どうして白血病になるかを解明したい
———卒業後はどうしようと考えていたのですか。
研究者になろうなんてまったく思っておらず、臨床をめざしていました。外科はちょっと体育会系の雰囲気があって自分には向いていなさそうなので、内科がいいかなと。学生時代に不明熱で3週間ほど東大病院に入院して世話になったことや、尾形先生の実習がおもしろかったこともあって、卒業前は第四内科にしようと考えていたんです。
———国家試験に合格して医師免許を取得すると、病院での臨床研修が始まりますね。
研修で最初に行ったのが第三内科でした。血液内科の髙久史麿(たかく・ふみまろ)先生が教授で、当時すごく活気がありました。髙久先生には医学部3年生のころからお世話になっていたんです。お昼時間に有志を集めて症例を考える勉強会に呼んでいただいたほか、研究室を訪ねて話を聞く雑誌の企画を紹介してくださいました。東大分子細胞生物学研究所の鶴尾隆(つるお・たかし)先生に薬剤耐性のお話をうかがったり、国立がんセンターの田矢洋一(たや・よういち)先生にがんの原理をうかがったり。レポートをまとめると原稿料も少しもらえ、勉強にもなったし楽しかった。そんなご縁もあって、次に第四内科に回るつもりだったのに、髙久先生率いる第三内科を選びました。
———その時点では、まだ臨床をめざしていたのですよね?
はい。でも、第三内科に入ってみると宮園浩平(みやぞの・こうへい)先生、間野博行(まの・ひろゆき)先生、門脇孝(かどわき・たかし)先生など錚々(そうそう)たるメンバーがまだ若手として頑張っていました。ぼくが25歳、先生たちも30代そこそこで、臨床の合間に熱心に研究をしていました。
研修医の2年目は髙久先生の紹介で自治医科大学附属病院に1年ほど行き、造血幹細胞研究の第一人者である須田年生(すだ・としお 現・熊本大学卓越教授)先生に研究の話をずいぶん聞かされました。そのころから、血液の研究もおもしろいなと思うようになったんです。
———研究のどこにおもしろさを感じたのでしょう。
そもそも、血液学は研究と臨床が近いんですね。患者さんの検体を採って、すぐに研究ができる。ほかの科では、そう簡単にはいきません。医師となって多くの患者さんの診療に携わって、がんで苦しむ患者さんを目にするうちに、「どうして白血病になるのだろう」と自然に考えるようになりました。
白血病というのは血液のがんですが、1980年代後半からがんが遺伝子の異常で起こるということがほぼ確立されてきており、私が卒業した88年にはがんの遺伝子ハンティングが盛んに行われていました。
もう一つ、大学時代に髙久先生の授業で、慢性骨髄性白血病は、フィラデルフィア染色体と呼ばれる遺伝子の異常によって、融合タンパクが形成され、造血幹細胞が異常に増殖することが原因で起こると教わったのです。まだ発見されたばかりで教科書にも載っていなかったけれど、遺伝子の異常と疾患の原因が分子レベルで明らかになる時代に入ったことが強く印象に残りました。
それまでは医学は膨大な知識の積み上げが必要で覚えることばかりだと感じていたんですが、遺伝子の特定からメカニズムへという、論理で解明できる領域であるなら挑戦しがいがある。責任遺伝子*をクローニング**すればよいという目的も方法論もはっきりしており、駆け出しの自分でも研究のスタートラインに立てる気がしました。
*責任遺伝子:ある疾患を発症する原因として、ある遺伝子を持つことが必要条件となるような遺伝子のこと。
**クローニング:ある特定の遺伝子などを含む DNA 配列を単離し、同定すること。