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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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中学のころから「人間の研究がやりたい」

———ご出身はどちらでしょう。

東京で生まれましたが、父の仕事の関係であちこちに引っ越しています。幼稚園のときは九州で、小4のときに水戸、小5で東京、中学3年の夏に栃木、高3は鳥取へ。高2の終わりに試験を受けて、米子東高校に編入しました。

———どんな子供でしたか?

小学校から高校まで5回も転校したということもあって、おちゃらけてましたね。そうするとすぐに受け入れてもらえる。もともとそういう性格だったのか、途中で身につけたのかはわかりませんが。

———生物学に興味を持つようになったのはいつごろからですか?

中学生ぐらいから、何となく生物学を意識していました。理科の授業でフナとかカエルを解剖するじゃないですか。でもぼくは、やっぱり人間だよなと思って、高校1年のときには医学部へ行こうと思うようになっていました。別に医学部に行かなくたって人間の研究はできるんですけど、あのころはそのようなことを何も知らなかったし、人間の研究をするなら医学部だろうと思ったんですよね。

———中学・高校時代に熱中したことは?

部活は中学のときは野球で、高校はバレーボール。音楽も好きで、高3のときの文化祭で、仲の良かった友だちがギターが得意だったので、2人で舞台に立って、彼がギターでぼくは歌を歌いました。題名は忘れましたが、そのころはやっていた伊勢正三の歌でした。

中学校時代、修学旅行で奈良へ

———大学はどのように選んだのですか?

父の勤め先の本社が東京にあり、そのうち関東に戻るということで、関東の大学で入れるところをと選んだのが千葉大でした。たまたま高校1年のとき、教室に卒業した先輩が置いていった『蛍雪時代』(旺文社発行の大学受験雑誌)があり、パラパラっとめくったら巻頭グラビアが千葉大を紹介する写真と記事でした。ぼくが入学する年に大学病院が新しくなって東洋一の新病院がオープンすると書いてあって、それなら千葉大に行こうかなと。単純な理由でしたね。

———医学部だけど、医者ではなく、研究者になろうと考えていたということですが、研究者になろうと思った理由は何ですか?

人の研究がしたかったというのが理由で、生物の不思議みたいなことに興味がありました。ぼくはちょっと変な子だったというか、死体などにも興味があって、動物の死体は見ているけれど人間の死体は見たことがない。栃木に住んでいた中3のとき、無縁仏がお寺に安置されているという話を聞いて、1人で行くのは嫌なので友だちを誘って見に行こうとしたけれど、その友だちが「気持ち悪いからいやだ」というので結局、行かなかったことがあって、そのころから生命の不思議を探りたいという思いがありました。

———研究者をめざしながらも、大学卒業後は、麻酔科の臨床医になっていますね。なぜですか?

大学を卒業したのは1983年で、当時は基礎研究に行く人ってほとんどいなかった。ぼくも卒業と同時に麻酔科に行ったわけですが、それにはいろいろなしがらみがあって・・・。