ラクロス漬けの学生生活のあと、就職
———大学に入ってからも勉強が楽しかった?
それが大学では、勉強そっちのけでラクロス部の活動に熱中しました。運動部で、朝中心の部活だったので、朝5時ごろに起床して、7時にはもう大学に着いて練習開始。午前中いっぱい運動しているから、午後は眠くなってしまって授業中は居眠りばかり…(笑)
———ラクロスって、網が張られたストックを使ってゴールした数を競うスポーツですよね? ラクロスのおもしろさはどこに?
一番近いスポーツはホッケーで、私はフォワードだったのでシュートを打って決まったときは快感でした。中高校生時代は陸上競技をやっていたのですが、そのときは同好会でのんびりやっていたのが、部活だとまるで違う。走り込みとか筋トレに力を入れて、みんなで泥んこになりながら耐えてがんばりました。家族よりずっと長い時間一緒にいたので、ものすごく仲間意識が強くなって、今も仲よくしています。

ラクロス部の同期とともに(左から3人目)。4年生のときは北海道大学で開催された七帝戦で優勝した。ちなみに七帝戦とは、旧帝国大学のうち北海道大学・東北大学・東京大学・名古屋大学・京都大学・大阪大学・九州大学が合同で開催する体育祭のことで、七大戦とも呼ぶ。
———東大では、2年次夏までの成績を元に、3年次からの学部・学科を決める「進学振り分け」という制度があります。どこに進むことにしたのですか。
大学に入ってからも「これをやりたい」というものはなく、もともと動物が好きだったこともあって動物にかかわる勉強がいいと志望したのが獣医学課程でした。でも、獣医学課程に進むには点数がそれなりに必要なので、何とかがんばって進学できた感じでしたね。
———獣医学課程に進んだということは、将来は獣医になろうと思ったのですか?
獣医になるというよりは、そのころは環境問題にも関心があったので、野生動物保護みたいなことをやりたいとぼんやりと考えていた程度でした。
———専門課程ではどんな勉強を?
獣医学課程は医学部と同じ4年間の専門課程があり、解剖学や生理学、病理学などの基礎的な講義のほかにさまざまな実習があります。4年次になると研究室に配属され、私は基礎系の楽しさがわからなかったので、臨床病理の研究室を選びました。ここでは5年次から大学附属の動物病院である動物医療センターで診療の手伝いをするのです。
病院でお手伝いするうち、私は臨床獣医には向かないということを痛感しました。内科を受診するのは主に犬や猫ですが、大学病院なのですごく重い病気の子がやってきて、助からないこともあります。私はすぐに感情移入してしまい、自分が担当した子がもう助からないとなると、その日初めて会った犬でも泣いてガックリきてしまうほど。ある程度冷静になれないとダメで、とても獣医には向かないと思いました。
同級生と勉強会をして獣医師免許は取得しましたが、就職する道を選びました。
———卒業生の中で獣医になる人はどれくらいですか?
私立だと獣医になる人が多いんですけど、東大の場合、30人卒業して獣医になるのは1、2名ぐらい。研究者や製薬会社に行く人もいますが、全然関係のない商社や、違う道に進む人がそれなりにいます。
———就職先はどのように選んだのでしょう?
動物のほか、もうひとつ好きだったのが食べることだったので、食品メーカーを中心に回りました。キッコーマンとお菓子メーカーから内定をもらい、どちらにしようか迷いましたが、鹿児島にある母の実家がキンコー醤油という醤油会社で、「キッコーマンに入れば亡くなったおじいちゃんが喜ぶわよ」と母から言われたこともあって、キッコーマンさんにお世話になることにしました。
———配属されたのは研究開発本部ですね。
大学時代は臨床系の研究室だったこともあって、基礎的な実験をほとんど経験せずに卒業してしまったので、大学で基礎系の研究をしてきた人と比べたらスタートラインに差がある。商品開発ならみんな初めてだろうと、商品開発を志望していたんですが、獣医師免許を持っていたことも影響したのか、配属先は研究開発本部でした。
———そこではどんな仕事を?
最初は機能性食品の研究です。入社当時、野菜に含まれるポリフェノールの一つであるケルセチンをたくさん含むタマネギを使った野菜ジュースを発売していて、タマネギの機能性をさらに追求するために、体に良い効果がないかを調べたりしました。
といっても、何しろそれまで研究なんてほとんどしたことがないからやり方がわからないし、「実験しなさい」と突然言われても何をどんな手順ですればいいのか最初はまるでわからない。でも、年齢の近い先輩方に助けていただいて、何とか実験ができるようになると夢中になりました。研究のおもしろさを知ったのは会社に入ってからです。