スパインを光で操作する技術を開発
———帰国後は、東大の河西春郎(かさい・はるお)先生の研究室に入られますね。河西先生の研究室を選んだのはなぜですか?
アメリカにいたとき、DISC1をノックダウンしたマウスでシナプスが減るときにRac1(ラックワン)という分子が重要な役割を果たしているということを見つけていました。その後、サウスカロライナ大学の研究者が発表した、Rac1を光で操作したという論文を読んで、Rac1を光で操作したらシナプスを自由に操作できるのではないか、とひらめいたのです。でも、澤先生の研究室では培養細胞での実験がメインだったので、生きた脳の中でその機能を観察したいと考えました。
そこで、二光子顕微鏡という特殊なレーザーを使った精密な顕微鏡を使って神経細胞の研究をしている東京大学の河西先生*の研究室に入ったのです。おそらく研究者人生で初めて、積極的に、そして戦略的に進路を選びました。研究者になろう、そして良い研究をしてやろうと確信を持てたのは、実はこのときです。年齢で言えば35歳なので、たいぶ遅いスタートです。そのかわり、研究には真面目に打ち込みました。
研究室では、学習によって増大したスパインだけを選び出して操作できる人工遺伝子「AS-PaRac1(エイエスピーエーラックワン)」を設計して、運動学習によって増大したマウスのスパインに光を当てて、スパインを収縮させて記憶を消すことに成功。このときも、鬼のように実験し、その成果は、2015年『Nature』に掲載されました。
*河西先生の最近の研究は、「いま注目の最先端研究・技術探検!」第54回
「脳は記憶を「力」で刻んでいた!シナプスでの力学的情報伝達の発見」を参照
https://www.terumozaidan.or.jp/labo/technology/54/index.html

Nature誌採択の祝勝会を自宅で開催。「お料理大好きで、山のように料理を作り、河西研の皆さんにふるまいました」とのこと。中央が河西先生。白い猫を抱いているのが林先生。
———増大したスパインだけを収縮させた研究で大変だったのは何ですか。
人工遺伝子の設計開発です。スパインをマークして、なおかつ光によって操作できる機能を持たせるために5種類の遺伝子を組み合わせたのですが、そのために100近い組み合わせを試しました。もちろんいきなり100パターンを片っ端から試したのではなく、少しずつアップグレードしていくんです。まず神経細胞に発現させる機能、次はシナプスに局在させる機能、さらに樹状突起に集まる機能、と階層的に条件をクリアさせていく。神経細胞がもじゃもじゃになってしまったり、Rac1が漏れたりとトラブるたびに、それを解決していく。私はコツコツやるのは得意なんですが、5種類の遺伝子を調整し組みあわせていくなんて、面倒でやってられないという人は研究者でも少なくないと思います。
———河西先生は、この研究をやりたいと言ったとき、なんとおっしゃいましたか?
「お前は、頭がおかしい」(笑)。他の人からも、そんなにうまく行くわけがないと言われました。でも、なんの手がかりもなく100個試すのはさすがにきついですが、階層をクリアするごとに「よっしゃ!」と手応えがあるわけです。そのたびにドーパミンも大量に出る。だから、私は辛いとは思いませんでした。仮説を立てて、それが正しければうまくいくはずだし、うまくいかなければ仮説か実験が間違っている。研究はその試行錯誤の繰り返しです。
———林先生がいなければ、この研究は実現しなかったかもしれませんね。
少なくとも、人工遺伝子の設計開発は私がいなければ絶対完成していなかったと思います。たぶん、私は頭が悪いんです(笑)。寺田寅彦は、『科学者とあたま』という随筆で「科学者は頭が悪くなくてはいけない、頭が良すぎると先が見えすぎてチャレンジをやめてしまうから」ということを言っています。頭が悪いと、成功する可能性が極めて低いことにも挑戦して、それが成功することがあるからと。そのとおりだと思います。