修士のあと、いったん研究者の道から離れる
———卒業研究の研究室はどういうテーマで選んだのでしょう。
どこにするかはかなり迷いました。勉強を進めるうち、高分子研究や合成系など新しい分子を生み出す研究の魅力ももちろん感じましたが、理論がしっかり確立された化学の世界は、わからないことだらけの生物分野に比べて新鮮味が足りないような気もしていました。生物は年々、教科書も新しい発見で上書きされていく勢いがあって、すごく刺激的に見えました。
最終的に選んだのは、新しい分析法の開発から、独自の装置の発明まで非常にユニークなご研究で世界を牽引されていた分析化学の大家、渡會仁(わたらい・ひとし)先生(現 大阪大学 名誉教授)の研究室です。渡會研は、各自の方法論も違えば使う装置も異なっていて、計算している人もいれば装置の開発を進める人もいて、自由な雰囲気が魅力的でした。ここなら新しい発見ができそうだという期待感があったのです。

渡會先生とともに

2024年3月に開催された渡會先生の喜寿祝賀会(前列右から2人目が渡會先生。右端が松垣先生)渡會研究室の卒業生、歴代スタッフの先生方とともに。
———研究テーマはどのように決めたのですか。
入ってから相談して決めるつもりでいたら、渡會先生は「人類がアフリカで誕生したのは…」とか、今では当たり前のキーワードになりましたが、当時から「サスティナビリティ」の重要性を説かれており、地球規模の壮大なお話をひとしきりされて、「卒論は各自が自由にやってください」とおっしゃるだけでした。結局、いろいろな論文を読んだり、先輩のやっていることを見たりしながら研究テーマを手探りで考えました。どうしてもバイオを対象にすることにこだわりがあったので、当時講師だった文珠四郎・秀昭(もんじゅしろう・ひであき)先生(現 高エネルギー加速器研究機構 特別教授)にあれこれご相談したところ、「DNAと有機分子の会合体*を測定してみたら?」とアドバイスをいただきました。渡會先生、文珠四郎先生の指導を受けながら、分子のらせん構造の詳細を解析する装置を開発したのですが、自分が作った装置で分子構造を解析できたときには初めて感じる達成感がありました。
*会合体:同種の分子またはイオンが分子間力によって会合し、一つの分子またはイオンのようになった集合体
卒論の成果を発表して、他大学の先生たちに興味を持ってお話しいただけたことは、大きな励みになりました。研究という共通言語があれば、高名な先生たちと話すことができる、学問の世界の魅力を感じた瞬間でした。
一方で、卒論のあとの進路を考えると、分子の構造がわかったら、今度はそれがどのような機能を生物にもたらしているかが知りたくなり、大学院の試験を受け直して、阪大の蛋白質研究所に所属する神経発生のラボで修士の研究を進めることにしました。

恩師の文珠四郎先生と(2024年3月)
———神経発生を選んだのはなぜですか。
脳・神経のしくみは未だに解明できていない未踏の領域が多く、せっかく新しい分野に踏み出すなら神経分野にチャレンジしてみたいと考えたのです。ラボの吉川和明(よしかわ・かずあき)教授(現 大阪大学 名誉教授)はNIH(アメリカ国立衛生研究所)等を拠点にアルツハイマー研究や神経発生のメカニズム解明で先進的な研究を展開されていました。蛋白質研究所は日本のタンパク質研究の大御所の先生方が名を連ねられている最先端の研究拠点です。これまでの化学科での卒論とは研究室の雰囲気も違って、学生として研究するというよりも、研究所の一員という毎日で、とても新鮮でした。
———研究所ではどのような研究をしたのですか?
ラボで学ぶことは初めてのことばかりで、遺伝子組み換えマウスを使って脳細胞の応答を調べたり、脳の細胞新生をスライスした切片を使って調べたりしました。海馬から採取した細胞を手順通りに培養してもうまくいかず、生物を相手にする難しさも思い知らされました。他大学から来ている人も多く、研究はおもしろかったですね。ただ、脳や神経といった非常に根源的な分野に取り組んでいたからかもしれませんが、研究を深めるうちに、研究成果をどう社会に役立てるのか、そういったことに興味が移っていくようになりました。
———それで研究をやめて就職したんですね。
完全に研究と離れるのではなく「研究と社会をつなぐ」仕事ができればと、研究機関のサイエンスコミュニケーションや広報の仕事を探しました。広く産業技術分野の研究開発に関わる国の研究機関で、研究事務の仕事で内定をいただくことができました。自分の研究経験を生かして国の研究機関に貢献できるのは大きな魅力でした。
———研究広報の仕事はできたのですか。
サイエンスカフェや公開講座の手伝いなど、研究を広めるためのサポートを担当しました。初めてのデスクワークです。今までとは違った視点で研究と接することで、広い視点で、より客観的に、科学研究をみる視力は養えたかなと思っています。さまざまな最先端の研究成果に接するうちに、改めて「第一発見者となる喜び」がよみがえり、「やはり自分は研究が好きだったんだ」と実感しました。それでもう一度、研究の現場に戻ろうと決意したのです。