公益財団法人テルモ生命科学振興財団

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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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小さいときから「ひみつ」が大好き

———小さいころはどんな子供でしたか。

部屋にこもって本ばかり読んでいました。絵本から始まって片っ端から。小学生のころは学研の『◯◯のひみつ』というシリーズに夢中でした。理科とか社会のさまざまな謎をマンガで解明していく学習本です。その中に『病気のひみつ』というものがあって、自分で要点をノートにまとめたりしていました。

2歳。祖父と。

———習い事などは?

4歳くらいから中学生までずっとピアノを習っていました。今でも、子どもと連弾をしたり、コンサートに行ったりするのは大きな楽しみです。論文を書くときも音楽を聞きながらが多いのですが、どうしてこんなメロディーが生まれるのか、こういう展開になるのかをひもといていくのは、研究とも通じるところがあります。
それと、小4から中学受験のための進学塾にも通っていました。

———中学時代は、部活などをやっていたのですか。

中学・高校は奈良県の男子校に実家から通っていました。滋賀県草津市に住んでいたので、片道2時間もかかるんです。往復で4時間。1日の6分の1です(笑)。中高6年間のうち1年間は電車に揺られていた計算ですよね。通勤ラッシュも重なるので、通うだけでヘトヘトで部活の時間は取れません。往復の電車で本を読むのがせいぜいでした。
ただ、部活ではありませんが中学のときに数学の塾に通うようになりました。「すごく難しい数学の塾がある」って聞いて、行ってみたくなったんです。めちゃくちゃ難しいんですが、すごくおもしろかった。

———どんな塾だったのでしょう。

個人経営の私塾で、問題を解くノウハウを教えることは全然やらない。中学生相手に、答えがあるのかないのかわからないような問題ばかり解かせるんです。入ってすぐに出された試験が「素数が無限であることを証明せよ」。0点に近かったんじゃないかなぁ。「谷山・志村予想*」や「リーマン予想*」といった当時の未解決問題の話もしてくれました。受験にはあまり役に立ちませんでしたが、数学好きな友達もできて、そこに6年間通いました。

*予想:数学において、真であると思われてはいるが、いまだに真であるとも偽であるとも証明されていない命題を「予想」と呼ぶ。
谷山-志村予想は1955年に日本の数学者の谷山豊によって提起され、60年代以降に数学者の志村五郎によって理論づけられた命題。
リーマン予想は1859年にドイツの数学者であるベルンハルト・リーマンによって提唱された命題。

中学1年生。家族旅行で出かけた御在所岳(三重県)のロープウェー

———昔から、謎を解き明かすのが好きだったんですね。

受験の数学はいつも答えがあるけれど、解けるか解けないかわからないというのは、解法を暗記するのとはまったく別の世界で、アカデミックで魅力的でした。数学の世界には自分よりずっと才能のある人がいるということがその塾に通ってわかりましたが、難問にチャレンジするのは楽しくて、通学の電車の中でもどう解いたらよいのかをずっと考えていましたね。

———当時、将来なりたい職業はありましたか?

本が好きだったので文章を書く仕事に憧れたこともありましたが、高学年になるにつれて医者になりたいと思うようになりました。人の役に立つ仕事だということと、そのころ祖父ががんで亡くなったりして、怖いけれど不思議な存在だった病気や死を研究してみたくなったのかもしれません。高1のときには医学部に進むと決めていました。当時はまだ漠然とした思いでしたけれど。