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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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世界がなんぼのもんじゃい!とアメリカ留学

———臨床か、研究の道かをどのように決断したのでしょう?

通常、医師免許を持っている人が学位を取得した後は、大学病院で研究を続けつつ臨床もするか、市中病院で臨床経験を積むかのどちらかです。私は、5年半かかって論文をようやく1本書いたわけで、ゆめゆめ基礎研究に向いているわけではなかったのですが、なぜかこの時点で生命現象の不思議にもっと踏み込みたい気持ち、最前線の基礎研究に携わってみたい気持ち、留学してみたいという気持ちが合い重なって、基礎研究を続けることにしました。

———研究室はどのように決めたのですか?

大学院5年目の陰鬱としていたときに、阪大医バドのOBOG会に参加したところ、偶然にも(当時)京都大学医学部放射線遺伝学講座教授の武田俊一先生に出会いました。自己紹介で「学位が取れるかも怪しいけれど、基礎研究を続けたい」と話したところ、武田先生が「じゃあうちに来たら」と言ってくださったんです。武田先生は海外の研究室と共同研究を多数されていて、海外留学先も紹介できるよ、とのことで私には運命的な出会いとなりました。

———それまでとはまったく違うテーマで戸惑いはありませんでしたか?

武田先生のご専門はDNA修復です。DNA修復の分野は歴史が長くて、生化学実験、酵母を用いた研究が多数あります。私はそれまでマウスやヒト細胞の論文ばかり読んでいたので、酵母の論文は当初暗号のようでした。最初は知識が追いつかず苦労しましたが、3カ月くらいその分野の論文を読み続ければ何とかなるものですね。いつのまにか違和感なくDNA修復の研究をしていました。

———武田研でポスドクを始めた翌年には留学されていますね。

武田先生から「アメリカのダナファーバー癌研究所と共同研究をやっているから行かないか」と言われ、東洋紡百周年記念バイオテクノロジー研究財団の海外留学研究助成に応募したところ、運良く1年間の助成をもらえることになって、アメリカへの留学が実現しました。西洋文化ってなぜかかっこよくて、英語でしゃべられるだけで圧倒される感じってありませんか? 私にはあって、なので「世界がなんぼのもんじゃい!」と挑戦的な気持ちで海外留学を決めました。

———共同研究ということは、留学先での研究テーマが決まっていたわけですね。

武田先生の研究室では、DNA修復に関わる遺伝子の機能を、「ニワトリBリンパ細胞株(DT40)」というユニークな細胞を用いて解析する技術を確立していました。今はCRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)という新しい遺伝子改変技術が登場して、種を問わず遺伝子ノックアウトができる時代ですが、当時は脊椎動物で遺伝子を比較的簡単にノックアウトできるのはDT40だけだったんですね。ダナファーバーのAlan D’Andrea教授が「DT40を使ってファンコニ貧血という病気の研究がしたい」ということで、私がDT40を片手に共同研究者として参加しました。

———いきなりのアメリカ留学で、英語でのコミュニケーションの問題はありませんでしたか?

最初は聞くのも話すのもイマイチでした。でも、Amazonで取り寄せたスピーキングの本でトレーニングをしていたら、3カ月ぐらいで話せるようになってきました。日本の英語教育で単語力と文法力はしっかり身についているので、あとは日本語から英語にすばやく直す練習をするだけ。何を主語にするかの判断がつけば、あとは勝手にフレーズが出てきます。スピーキングのハードルは思っているより低いんです。サイエンスの世界なので、かっこよく話すことよりも、正しい文法ではっきり伝えることを目標にするとよいですね。
一方、リスニングは1人では上達しません。私にとってラッキーだったのは、ダナファーバーの同僚パトリシアが、超がつくほどおしゃべりだったことです。「アイスクリームを昨日何個食べた」みたいな話が、放っておいたら止まらない。うるさく感じる人もいるかもしれませんが、私にはすごくありがたくて、ただ相槌を打っていただけなんですけど、だいぶリスニングを鍛えられましたね。

先生が繰り返し練習したというテキスト。日本語を見ただけで、瞬時にその英語のフレーズが出てくるようになるまでトレーニングする。

———1年経ってその後は?

ダナファーバーのAlan D’Andrea教授は「この後もウチで研究するか?」と言ってくれましたが、その前にNIH(米国国立衛生研究所)に留学する人を対象とした日本学術振興会の海外特別研究員制度に応募していて、幸運にも採用されたので、NIHで研究することにしました。

2009年11月6日ダナファーバー癌研究所で実験中