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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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ベルギーで研究チームを率い、脊髄の学習を確認

———ベルギーの研究所で研究室を主宰されますね。どんな研究所ですか?

フランダース・バイオテクノロジー研究所(Vlaams Instituut voor Biotechnologie: VIB)といって、日本の理研のような位置づけの研究所です。バイオ系のさまざまな分野の研究センターを国内に10カ所ぐらい持っています。

———VIBではどんな研究をなさったのでしょう。

脊髄と学習についての研究です。ふつうは「脳が学習して脊髄が実行する」と考えます。だから脳神経学者でも “脊髄と学習”という組み合わせは少々違和感があると思います。でも考えてみれば、それまで調べていた運動機能の回復も学習なんですよ。新たに動きを覚えることですから。
それと、私は大学院でレジー先生がおっしゃった「脊髄で起こる学習がある」という言葉がずっと頭に残っていて、きちんと調べてみたかったんです。生き物がいろいろな動作を一度に行うとき、いちいち脳に頼っていたらパンクしてしまいますよね。だから、学習した動きを記憶する役割が脊髄にもあって、脳を助けているのではないかと考えたんです。たとえば自転車は一回乗り方を覚えれば、次からは頭で考えなくても乗れるようになります。これも基本の動きを脊髄が覚えたからではないかということです。

———スポーツでも、同じ型を繰り返して「体で覚えろ」と言いますね。

運動で何回も練習することを英語では「マッスルメモリー(筋肉の記憶)」と言いますが、私はそれこそが「スパイナルメモリー(脊髄記憶)」ではないかと考えたんです。そこで、脊髄損傷モデルのマウスを用意して、脊髄を切り離して脳からの信号が伝わらないようにしました。そして、片方のマウスは足が垂れ下がった状態でランダムに電気刺激を与え、もう一方のマウスには足がうんと下がったときだけ電気刺激を与えました。それを10分ほど繰り返したところ、後者のマウスは電気刺激を嫌がって足を上げた状態を保つようになったのです。

———脳からの指令がなくても、刺激を避ける動きを覚えたのですね。

そうです。次に、マウスが行動を覚えるときにどんな細胞が働いているかを調べました。記憶を調べるというと、脳に電極を刺す実験を思い浮かべるかもしれません。でも、頭蓋骨に覆われて大きく動くことのない脳と違って、背骨の中を通っている脊髄は、体の動きに応じて柔軟に動くようにデザインされています。そのため刺した電極を固定するのが難しく、少しでもマウスが動けば硬い金属製の電極が脊髄にある神経細胞を物理的に損傷してしまいます。だから、脊髄の神経細胞を従来の電極で調べるのは無理だと考えられていました。
ところが近年、非常に薄くて柔らかいシリコン製の電極が開発されたんです。運のいいことに、それを開発したIMEC*という研究所の建物内に私の研究室があったので、詳しい技術情報や、脳の実験に使った研究者の話を聞くことができました。そこで、この柔らかい電極を使って脊髄を調べてみようと考えたのです。その結果、脊髄には学習に大切な細胞と、記憶に大切な細胞の2つのグループがあることを世界で初めて確認することができました。

*IMEC:Interuniversity Microelectronics Centre。ベルギーのルーベン市に本部を置くナノエレクトロニクスとデジタル技術分野の世界的な研究機関。

———脊髄に学習や記憶の機能があった!どんな実験をしたのですか?

私たちが使ったのは、1列約100個の電極を20ミクロンぐらいの間隔で4列並べた厚さ75ミクロン、幅60ミクロンのシートです。それをマウスの脊髄に差し込んで、神経活動の計測ができるようにしました。手足が自由に動く状態になるようにマウスを背骨で固定し、電気刺激を与えます。取得した膨大なデータは、大型コンピュータで解析し、行動と細胞の関係を見ていったのです。

使用した電極

———実験で大変だったことは何ですか。

脊髄の電極実験は前例がなかったので、必要な装置から実験の手法まで、すべてが手探りでした。最初は電極を何度刺しても神経活動を記録できませんでした。マウスは動いているので神経細胞の発火(興奮)は起こっているはずで、どこかが間違っている。そうした何百ものトラブルを1つずつ潰していったのです。担当した学生やポスドクも大変だったし、彼らがくじけないようにサポートする私の労力も相当なものでした。結局、新型コロナの影響もありましたが、実験の体制を整えるまでに3年かかりました。

ラボのパーティ(2列目左)

2021年5月9日に開催された「Wings For Life World Run」という脊髄研究のための世界規模のチャリティ・ランイベントにラボメンバーと参加。参加費の全額が非営利団体Wings for Lifeに送られ、脊髄損傷の治療法発見に役立てられるもの。

2023年5月7日のWIngs For Life Run