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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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バドミントン一色の大学6年間を経て、整形外科医から研究の道へ

———大学入学後は?

バドミントン部に入りました。初回の練習から、楽しさにハマってしまい、それからはバドミントンの練習ばかりしていました。バドミントンはハードなスポーツなので、体力づくりに万博公園の外周を一周ならぬ二周したりもしていました。

———バドミントンを選んだのはなぜですか?

バドミントンは高校時代に体育の授業で1、2回やった程度だったんですが、高校の卒業文集に「大学に入ったらテニスかバドミントンをする」と書いていたので、どこかの時点で興味を持っていたのだと思います。テレビで陣内貴美子さんの試合を見たことなどが影響しているのかもしれません。

———部活ですか、同好会ですか?

医学部バドミントン部で、医学部公認の学生団体です。西日本医科学生総合体育大会とか近畿東海医科学生体育大会などの大きな大会もありました。

———すると練習もけっこうハードだったのでは?

はい。もう私、すごくハマってしまって、大学時代を100としたら75はバドミントン。あとの20がアルバイトで、勉強は残りの5です。暇さえあれば、同級生とボロボロのシャトルで、吹田キャンパスの体育館で球出し練習をしていました。

———なぜそんなにハマったのでしょう?

わかりませんが、バドミントン好き遺伝子がそのころ作動するようにゲノムに組み込まれていたのではないでしょうか(笑)。もともと向上心は強い方ですし、寝ても覚めてもバドミントンのことを考え、ひたすら練習していました。最終学年では西日本の学生大会で団体3位、近畿東海の大会でシングルス2位の成績を収めました。高校時代は勉強一筋でひ弱だった私も、バドミントンに目覚めたおかげで、体力・気力・根性がつきました。

———大学を卒業して医師免許をとり、整形外科医となったわけですが、整形外科を選んだのはなぜですか?

6年間、勉強よりもバドミントン一色だったので、体力・気力・根性にはすごく自信があったんですよ。それを活かせるのが整形外科かなと。いまは医師免許をとったあとに研修医として2年間各診療科を回ったあとに自分が進む科を決めるのですが、当時は1年目から科を選べて、それぞれの科が医局勧誘会をするんですね。整形外科を回ったときに「君の性格だったらウチしかない」と誘われたことや、阪大整形外科が女性医師歓迎のとてもフラットな雰囲気があった点も背中を押してくれました。

———研修医時代の思い出は?

1年目は阪大附属病院、2年目は広島県呉市の(当時)国立病院で、3年間みっちり研修医をしました。でもこれがしんどくて、思い出しても絶対戻りたくない3年間です。寝る時間もないほど忙しくて、プレッシャーもあってつらい毎日でした。看護師さんから「パンツ洗ってあげるで」と言われたほどに、徒歩3分の自室に帰る時間もなくて。もちろん人の命を預かるのですからプレッシャーがあって当然といえば当然なんですが…。病院勤務の厳しさに打ちひしがれました。あれから20年経っても、いまだに夢に出るくらいです。

———3年間の研修医のあと、大学院に進みます。

研修医の間は、大学院で研究するというシステムがあることさえ知らなかったんです。「院を希望しますか?」というアンケートや、「院に行く?」という話がまわりから聞こえてきて、大学院という選択肢があることを意識しました。ちょうど研修医を3年間やって、手術も少しはできるようになったころです。整形外科医としてのキャリアを中断して院に進むべきかどうか迷いました。ただ、学会に出席しても、症例報告なら理解できるのですが、病理の話や基礎医学の話がチンプンカンプンで、「もっと学ぶべきことがある」と思うようになって、大学院で勉強するのもいいなという気持ちが強くなっていきました。当時医学系研究科で助教を務めていた名井陽先生(みょうい・あきら、現・大阪大学医学部附属病院未来医療開発部未来医療センター長)が「広い世界に自分だけしか知らないことがあるって、すてきジャン」とアドバイスをしてくださって大学院進学を決意しました。

———研究室はどうやって選んだんですか?

当時の整形外科教授(吉川秀樹先生)の推薦で、大阪大学大学院医学系研究科で助教からのちに独立准教授になった妻木範行先生(現・京都大学iPS細胞研究所教授兼大阪大学医学部教授)のところへ行きました。妻木先生は軟骨代謝の研究がご専門です*。軟骨はとても特殊な組織で、血管がなく、数十kgもある人間を何十年間も支える耐久性と弾力性を持つ不思議な組織です。その不思議を生み出すための特殊な遺伝子が軟骨だけで発現する(タンパク質になる)のですが、そうした遺伝子の機能を調べる基礎研究を行っているのが妻木先生でした。

*妻木先生の研究についてはこの記事を参照
フクロウ博士の森の教室 シリーズ1 生命科学の基本と再生医療 第29回
「ダイレクト・リプログラミングとは」
アニメーション
妻木範行教授 インタビュー

———基礎研究はいかがでしたか?

いやー、ハマりましたね。私は、細かい同じような作業をひたすら続けるのが好きなんです。集中力もありますし、勉強好きの感覚が戻ってきて、研究に向いていると実感しました。単調な繰り返し実験であっても、それを行う意味を常に考えながら、結果と向き合うことへの違和感がまったくなかった。だから例えばPCRのサンプルが128個あったとしても「ヨッシャー!きょうもPCR回すか〜」と、朝からハイテンション。すごく楽しかったですね。

———妻木先生はどんなタイプの研究者でしょう?

とてもきっちりした方で、新しい実験の手法をどんどん学ぶことができました。最初にしっかりした先生についたことは、のちのちのためにも大事だったと思います。

———博士論文は順調に書けましたか?

それが5年半かかったんですよ。3年で論文を書いて4年目で学位を取るのが理想ですが、私はなかなか研究成果がまとまらず、5年目は結構辛かったです。