アメリカの研究室でシナプスと出会う
———博士号取得後、どうされました?
理化学研究所で、双極性障害*という精神疾患を研究する加藤忠史(かとう・ただふみ)先生のラボでポスドク**をしました。
大学院修了間近の2005年『Nature Genetics』という雑誌に加藤先生の論文が出たんです。当時、日本の精神医学で一流国際学術誌に論文を出せる人は少なかったし、しかも双極性障害の原因を分子生物学的アプローチで解明しようという画期的な研究で、再び「なんて、かっこいいんだろう!」と感動して、研究室の扉を叩きました。そこでようやく精神疾患の基礎研究をスタートすることができたのです。
加藤先生に3年間しっかり精神医学を叩き込んでいただいて、研究の楽しさも味わえるようになりました。本当にたくさん、実験しました。加藤先生からは、「実験少女」と呼ばれたこともあります。
*双極性障害: 著しく気分が高揚する「躁(そう)状態」と、意欲が低下しふさぎ込んでしまう「うつ状態」とが交互に出現する精神障害。かつては「躁うつ病」と呼ばれていた。
**ポスドク:Postdoctoral Researcher(ポストドクトラル・リサーチャー)の略。博士号(ドクター)取得後の独立していない研究者を指す。独立して研究室を主宰するためのトレーニング期間の研究者という立場。
———その後、ジョンズ・ホプキンス大学に留学なさいますね。目的は何ですか。
またしても消極的なのですが、将来、研究者としてやっていける自信がなくて、考えた末に、留学してやっていけるという手応えが得られたら、研究者になろうと決めました。そのために、試練の期間としての留学です。そして、留学するなら精神疾患を分子生物学的に研究している研究室に入りたいと考えました。今でこそ、神経科学と精神疾患との関連について多くの研究がなされていますが、当時は精神疾患の研究は医者がやるもので、いわゆる基礎神経科学の研究者は、精神疾患に見向きもしなかったんです。そんななか、ジョンズ・ホプキンス大学の澤明(さわ・あきら)先生は、精神疾患の罹患率が非常に高い家系で見つかったDISC1(ディスクワン)という遺伝子について、分子生物学的に研究をされていたんです。
———いよいよテーマを「分子生物学で精神疾患を解明する」ことに絞っていくのですね。
澤先生に留学のご相談をしたら「何をしたいの?何ができるの?」と問われたので、自分の経歴や取得技術を話しました。すると「DISC1とシナプスの研究をやったら」と言われました。以来、今に至るまで、一貫して神経細胞のシナプスが私の研究対象になっています。
———神経細胞とシナプスについて、簡単に教えていただけますか?
私たちの脳の中には1000億個もの神経細胞があります。神経細胞は情報を受け取るためのたくさんの樹状突起と、情報を送り出すための軸索という2種類の突起を持ち、それがつながりあってネットワークを作り大量の情報を処理しています。シナプスは樹状突起と軸索が接続する部分のことで、脳の情報伝達の重要な役割を担っています。
———シナプスとDISC1の関係性で何かわかりましたか。
精神疾患の人に多く見られるDISC1遺伝子をノックダウンする(はたらきを抑制する)と、シナプスが減少することを発見しました。シナプスを形成している樹状突起側にできるキノコ形の構造を「スパイン」というのですが、DISC1をノックダウンするとスパインの密度が大きく減ってシナプスも減少してしまうのです。スパインは、マウスなどの実験で学習や記憶に応じて増えたり大きくなったりすることが分かっていて、脳の記憶素子と言われています。DISC1遺伝子によるシナプスの変化は、精神疾患の病理に関係している可能性も考えられるのです。この研究は2010年に脳科学の国際学術誌である『Nature Neuroscience』に掲載され、DISC1とシナプスの関係を世界で初めて示した論文となりました。この時は人生で一番実験しました。澤先生とは本当にたくさんのディスカッションをしてもらい、ここで培われたロジックが、現在の私の基盤になっているといっても過言ではありません。

澤研究室での送別会。後列、左から5人目が林先生、澤先生はその隣。