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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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大学で初めて受けた分子生物学の授業をきっかけに

———子ども時代の思い出を教えてください。

岡山市の東、市街地から離れた平島(ひらじま)という地域で育ちました。外遊びが好きで、小学校から帰ると毎日のように釣りに行っていました。将棋も好きで小学生のころは校内ではほぼ無敵。将棋の本を読み漁っており、中学時代には市の中学校対抗大会で優勝したこともあります。ソフトボールも得意でしたが、小学校の最後に肘を痛めて投げられなくなってしまい、中学は陸上部(なぜか苦手な長距離を選択)、高校はバスケ部に所属。ただここでも膝に水が溜まって長期間練習できなくなり、スポーツ好きでずっと運動部だったものの、あまり思うようにいかなかったですね。

小学生時代。3つ下の弟と。

———学校の授業で得意だったのは?

どちらかと言えば理数系です。ばくぜんと研究者にあこがれていました。一方、通訳か何かになって、英語を使って世界を飛び回ってみたかった。

———大学は薬学部ですが、進路はどのように選んだのでしょう。

田舎だから高校はだいたい近くの普通科に進むんです。理系に進んで、理科の選択はなぜか男子は物理と化学という感じだったので、それにならいました。進学を考えるようになって生物にも興味を持ったんです。でも生物は選択していないから、物理・化学で受験できて生物の研究もできる学部ということで薬学部を選びました。
地元の岡山大学なら薬学部もあるし、親も喜ぶと思って決めました。岡山のような地方の大学の薬学部は、地元の優秀な女子が集まる学部だったんです(そのおかげで男子がほぼ落ちてしまいます)。でも大学としては男子学生も増やしたかったようで、タイミングよく推薦入学を開始し、積極的に男子生徒を募っていました。田舎のおかげで校内の成績だけはよかったので、受験勉強もほとんどせず推薦枠で入学できました。なんと薬学科の40人中、男子はたったの8人、うち4人が推薦入学でした。

———推薦で入学したからには、大学では大いに勉強したわけですか。

肘が治っていたので、久々にソフトボールを再開したんです。高校でインターハイに行ったような人がゴロゴロいる強いチームで、すっかり熱中して練習漬けの毎日です。インカレ(全日本学生選手権)に2回行きました。部活をして友達と飲んで寝る日々で、授業にもろくに出ない。学業は絵に描いたような劣等生でした。

———生物学に目覚めたきっかけは?

3年生の授業で受けた早津彦哉(はやつ・ひこや)先生の分子生物学がめちゃくちゃ面白かったんです。DNAには塩基があって、糖とリン酸が鎖のようにつながっているといったことを初めて知って衝撃を受けました(それまで授業に出ていなかったからかもしれませんが)。RNAが触媒のように働くことを見つけたトーマス・チェックとシドニー・アルトマンが1989年にノーベル化学賞を受賞するなど、分子生物学は今まさに目の前で動いている学問だと感じました。授業だけでは物足りなくて、本屋で一番ぶ厚い分子生物学の本を買いました。フライフェルダーの『分子生物学』です。上下巻合わせて900ページもある専門書ですが、これもすごく面白くて、隅から隅まで読みました。劣等生の日々が180度変わったような感じでした。

———いきなり、分子生物学の面白さに目覚めたんですね。

早津先生は発がん研究の第一人者である杉村隆(すぎむら・たかし)先生の本も紹介してくださいました。当時はまさに、がんという病の謎が分子生物学で次々と解明されはじめていた時代で、病気の発症や細胞の働きが分子で説明できると知って、自分が将来進む道はこれしかないと思いました。