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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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高校時代の留学で周期表に出合い、化学に興味を持つ

———高校時代にアメリカに1年間留学されます。留学しようと思ったのはなぜですか?

成績が悪かった中で、唯一の強みは英語だと思ったものの、私の英語はしょせん小学生の英語で、大人の英語とは到底いえないと気づいたのです。このままだと英語さえも自分の強みではなくなってしまうという危機感と、もう少し刺激がほしいという思いもあって、留学を決めました。単位を認定してもらえる制度があって、留年する必要がないことも大きかったですね。

———留学先はどちらでしょう?

ミシガン州です。よくも悪くも田舎で、以前住んでいたニューヨークやアトランタと違うタイプの、トランプ政権を全力で応援している人たちも非常に多い、アメリカのベースラインを形づくっている人たちが暮らす街でした。でもそういう人たちがどんなバックグラウンドでどういう考え方を持っているかを知ることができたのは、その後アメリカで研究生活を送るうえでもプラスになったと思っています。

———ホームステイをしたのですか?

私を受け入れてくれたのは、小学校低学年から中学生までの3人の子どもがいるシングルマザーの家。レストランで働いていて、生活はかつかつ、家も一つの部屋はまだ屋根もできていないという状態でした。
いろいろな人から、「あまり環境がよくなさそうだから、ホームステイ先を変えてもらったほうがいいのでは?」とアドバイスされたのですが、私はそのままとどまりました。なぜって、その家族にとってはボランティアであって特に何の恩恵もない。それでも留学生をまる1年間も受け入れようとするのは、きっと何かを変えたいと思っているからではないか。留学って、何かを得るために行くものだけど、そのとき私は、得るだけでなく、誰かに何かを与えられるかどうかということも試されている、と感じました。私が1年間いることで、相手の家族が何かを変える発端になるかもしれない。そういうマインドを持って留学してみようと思いました。

———実際、行ってみてどうでしたか?

ホームステイ先のお母さんは、しゃべればしゃべるほどホントに人間味の強いお母さん。ボーイフレンドが家にやってくることもあって、あの人はやめたほうがいいんじゃないか、と意見を伝えたりすることも。子どもたちもすごくなついてくれました。私は一人っ子だったので妹や弟ができた感じがして楽しかったし、その家族とは今でも仲よくしています。

留学時代、クラリネット仲間とともに(左)

———教科で好きだったものがありますか?

化学の授業で周期表を見たときに衝撃を受けました。覚えられるぐらいの数しかないのに、ここに載っている元素の組み合わせによってすべてのものが成り立っていると知ったとき、なんだか周期表が神々しいものに見えたんです。
たとえば、炭素には結合する4つの手があって、手のつなぎ方が違うだけで、鉛筆の芯の黒鉛になったりダイヤモンドになったりします。私たちの身体も、1個1個の細胞が集まって組織になり臓器になって、それらがリンクして個体ができて、呼吸したり、記憶したりしているけれど、人体の大部分は周期表の中にあるCとHとNとOとで占められているんです。感動しましたね。

———それで化学に興味を持った?

はい。これは探究しがいがあると思って、日本に帰って理系クラスと文系クラスに分かれるときに、理系を選びました。

———大学選びはどうされましたか?

研究をやりたいと思ったけれど、研究者ってどうやったらなれるのかよくわからない。お医者さんが研究もしているという話を聞いたことがあったので、国立大学の医学部を受けました。でも、センター試験(現在の大学入学共通テスト)で国語の成績がよくなくて、1年浪人して東京理科大の応用化学科に入りました。