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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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分子生物学の輪読会に参加するが、発生学の試験で落第

———そして、晴れて京都大学医学部に入学します。

私が大学に入ったころは、ヒトのすべての遺伝情報を解読して生命活動の全容を解明しようという「ヒトゲノム計画」が注目されており、分子生物学を使った新しい治療法開発への期待も大きくなっていました。入学して間もない4月、京大の掲示板で『Molecular Biology of THE CELL』という分子生物学の教科書を読む会の募集を見た私は、さっそく参加を決めました。会を主宰する市川康夫先生は京都大学の結核胸部疾患研究所(現在の医生物学研究所)の細胞化学部門教授として活躍された方で、86年に退官後に自主ゼミとして始められたのです。

池ノ内先生の手元にある『Molecular Biology of THE CELL』は第6版。当時は第3版を使っていたとのこと。

———分子生物学に興味があったのですね。

話題の分野でしたから。ゼミの参加者も多かったですよ。市川先生自身の現役時代は分子生物学が盛んではなかったので、一緒に勉強しましょうといった感じで週に1回集まって、分担して章ごとに訳していくスタイルでした。私は高校で生物を選択しなかったので、いきなり英語の教科書はハードルが高かったのですが、いい勉強になりました。

———特に記憶に残っていることはありますか?

参加者の人数が減って最後は4人ぐらいになってしまい輪読の準備は大変でしたが、学外の医療訴訟を担当する弁護士さんなど、いろいろな人が参加していて、それも良い経験でした。
ショウジョウバエの突然変異で、アンテナペディアという遺伝子がなくなると、触角のかわりに前脚が生えてくる事例もこの教科書で知りました。たった1つの遺伝子でこんなことが起きるのかと衝撃を受けましたね。

———輪読会に参加して、どんな気づきがありましたか。

もっと勉強が必要だと痛感しました。とにかく生物の知識がなさすぎるので、2年次の発生学の試験では落第してしまいました。当時は現在のようにインターネットの動画サイトもなく、発生のしくみがよく飲み込めなかったんです。そこで、担当の塩田浩平(しおた・こうへい)先生に、どのように発生について勉強したらよいかと相談に行きました。

———塩田先生からはどんなアドバイスがもらえましたか。

塩田先生は発生学や解剖学、なかでも先天異常学がご専門で、当時、医学部の先天異常標本解析センターのセンター長もなさっていました。このセンターには、4万4000例を超える質・量ともに世界有数のヒト胚子(はいし)*の標本があって、その多くが受精後3~8週の器官形成期のコレクションなんです。授業終了後、先生の研究室で一緒にさまざまな段階の標本を見ながら、「この段階ではここに異常が出てきている」などとていねいに教えてくださいました。個人授業のおかげで無事追試には受かりましたが、私はその後も先天異常標本解析センターに通いました。

*胚子:多細胞生物の受精直後から、組織や器官などのからだの構造が形成されるまでのごく初期の発生段階の個体のこと。胚ともいう。

———なぜ通い続けたのですか?

標本を詳細に見ていくと、どこに異常な細胞があるかといったことがわかります。膨大なコレクションの中には詳細が記載されていない標本もたくさんあり、自分でも新しい症例を見つけたいと思ったのです。
古い建物で夜遅くまで一人で標本を見ていると、何か出そうで本当に怖いんですよ。でも、2年次後半から3年次にかけて、半年ほど通い続けました。標本を見ていくうちに、異常が生じるメカニズムを探りたい、遺伝子と形をつなげていく研究がしたいと考えるようになりました。

———そのころはまだ研究者ではなく、臨床医をめざしていたわけですよね。どの科を選ぶかなどは考えておられましたか。

生まれて来ることができなかったたくさんの命を思うと、小児科医になって病気の子供の力になりたいという思いが強くなりました。でもせっかく大学に入ったので研究をしたいという気持ちもあって、3年次の終わりごろからは月田承一郎(つきた・しょういちろう)先生の研究室に出入りするようになったのです。