし、医学部なら手に職をつけられるしバッチリだなと。

———勉強が大好きだった村井先生には物理の先生の言葉がピッタリだったんですね。

恥ずかしながら、「患者さんを救いたい」というのではなくて、純粋に一生勉強ができて、それでお給料もらえるのはいいなと思って医学部に決めたんです。実際には大人になると、そこまで勉強は好きではなくなって(笑)、今の自分は高校のときと比べてどうなん?という感じもあるんですけど。

———そして見事、大阪大学医学部医学科を受験して現役合格。

合格最低点+0.6点で滑り込んだそうで、ラッキーでした。人生の分岐点の一つとなりました。思い出すと笑えるエピソードですが、私は物理・化学を選択して入試を受けたんですね。合格して思ったのは、これから医学を学ぶのだから生物が大事だと思って、合格発表の後に本屋に寄って、生物の参考書を買って帰ったんです。それぐらい勉強好きだったんですよ(笑)。結局、その参考書は開かずに終わりましたが。