感謝され尊敬される仕事、医者になろう
———ご出身は岡山県ですね。どんな子供時代でしたか?
岡山県南西部にある笠岡市で育ちました。友だちと野球をしたりして遊んでばかりで、親にはいつも勉強しろと言われていました。小さいころは勉強ぎらいで、成績もパッとしない目立たない子供だったと思います。でも、高学年になってからは勉強をするようになり、中学では成績もまずまず。とくに算数が好きでしたね。
———高校は岡山市の学校ですね。
朝早く起きて、電車で1時間半かけて通っていました。田舎出だったのでまわりがみんなよくできる子ばかりに思え、おいて行かれないように頑張りました。
———当時、将来の夢や大学でやりたいことなどはありましたか。
中学生のころから漠然と医者になろうと考えていました。人の病気を治してみんなから尊敬される立派な職業だという単純な理由からです。医者以外に理系の仕事のイメージがあまり思い浮かばなかったこともあるかもしれません。数学を職業にするのは無理だし、物作りにも興味はなかったから理学部や工学部の選択肢はありませんでした。
———進学は医学部と決めていたんですか。
そうですね。ずっと岡山にいてもつまらないし、成績も悪くなかったから京都大学を受けようと思っていました。ところが共通一次試験の点数がよくなかったので、共通一次重視の京大は難しい。それならと東京大学を受けたんですが、その年は落ちてしまい、東京の予備校に通うことになりました。
———すると、下宿したのですか?
高校の友達と上京して予備校の寮に入りました。寮のあった埼玉の草加からラッシュアワーの電車に詰め込まれて、いやぁ驚いたなぁ、満員の乗客を押す駅員さんまでいるんですから。半年ぐらいは典型的なオノボリさんで、原宿や新宿を見て歩いてポカーンとしていた(笑)。予備校にも驚きました。昔は偉く見えた高校の先生なんて比較にならないほど、予備校の先生たちは教えるのがうまい。高校時代はつまらないと思っていた物理の授業がおもしろくて、相対性理論などの本を読むようになりました。
———そして、無事東大にも合格。大学生活はいかがでしたか?
下北沢に住んでいました。当時はまだ戦後の闇市*の名残がある市場が駅前にあって、そこの八百屋が大家さんでした。狭い6畳一間のアパートで、お風呂もないから毎晩銭湯通いです。
*闇市:戦後のモノ不足に対処するために行われた統制経済下で、公的には禁止されていた流通経路を経た品が並んでいた市場
———部活やサークル活動などは?
部活やサークルでみんなと一緒に何かやろうっていうのは苦手で、参加しませんでした。塾と家庭教師のバイトを掛け持ちして、学校は出席を取る授業だけ出る。試験の数日前だけは試験対策委員会とかいって集まって勉強するんです。3年からは医学部の授業も始まりましたが、あまり記憶にないですね。友人たちとファミレスで明け方までしゃべって、空が白むころに下宿に戻って夕方4時か5時ぐらいまで寝て、また友人たちと夕食を食べに行く。そんな生活を続けていました。さすがに解剖の授業とか、出席しなければ落とされる実習などはちゃんと出ましたけど。解剖学の養老孟司(ようろう・たけし)先生の授業はおもしろかった。解剖学というより味わい深い哲学的な話が多かった記憶があります。
———そのほか印象に残った授業はありましたか。
5年生のときの夏の実習で、第四内科教授の尾形悦郎(おがた・えつろう)先生の内分泌学がおもしろかったですね。厳しいけれどとても教育熱心な方で、後に名誉教授になられました。
ただ、基本的に医学部は覚えることの方が圧倒的に多いんです。だから、自分が興味を持ったことは図書館に行ったり教科書を読んだりして勝手に勉強していました。
———どんな勉強でしょう?
臨床内科学の世界的な教科書である『ハリソン内科学』という3000ページを超える分厚い本を、章ごとに破いて読み終えたら捨てていきました。8割近く読み進み、中枢神経系の章あたりでやめてしまったけれど、疾患の症状や病態生理学がとても詳しく載っている本でした。ホジキン・ハクスレーモデル*という脳神経細胞の活動電位を数学的にモデル化した理論は、サイエンスの香りがして実におもしろかった。でも医学関係の本よりも、朝永振一郎**(ともなが・しんいちろう)先生の素粒子論とかディラック***の量子力学を読む方がずっと楽しかった。学問の理論の美しさがあるんです。
*ホジキン・ハクスレーモデル:イギリスの生理学者アラン・ロイド・ホジキン(Alan Lloyd Hodgkin)とアンドリュー・フィールディング・ハックスリー(Andrew Fielding Huxley)によって提案された神経細胞の活動電位モデル。ヤリイカの巨大神経細胞軸索を用いて、ナトリウムイオン(Na+)とカリウムイオン(K+)のチャネルの開閉を微分方程式で記述し、1963年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
**朝永振一郎:素粒子物理学を中心とする理論物理学の研究で1965年にノーベル物理学賞を受賞
***ディラック:ポール・エイドリアン・モーリス・ディラック(Paul Adrien Maurice Dirac)。イギリスの理論物理学者で量子力学の創設者の一人とされる。1933年にエルヴィン・シュレーディンガー(Erwin Schrödinger)とともにノーベル物理学賞を受賞。
もっとも、医学部の 5、6年はさすがに国家試験に備えて勉強しましたよ。ポリクリ(臨床実習)のグループの友達と過去問を教え合ったりしてなんとか合格しました。