公益財団法人テルモ生命科学振興財団

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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

座敷でカエルのジャンプ大会

———ご出身はどちらですか?

生まれは神戸ですが、1歳になる前に父の転勤で東京に引っ越しました。以来、大学までずっと東京です。

———小さいころはどんな子供でしたか?

生き物に興味を持っていました。小学校に上がる前ぐらいから、将来は動物園の園長さんとか生き物の関係の仕事をしたいなと思っていたほどです。

———そのころの宝物は?

動物の図鑑ですね。小学館から出ている子ども向けの図鑑で、ヒマさえあれば図鑑を開いて、繰り返しページをめくっているうちに本がバラバラになってしまい、同じ図鑑をもう一度買ってもらったり…。

4-5歳のころ。風呂敷をマントのようにつけてもらって得意になっている。

———どんな生き物が好きだったのですか?

テレビ番組で見るアフリカの野生動物などにワクワクしていました。住んでいたのは都会なのでまわりにはあまり自然はありませんでしたが、庭に出ては石をひっくり返して、隠れている虫を観察していましたね。庭に父が池を作って金魚を泳がせていたんですが、そこに春になるとヒキガエルがやってきて卵を産む。それを10匹ぐらい捕まえて、座敷にタライを置いてそこで飼って、兄弟でカエルのジャンプ大会をさせて遊んだりしたことも。

———座敷でそんなことして、よく叱られませんでしたね!

不思議なことに母はそれを笑って見ていましたね。縁日でヒヨコを買ってきて育てたいと言ったら、庭に小屋を作ってくれたのも母でした。

———どんなお母さんだったんですか?

特別な仕事とかキャリアがあるわけでは全然ない専業主婦です。戦争で両親をはじめほとんどの家族が亡くなってしまい、生き残った妹と一緒に親戚に預けられて育ったそうです。そのためか、小さいころから自立心というか反抗心が強く、なんでも自分でやってやろうというところがあって、家具なんかも電動丸ノコを買ってきて、弟の勉強机などは母が作りました。いま思うと、学校の先生や本を読んで影響を受けたというより、何にでもがんばる母の影響がけっこう大きかった気がしますね。

私(中央)と兄と弟。着ているワイシャツは母が縫ったもの。

———部活など、中学のころ熱中したことは?

スポーツ根性ものにあこがれてバレーボール部に入りましたが、体力的にもたないと悟って1年でやめて、その後はクラスの友だちに誘われたのがきっかけで模型飛行機づくりに熱中しました。エンジンをつけた模型飛行機を2本のワイヤーで操作しながら飛ばす「Uコン」というのが当時ブームで、自分で飛行機を作って多摩川の河川敷などに飛ばしに行ってました。
もっとうまく飛ばすにはどうしたらいいかと、専門誌を買ってきては擦り切れるまで読んで、雑誌に載っている設計図を参考にして、自分で翼とか機体を設計したりもしたし、手で投げて滑空させるだけのグライダーを作って、代々木公園などで飛ばしたり。それから凧にも熱中しましたね。

———和凧ですか?

当時、アメリカからやってきたゲイラカイトなど、輸入物の三角形の凧がはやっていました。カイトはどうして和凧より揚げやすいのか、航空力学的にどうなのかと調べて、どことどこの比率を変えればよく揚がるかとか、そんなことを考えながら大きな立体凧を作っていましたね。

———飛行機とか凧とか、飛ぶものに興味があった?

動物の中では特に鳥が好きだったので、そこはちょっとつながるんですね。鳥がどうして飛べるのかというと基本は物理学で、飛行機などとも共通していますから。
高校では生物部に入りましたが、1階にあった生物実習室が面している裏庭に鳥のエサ台を作ったり、さらにその近くにベニヤ板で人が入れる観察小屋を作ったりして、野鳥の行動を観察しました。ぼくたちが設置した巣箱では、毎年、シジュウカラのヒナが誕生していたんですよ。
当時、平凡社の「アニマ」という動物関連の雑誌に大学の生物学科の先生たちが寄稿している記事を読んで、将来は生き物のいろいろな不思議な仕組みを明らかにしたいと漠然と考えていましたね。

生物の実験室の裏庭に作った鳥の餌台や観察小屋

———生物の研究に興味があったということは、進学では当然、理系志望だったんですか?

それが、数学と物理がちょっと苦手で、テストとなるとむしろ国語や社会のほうが点数がいい。だから好きなのはもちろん生物なんですが、将来的なことを考えると本当に理系をめざすことが自分にできるのだろうかと正直、悩みました。
中学では放送委員会に入っていて、高校でも放送部に所属し、番組を作ったりアナウンスの訓練などをやったりしましたから、アナウンサーになるのもいいかなとも思いました。でも結局は、自分が一番やりたいこと、おもしろいことを選ぼうと、理系の生物分野を受験することにしたわけです。

———どんな観点から大学を選んだのでしょう。

親から「地方に行かせるお金はない」と言われていたので、自宅から通える範囲で国立大学の生物となると、東京大学が候補になります。東大のいいところは、数学がものすごく難しくて数学の平均点が低いこと。数学が多少悪くても、国語や英語でがんばれば挽回が可能だし、国語や英語の比重が理系にしては高いことも、ぼくにとっては有利だったんです。

受験勉強に打ち込む。

勉強机の上の天井の模型飛行機

———東大の理科2類に入ったわけですが、東大は入学の時点では専門が決まっておらず、2年前半までの成績で進路が決まる「進学振り分け」がありますね。

動物学教室の定員は8名と狭き門なので、入学後も受験時代と同じように真剣に勉強しました。ただ、動物学に進めないこともありうるわけで、それで人生が終わりと思ってもいけないと、第2志望は植物学にして、1年生のときは植物関係のゼミをとったり、小石川の植物園に週1で出かけ、おもしろそうなことはないかと見て回ったりしていました。
もちろん勉強ばかりしていたわけではなく、自然科学研究会と合唱団と、2つのサークルに入りました。研究会では生物系の人と論文の輪読会的なことをしていましたし、合唱団では合宿やコンサートがあって、ミサ曲や日本の合唱曲を歌っていました。パートはテノールです。

合唱団の合宿での打ち上げの余興。友達と組んで座布団回しを行い、空中に放り投げ、回転したまま受ける技を披露。

———そして希望通り、動物学教室に進んだわけですね。

はい。自分専用の机があって、専用の顕微鏡を与えられて、授業のとき以外でも飽きることなく顕微鏡でいろんな生きものを見て、とても幸せを感じました。