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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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謎のピーク解明にのめり込み、研究で生きることを決意

———卒業研究のための研究室はどこを選んだのでしょう?

分子生物学の面白さを教えてくださった早津先生の研究室に決めました。がんに興味を持っていたことから、ラボの助教授で、核酸化学が専門の綿矢有佑(わたや・ゆうすけ)先生のもとで研究することになったのです。
綿矢先生は、当時、抗がん剤を投与するとがん細胞のDNAが切断(断片化)され、細胞死するメカニズムについて研究していました。抗がん剤のせいではなく細胞が自殺するしくみがあるはずで、その際に活性化する酵素を探していたのです。のちに、その酵素がCAD(Caspase-Activated DNase)であることを大阪大学の長田重一(ながた・しげかず)先生たちが発見しますが、当時はわかっていなかった。「アポトーシス」という言葉がまだ一般化していない時代です。綿矢先生も同じ点に着目していたのです。

———綿矢先生のもとで井垣先生はどんな研究に携わったのですか。

細胞死についてもう少し詳しくお話しすると、マウスの乳がん細胞にある抗がん剤をかけると、細胞のDNAを構成するA(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン )の4種類の塩基を作るためのヌクレオチド(dNTPプール*と呼ばれる)のうちTだけが極端に減ってしまい、それによりDNA合成がうまくできなくなり、最終的にDNAの二本鎖が切断されて細胞が死んでいくんです。プリンタの青、赤、黄、黒のインクの1つが足りなくなって印刷できなくなることを思い浮かべるとわかりやすいかもしれません。
卒業研究を始めるにあたって、まず、dNTPプール内の4つのヌクレオチドの量を高速液体クロマトフラフィー(HPLC : High Performance Liquid Chromatography)で測る練習から始めました。薬剤をかけたがん細胞とかけなかったがん細胞のdNTPプールを比較することで、薬剤がどのヌクレオチドに影響を及ぼすかがわかるのです。

*dNTPプール:dNTPはデオキシリボヌクレオシド三リン酸の略。dATP、dCTP、GTP、dTTPのヌクレオチド4種類から構成され、DNA鎖の生合成に使われる。また、実験ではPCRやDNA配列を決定するシーケンシングなどに用いられる。

測定にも慣れたころ、別の先生から「核酸アナログ」という核酸によく似たある分子で大腸菌を処理するとDNAの突然変異が誘導されるので、哺乳類の細胞では何が起こるか練習がてらdNTPプールの変化を調べてほしいと頼まれました。
言われたとおりにがん細胞を核酸アナログで処理してdNTPを測ってみると、普通はATGCの4つのピークが出るのに、もう1つ、ぴょこんと謎のピークが現れたんです。「何だこれは?」と驚いて、その原理を1人で考えました。「これは核酸アナログが代謝されてdNTPプールに入り込んだもので、おそらくその後DNAにも入り込んで細胞に影響を及ぼしているのではないか? 世界で自分しか知らない新事実かも!」。そう思ったら夜も眠れないほど興奮して、次の日にはその結果を持って研究室に行き「このピークの解明を卒業研究にしたい」と綿矢先生にお願いしました。

———見たことのない事実!どうやって解明したのでしょう。

調べる手法もピークの正体(化合物)も見当がつかなかったので、綿矢先生と考えられそうな化合物をいくつか想定しました。しかし、その化合物は試薬としては売っておらず、作り方もわかりません。すると先生が「この論文を読んでごらん」とヒントをくれたのです。この有機合成の論文を参考にすれば、想定している化合物を作れるはずだと。
そこからは一人で何か月も試行錯誤を繰り返し、ピークの正体と思われる化合物を試作しました。そして、これを加えれば完成という最後の物質を混ぜたとたん、なんと溶液が真っ黒に濁ってしまったのです。
この状態ではHPLCで読み取ることもできません。必死で原因を調べ、途中で触媒に銀を使っていたので塩酸を加えれば黒い溶液が塩化銀になって沈殿するのではと思いつきました。試してみると、溶液はみるみる透明になり、中和後にHPLCに流すとなんと謎のピークとぴったり一致しました。感動の瞬間でした。決して大きな発見ではありませんが、自分で見つけた現象の解明に取り組み、結論まで導いた経験は格別で、卒論発表会での高揚した気持ちは今でも覚えています。早津先生に塩酸を加えて溶液を透明にしたことで成功できたことを報告すると「それはユニークな手法だから井垣法と呼ぼう」と褒めてくださりすごく嬉しかったです。

修士1年のころ(写真右)。