公益財団法人テルモ生命科学振興財団

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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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勉強はできたけど、夢もなく流される日々

———どんな子供時代を過ごしましたか?

学校に行って友だちと遊んで、とくに目立ったところもない普通の子供でした。中学ではバスケ部に入って頑張っていましたけど、バスケが好きというより、みんなが部活をやっているから自分もやるという感覚でしたね。
部活がない日はゲーム。ロールプレイングから対戦型までいろいろやりましたし、ゲームソフト1本1本を相当やり込みました。じつは、ゲームは今でも好きで、最近は忙しくて全然できないのが残念です(笑)。
小中学校のころは本もたくさん読みました。図書館にある本は片っ端から。小学校では、図書館の本は全部読んだと思います。どちらかと言うと文学少女で、太宰治に傾倒して芥川賞作家を夢見たこともあります。でも、本当にやりたいことは見つからなくて、「この心のモヤモヤはどこから来るんだろう」なんてあれこれ考えてばかりいました。

———高校時代はいかがでした? 進路はすぐに決まりましたか。

高校では弓道部に入って、国体選手の選考まで行きました。国体には出られませんでしたが、やると決めたことは一生懸命にやるタイプなんです。でも、進路についてはとくに好きな科目もないし将来の職業も考えていませんでした。高2になって文系か理系か選ぶときにも、「文転はできるけど理転は難しい」と聞いて、じゃあ理系にしようかという感じで…。

高校弓道部時代(後列、左から4人目)

———医学部を選んだ動機は何ですか?

医者になって大勢を救いたいという崇高な理由からじゃなくて、成績がそこそこ良かったことと、地元の群馬大学に医学部があったからという消極的な理由です。でも、大学に入って一人暮らしをして、初めて自分で物事を決められるようになったのがとても嬉しかったことを覚えています。
在学中はパッケージツアーからバックパックの一人旅まで、世界中を旅しました。当時、学内に海外旅行ばかりしている仲間がいたんです。マレーシアから始まって、ヨーロッパも行ったし、インドや東南アジア、アイルランドにも行きました。遺跡が好きだったのでペルーのマチュピチュ遺跡も印象に残っていますし、イースター島へ妹と行ったのも良い思い出です。旅行代を稼ぐために、バイトに明け暮れていましたね。

インド旅行

イースター島 巨大なモアイ像の前で

———そんな学生生活の中で、精神科医を選んだきっかけは何だったのでしょう?

きっかけは5年生の臨床実習です。いろいろな科を回るのですが、精神科の実習で私がついた先生が、プロフェッショナルで、とてもかっこよかった。しっかりとトレーニングを積んだ精神分析医として、患者さんと1対1で心の葛藤の根源を科学的に分析し、病態を見ながら解析していくわけです。それまで、刹那的に楽しみを消費するばかりで生きている実感が持てずにいたのですが、先生の診療を見て「人の心はこんなふうに分析できるんだ、こういう診療で患者さんが良くなるんだ!」と衝撃を受けました。精神医学はすごい、私もこれをやりたいと強く思ったのです。