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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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カメラと海外旅行にはまり、ヨーロッパを放浪

———大阪大学医学部に入学されます。

入学してすぐにテニス部に入って、部活に明け暮れる毎日を過ごしました。しかし、テニスはキライじゃないけれどこれでいいのかと思うようになりました。練習して大会で優勝するのもいいけれど、医学部の学生同士の大会で優勝したからって何になるのかと。どれだけ励んでもウインブルドンには行けない(笑)。2年目の大会が終わったところでやめました。

大学時代、テニス部の仲間と(左から3人目)

———ずいぶん潔い決断ですね。

クラブをやめた途端に暇になりました。そこで自分は何をすべきか、20歳でいろいろ考えたのが大きかったと思いますね。高校のとき世界史が好きだったし、子供のころピアノをやっていたこともあってクラシック音楽も好きだった。海外の本場のオーケストラを聴きたい、大学生のときにしかできないことをやろうと海外旅行に行くことにしました。最初は友人何人かとドイツ、フランス、イギリスなどを1カ月ぐらいかけて回りました。
2回目のヨーロッパは、1人旅で1カ月間。これがよかったですね。行きと帰りの飛行機のチケットだけ取って、あとは鉄道乗り放題のユーレイルパスで、旅程を決めずに気の向くまま。そのときに持っていったのは35㎜フィルム版の普通のカメラで、大聖堂を撮ろうとしても画面に入りきらないし、いい写真が撮れない。もっといいカメラがほしいとカメラの勉強を始めました。

———子供のころの凝り性の復活。

凝り出したら止まらないところがあるんですよ。一眼レフと標準・広角・望遠のレンズを買いました。リバーサルフィルムと呼ばれるスライド用のフィルムを使っていて、いまのデジカメのように何枚もパシャパシャ撮るわけにはいかないし、現像しないとどんな写真が撮れたのかもわからない。だから1回ごとの撮影が真剣勝負。露出計も買って、フォーカス、絞り、露光時間をしっかり決めて渾身の1枚を撮るために勉強しました。国内のあちこちへ行って練習して、海外へという感じで、医学部の3年、4年のころはカメラと海外旅行にのめり込んでいましたね。でもそのおかげで、当時得た知識がのちにイメージング研究を行う際にかなり役立ったし、海外体験も留学の助けになりました。

アルハンブラ宮殿の撮影写真。内部のアラベスク模様の壁と外の明るさのコントラストが大きく、撮影条件の設定に苦労した。

ステンドグラスの撮影も難易度が高い。人間の眼は自分が見たいものにあわせて自動で調節してくれるが、カメラはそうはいかない。当時の試行錯誤がその後の顕微鏡の改良などにも役立っている。

ヨーロッパを一人でまわった

———医学部の勉強のほうはいかがでしたか?

ひとつの転機は「基礎配属」です。医学部4年次に半年ほど、希望する基礎医学の研究室に配属されるプログラムで、私が選んだのは薬理学の倉智嘉久(くらちよしひさ)教授(当時)の研究室でした。倉智先生はイオンチャネルの専門家で、講義で心筋のイオンチャネルがリアルタイムで開閉する様子を初めて目にして感動したこと、当時、阪神・淡路大震災のときに教授自ら診療所にボランティアに出かけたりする熱い先生だったことから希望しました。研究室では、顕微鏡下で細胞膜に電極を突き刺して電位を測定する手法を学びました。イオンチャネルの開閉をさまざまな薬剤を加えて調節する薬理作用を目で見るおもしろさを実感したのもこのときです。
あるとき、倉智先生に「カメラが好きで海外にもよく行ってます」というような話をしたところ、「海外の研究室で勉強してくるといい」と、ドイツのゲッティンゲンにあるマックス・プランク生物物理化学研究所を紹介してくださいました。夏休み1カ月間の体験だったのですが、大きな財産になりましたね。

———どんな研究室に行ったのですか?

1991年にノーベル生理学・医学賞を受賞したエルヴィン・ネーアー(Erwin Neher)博士の研究室です。ネーアー博士はとても高名な先生でしたが、気さくな方で、当時何も知らない学部生だった私に対しても真摯に優しく指導してくださったのが印象的でした。生きている1つの細胞や分子に流れる電流をリアルタイムに計測するパッチクランプ法の開発でノーベル賞を受賞した先生で、私が行った当時はパッチクランプをさらに改良してカルシウムイメージングみたいなものに取り組んでおられて、「見るということが大事だ」、「新しい技術が必ず新しい学問を生みサイエンスを進める」と強調されていて、大いに刺激を受けました。研究者になろうと本気で考えるようになったのは、このころからです。

ネーアー博士と

———その後は、臨床実習や病院実習と、医師に向けてのカリキュラムが続きますね。

臨床実習が始まると、みんな休みの日でも自主的に病院で実習したり他の病院に見学に出かけたりするんですが、「一足早く経験して何かいいことあるのかな」と私は少し斜(はす)に構えていて、そのときにしかできないことをやろうと、5年生のときは初めて東欧にも行きました。

97年3月、初めて訪れた東欧にて

———東欧が学生時代、最後の海外旅行だったというわけですか?

まだ続きがある(笑)。当時は医師国家試験が6年の卒業時の3月にあり、発表が4月末なので、医者として働けるのは5月からです。大学が3月で終わるので、4月いっぱいは “国試休み”なんですね。ところが、せっかくの休みなのにほとんどの人はいち早く医者になれるようにと、いろんな病院に行って臨床の勉強をしているわけです。私は人生最後のモラトリアム(猶予期間)だというので、単身フランスへ行って、パリで1カ月過ごしました。

———どんな1カ月だったんですか?

モンパルナスに下宿して、フランス外務省がやっているフランス語の語学学校に通うととても安く泊まれる。だから午前中はフランス語を勉強して、昼からはパリ市内巡りです。絵が好きだったので印象派の作品を集めたオルセー美術館には10回以上行きました。夜の酒場巡りで覚えたのがワイン。週末はブルゴーニュとか、ロワール、アルザスに行きました。フランスの文化にどっぷり漬かって、ヒゲを生やして、ボサボサの頭で帰って来たのが国家試験の発表の朝のこと。昼の1時の合格発表をその姿のまま見に行ったら、同級生たちはみんなすっかり医者っぽくなっていました。私だけ「お前は何者?」というような異質な感じ。そのときのギャップは今もって忘れられませんね。