公益財団法人テルモ生命科学振興財団

財団サイトへもどる

中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

サイト内検索

「夢の研究をやりたい」と高校の卒業式の答辞で宣言

———どんな高校生でしたか?

高校のときは生物オタク。生物の資料集や生物学辞典などをいつも持ち歩いていました。

———生物が好きになった理由は?

先生です、完全に。そのときに出会った生物の先生とは今でも交流がありますが、若い女性の先生で、授業がおもしろく、「生物を極めたい」とまで思うようになりました。担任の先生からは「生物以外の勉強もしてくれ」って言われるほど。もともと理科は好きだったんですけど、まさにハマッたという感じでしたね。
実は私、中学のときは、将来、研究者になりたいというのを忘れて、別の道に進もうと考えた時期もあったんですよ。でも、高校で生物の先生に出会って、「あっ、研究者になりたかったんだ」と思い出して、そこからは睡眠の研究をしようと真剣に思うようになりました。

———別の道ってどんな道ですか?

中学のときになりたかったのは、お笑い芸人です。

———なぜお笑い芸人に?

人を笑わせるのが好きだったし、人前に出るのも好き、目立つのが好きだったからです。高校に入ってからもお笑い芸人になりたくて、文化祭のステージで漫才をやったこともあります。どこの事務所に入るのがいいかと調べて、「吉本はどうかな」とか思っていました。

小学校の運動会では応援合戦で団長を

高校の体育祭。クラス全員でアラジンの仮装

———じゃあ生物の先生に出会ってなかったら、ひょっとしてお笑い芸人に?

あぶなかったですね(笑)

———それにしても、飛び込みといい文化祭での漫才といい、いろんなことに積極的にチャレンジしているんですね。

高校の卒業式のとき、総代で答辞を読みましたが、これも自分で立候補したんです。
答辞の中で宣言したのが「夢の研究をやりたい」ということ。あれから20年経って、ようやく夢の研究を始めるところにきました。

卒業式で読む答辞を手に

———何事にもチャレンジャーだったんですね。

やりたいことをやっているだけで、親も止めたりするタイプじゃなかった。自分の人生は自分の責任ですべてやるようにという感じでしたね。父はやさしくて、好きにやればいい、と何も言わないタイプ。一方、母は昔の人とは思えない考え方で、何かにつけて「結婚なんかするな、結婚に幸せを求めてはいけない。自分で自分の道を切り拓いていきなさい。その先に結婚してもいいけれど」と言ってました。

———大学選びはどのように?

推薦で筑波大学に入りました。とくに強い理由があったわけではないのですが、10歳上の姉が筑波大学で、小学生ぐらいのときに両親と一緒にキャンパスに遊びに行ったりしていて、大学は筑波大学という刷り込みがあったんだと思います。

———筑波大学は国内でも最大規模の生物学科があり、睡眠の研究が盛んです。それで選んだわけではないんですか?

そうなんです。だけど、入ってみたら、たしかに筑波大学は生物学類の教育にすごく力を入れていたので、利害が一致したというか(笑)。私は何となく大学って筑波かなという感じでしたが、入ってみてすごくいい環境だと気づきました。

筑波大学入学式の日に母と