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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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アメリカ留学で、科学と研究の楽しさを知る

———アメリカの大学に留学した目的は何ですか?

姉が高校時代にイギリスに留学して、英語がペラペラになって帰ってきたんです。英語ができなきゃ世界では通用しないなと痛感しました。ただ、大学進学後に1年程度短期留学するのでは父に「考えが甘い」と反対されると思って、4年間、海外で頑張ろうと決めたのです。

———留学先はどのように選んだのでしょう。

最初は本で情報を集めて、学部も絞り込めないまま10校くらいに願書を送りました。そんなころ、国際高校は帰国生や外国人が多いので、アメリカのオハイオ州にあるオーバリン大学のリクルーターが来たんです。詳しく調べてみたら、リベラルアーツ・カレッジで専門性を問わず幅広い領域の学問が学べること、学部教育に力を入れていること、そしてアメリカのカレッジのなかでは図書館の蔵書数がトップクラスだとわかりました。さらに、高校の英語の先生がオハイオ出身で「すごくいい大学よ、行ってみたら?」とおっしゃったんです。そこで、それ以上たいした下調べもせずに決めてしまいました。

———大学では脳や神経の勉強をするつもりだったのですか?

最初は理系の分野をいろいろと学んでみようと考えていました。そのなかに脳神経学の基礎クラスがあったんです。留学してからわかったのですが、オーバリン大学はカレッジとしてはアメリカで初めて神経学部を設置した学校で、後にノーベル生理学・医学賞を受賞したロジャー・スペリー(Roger Sperry)もここの卒業生です。1年生から本格的な実験の授業もありました。1、2年生のうちは基礎的な「結果を出すための実験」なんですが、3、4年生になると 「答えを探すための実験」になるんです。これがすごく楽しくて、大学院に行こうと決めた大きな理由のひとつです。

———初めてのアメリカで、学生生活はいかがでしたか。

1、2年生はドミトリー(寮)に入りましたが、集団生活にはちょっと馴染めなかった。相部屋だったので1人になれないのが辛かったですね。ただ、3年生からは大学所有の一軒家を女子学生5人ぐらいでシェアできたので、ちょっと大人になった気分でした。日本人が学年に2~3人と少なかったので、必然的に英語力も鍛えられました。

2年生の時のルームメイトと

3,4年生の時のハウスメイト(右から2人目)

———大学ではどんな研究をしたのですか。

4年次に1年間かけて卒論に取り組みました。祖母の認知症のこともあったので脳神経を調べようと考えたのですが、私は客観的に解析できるほうが好きなので、パーキンソン病をテーマに運動機能を見ることにしました。ラットを使い、細胞の衰えによる運動機能障害を調べたんです。運動の訓練をすると筋肉が鍛えられるだけでなく、ホルモンなどが変化して細胞にもいい影響が出ることが知られています。そこで、毎日、運動をしているラットは、していないラットよりも運動機能障害が進行しにくいのではないのかという仮説を立てて実験しました。その結果、パーキンソン病の運動障害が、日々の運動により有意な機能改善が見られました。
卒論では先生が親身になってアドバイスをくださり、実験のデザインからデータを解析して人に見せるところまで、しっかり取り組むことができました。これは大学院課程のないカレッジならではだと思います。とても楽しくて、もっと研究をしたいと強く思いました。この経験がなければ、卒業後は日本に帰っていたかもしれません。