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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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利根川進研究室の扉をこじ開ける

———大学院修了後は、何をしていましたか。

恋ごころのスイッチは見つけたのですが、ではメダカは見知った相手をどのように記憶しているのだろう? 脳のなかの記憶のメカニズムをもっと詳しく調べたいと、特別研究員などをやりながら、メダカの研究を続けていました。
そんななかで思いついたのが、神経活動によって発現するタンパク質「c-Fos」と、光を当てると色が変わるタンパク質「kaede」とを組み合わせれば、他者の記憶とそれにまつわる感情の記憶を同時に見ることができるのではないかということ。そしてkaedeのかわりにChR2(チャネルロドプシン2)という光活性化タンパク質を用いて、以前に活動した神経細胞を標識できれば、光の刺激で他者の記憶と感情を再び思い出させることができるはずだと考えたのです。しかし、夜な夜な思いついたアイデアを試しては実験を繰り返していましたが、すべて失敗。

そんな折、アメリカのニューオリンズで開かれた学会で、マサチューセッツ工科大学(MIT)の利根川ラボのエングラム(記憶痕跡)研究に出会ったんです。c-FosにTet-OFFシステムという遺伝学的なトリック(目的遺伝子の発現を調節できる実験系)を組み合わせたうえで、活動した神経細胞をChR2でマークして、マウスの恐怖の記憶を再現させるというもの。ぼくのアイデアと基本的な考え方は同じだったんです。ただ、遺伝子の発現量が足りなかった。その事実に打ちのめされると同時に、利根川進先生のもとで研究をしたいと強く思いました。

———多様な抗体ができるしくみを解明し、日本人で初めてノーベル賞の生理学・医学賞を受賞した利根川進先生のラボですね。

当時、先生は遺伝子改変マウスを使って脳科学に取り組んでいました。ぼくは学会を終えたその足で利根川ラボのあるボストンに飛んで家を借り、先生にメールを送ったんです。たいした論文も出していませんでしたから、もちろん相手にされるわけがありません。そこで、ハーバード大やMITの研究者に片っ端からメールをしてセミナーを開催し、仲良くなった人に口添えしてもらって、なんとか2012年10月末に面会を取り付けました。

面会の日は大型ハリケーンがボストンを直撃し、ラボには研究員の姿もほとんどなかった。暇を持てあました利根川先生は、小1時間のはずが3時間もぼくと話をしてくれました。誰でもいいからサイエンスの話がしたかったんでしょう。最後に「なぜバナナが黄色だと思うのか、理由を全部言ってみろ」と問われて思いつくことを答えたら、「ではそれをどう証明する?」。アイデアを話すと、「もっとアンビシャスに考えろ!」と、議論していくうちに先生はどんどん熱くなっていく。そんなこんなで、採用が決まりました。

———初対面で採用! 利根川研では何を研究したんですか。

集団における他者に関する記憶、「社会性記憶」についてです。「いつ、どこで、誰と、何をしたか」というときの、時間と空間の記憶は海馬の上側にあるのですが、他者に関する記憶はどこにあるか、わかっていなかった。そこで、メダカでやっていた実験をマウスに転用して、他者に関する記憶が海馬の下の腹側にあることを明らかにしました。
次に、光遺伝学的な手法を使って、マウスが記憶した特定の個体の記憶を強制的に思い出させることに成功しました。さらに、特定の個体を思い出しているときにコカイン(快楽)や電気ショック(恐怖)の刺激を与えて、相手に対する「好き(快楽)」「嫌い(恐怖)」の感情を生み出すことにも成功できたんです。

MIT博士研究員時代。MITのGreat Domeの前にて。

利根川先生の家で開かれるラボのクリスマスパーティー。本物のノーベル賞(メダル)です。

———利根川先生から、もっとも影響を受けたことは何でしょう。

利根川先生は科学が本当に好きなんです。研究に没頭すると周りは目に入らない。80代のいまもバリバリの現役で、その好奇心の強さは驚くばかりです。
そして、論文執筆の巧みさにも多くを学びました。内容や書き方だけでなく、全体を見事な球形に仕上げるんです。角のある尖った論旨は、必ず査読者に突っ込まれる。先にどのような質問が来るかまで見越して角を削り、論文の一語一語をていねいに洗練させていき、球を磨き上げていくような論文の書き方をします。
研究の組み立ても見事です。研究で一番悩むのは、結論を導く最適な道筋をどう選ぶかということです。先生の答えは「論文タイトルの文字数が少ない方が正解だ」。つまり、内容を的確かつ簡潔に表すタイトルで、どれだけ強いメッセージを出せるかが重要だということ。たとえば私の2016年9月のScienceの論文『Ventral CA1 neurons store social memory(腹側のCA1神経細胞が、社会的記憶を保存する)』ではstore(保存する)が一番強いメッセージです。このメッセージを出すために、実験の構成、手法や順番まで考えるんです。ラボには5年ほど在籍しましたが、こうした利根川先生の言葉やサイエンティフィックな哲学は現在のぼく自身のコアを作ってくれました。

利根川ラボを去るときの一枚。本当にお世話になりました。