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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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細胞接着装置の研究の第一人者、月田先生との出会い

———修士課程のときは動物学科でしたが、博士課程は生物化学科ですね。

博士課程でも細胞質分裂の仕組みを形態学的に調べる仕事を発展させたいと考えていました。ただし、修士のときの研究室の教授は、ぼくが博士課程にいる間に退官されるので、よく臨海実験所に来所され、精力的に細胞質分裂の研究を行っていた馬渕一誠(まぶち・いっせい)先生につきたいと考えました。馬渕先生に相談したところ、生物化学の大学院の指導教官になっているので、生物化学にしなさい、ということになったのです。

———博士課程ではどんな研究を?

細胞質分裂のときにアクチンとミオシンが働いて、筋肉みたいなものの構造が一過的にできることまでは修士時代の研究でわかっていたのですが、なぜそういう構造ができるのかとか、そこにできた構造がほかとどう違っているのかといったことは全然わかっていない。それを探究するには、形を見るだけでは難しいかもしれないと考え始めていて、その一方で、技術的にもっと上をめざしたいと電子顕微鏡に関心を抱いていたときでもありました。
そんなときに出会ったのが、馬渕先生と共同研究をしていた電子顕微鏡技術に優れた月田承一郎、早智子ご夫妻です。お二人の研究に共鳴したぼくは、当時、東大医学部の解剖学講座の講師だった月田先生の研究室に出入りするようになり、電子顕微鏡技術を教わりました。そこでは、単に電子顕微鏡技術の習得にとどまらず、まったく新しい世界が開けた感じで、それまでの人生で最高の知的興奮を覚えました。

大学院生のころ。できたばかりの月田研究室のメンバーとの旅行。向かって右が月田先生。

———当時、月田先生はどんな研究をされていたんですか。

月田先生は細胞間接着装置である「タイトジャンクション」研究者の第一人者ですが、あのころは、ラットの肝臓から細胞と細胞がくっつく接着装置を単離して、その接着に重要なタンパク質を解析する研究に取り組んでおられました。
細胞間接着装置が単離できるならば、細胞が分裂するときにギューッと縮まるような細胞表層のリング状の構造の単離も可能かもしれません。あるとき、電子顕微鏡用の試料をつくっているときに近くにいた月田先生に「ウニの分裂中の細胞に界面活性剤をかけると、ほかの部分はなくなってしまうんだけど、くびれているところは残るんですよ」ってポロッと言ったんです。そうしたら「そういう性質があるのなら、単離できるかもしれない」と背中を押してくださったので取り組んでみることにしました。単離に必要な条件を検討して、単離することに成功し、学位を取ることができました。その後、単離した分裂溝に特別強く結合するモノクロナル抗体を取ろうとしましたが、そこまでは成功しませんでした。

———ポスドクでアメリカに留学されています。

1年間ですが、ジョンズ・ホプキンス大学のトーマス・D・ポラード教授のラボに行きました。日本では光学顕微鏡や電子顕微鏡を使い、電気泳動などの手法も用いて形態形成の研究をしていましたが、ちゃんとした生化学はやっていなかったので、細胞の運動に関係するタンパク質をメインにする生化学者のポラードのところに決めたのです。ただし、本当ならせめて2年とか3年ぐらいいたかったのですが、ちょうど月田先生が岡崎にある生理学研究所の教授に就任することが決まり、助手として誘われたので、1年で帰ることになりました。

米国メリーランド州ボルチモアのダウンタウンにあるジョンズ・ホプキンス大学医学部。

ポラード研の同僚たちと私のアパートでのパーティー(右端)

———ポラード教授はどんなボスだったのですか?

数字をとても大事にしていて定量的に表現しようという意識の高い人でしたね。ロジカルでストイック、日常生活すべてにそんな雰囲気があるんです。そしてほぼ毎日5kmぐらい走っていました。ぼくも一緒に走ったことがあります。

———アメリカで学んだものがありますか?

日本ではなんとなく長く研究していればいいといった雰囲気があるけれど、17時、18時になると、まずみんな帰ってしまうんです。ラボではだいたいぼくが最後になって、”Don’t work too hard.”って声をかけられるので、一度はその言葉を別の人に言いたいと、早く帰れたときに言ってあげたことがあります。夜遅くまでやるんじゃなくて、短い時間にどれだけ集中してやるか、やっていることに意味があるかを考えることの大切さを学びました。

週末に妻と一緒に乗馬を習っていた。