公益財団法人テルモ生命科学振興財団

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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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高校の授業で、仕事としての研究にあこがれをいだく

———子どものころはどんなお子さんでしたか。

小さいときからどちらかというと内向きで、友達と遊ぶより1人でラジオのFM放送を聴くのが好きでした。アンテナの向きや角度を調整してFMの電波を探して、それまで耳にしたことのない曲を聴くのが楽しかった。母と一緒に映画もよく見ましたが、まだ字幕もちゃんと読めなかったので、あとから内容を説明してもらってようやく「あれが伏線だったのか」と理解するレベルでしたね。たぶん、5歳上の姉がいたので背伸びしたかったのかもしれません。

———中学、高校は何をして過ごしましたか。

大阪の仏教系中高一貫の女子校に通いました。校舎のすぐ近くに境内があり、お線香の香りや鐘の音が聞こえる、そんな環境で過ごした6年間でした。授業は7時限まであるし、通学にも1時間半かかったので部活をする余裕はありませんでした。英語、とくに文法が好きでした。日本語と比べてルールが明確な感じがしたのだと思います。日本史や、それまで学んだことのなかった漢文なども新鮮で好きでしたね。

———理系分野に興味を持ったのはいつごろでしょう。

高校の授業で、それまで理科とまとめられていたものが、生物や物理、化学、地学などと細分化され深まってきたことでおもしろく感じられるようになりました。生物の授業でアミノ酸などの化学式が出てきて、生物のしくみが化学式で解けるのかと生物と化学のつながりにわくわくして、化学もいろいろな分子のパズルのようで興味を持ちました。私の高校は8割以上が医歯薬・理工系に進むのですが、個性的な先生が多く、授業も試験も独創的で、熱心な先生たちばかりでした。高校1年のときの生物の先生が、大学で研究をしながら高校で指導をされていて、年齢が近く、授業中に大学での研究生活のことを話してくださり、研究者という存在を身近に感じられる大きなきっかけになりました。

———研究者にあこがれたんですか?

中高生の間は、勉強の意義や目的を考えこみがちですが、大学での研究者という、学問が直結する仕事に単純にあこがれをいだきました。化学で生物の謎を解くことができればおもしろいなと漠然と考えていました。

———大学はどういった観点から選んだのでしょう。

自宅から通える近畿圏で、現役で入れる国立大学との思いもあり、阪大の理学部化学科を選びました。ちょうどそのころNHKスペシャル「驚異の小宇宙 人体」の新シリーズを熱心に見たり、利根川進先生と立花隆さんの『脳と心』といった対談や、分子でどのように生物を説明するかというような本をさかんに読んだりしていて生物科学科も考えたのですが、二つの理由から化学を選びました。一つは利根川先生も化学から分子生物学に進んでいるように、化学を勉強してから生物を研究するという道も魅力に感じたこと。もう一つは、オープンキャンパスに出かけたり大学院の案内をいろいろ見たりして、ひと口に化学科といってもいろいろなラボがあるから、入り口は化学でもあとからいろいろ考えればいいと考えたのです。

———大学院の案内まで調べたんですか!

高校生だから研究内容をわかっていたわけじゃないんですけど、あのころは化学の中でもバイオに関わる分子を研究している村田道雄(みらた・みちお)先生(現 大阪大学蛋白質研究所 特任教授)の研究室に行こうと一方的に決めていました。なんと阪大に入って最初のクラス担任が村田先生で、履修や進路のことでいろいろとご相談させていただいて、たいへんお世話になりました。

———大学生活はいかがでしたか。

1年のときに、文系理系すべての学部学科をシャッフルした少人数制の基礎セミナーがありました。どのセミナーに行きたいか、志望理由を書いて提出した中から選抜されるんですが、運よく第一志望で決まったのが、生物学科の倉光成紀(くらみつ・せいき)先生(現 大阪大学 名誉教授)のセミナーでした。文理関係なくいろいろな分野から集まった10人の1年生が、半年間、毎週土曜日に研究室で遺伝子実験やグループワークに取り組みました。プログラムが終わったあとも好きなだけ来ていいと言われ、タンパク質の解析に取り組む院生と一緒に、DNA配列を探ったり、夏休みには高校生に教える実習の手伝いをさせてもらったりしました。おもしろくて、1年ほど倉光研に入り浸っていましたね。
また、せっかく大学生になったのだからと、探検部に入り、カヌーで川下りをしたり、キャンプや旅行に行ったりとキャンパスライフを満喫しました。