学生時代から研究室を回って武者修行
———子供時代はどんなふうに過ごしていましたか?
生まれは東京ですが、中学2年ぐらいまでは埼玉県志木市で育ちました。自然もあって子供にはいい環境でしたが、喘息アレルギーで、近くの河原の土手に咲く植物のせいで春先になると平熱が1度ぐらい上がるんですよ。だから外遊びよりも、室内でボードゲームやテレビゲームをやる方が好きでした。数学の研究者だった父の影響で数学パズルもよくやりました。


幼少期
———好きな科目はありましたか。
とくに算数や理科が好きで、父とは化石掘りや上野の国立科学博物館にもよく行きました。子供のころって、進級のたびごとに、将来何になりたいかと聞かれますよね。幼稚園では化石を発掘する考古学者、小学生時代は数学者、中学生になってからは生物の研究者になりたいと書いた記憶があります。
———中高校時代、クラブ活動などは?
6年間スキー部に所属していました。といっても、スキーは冬にはいろいろやることがあるけれど、夏場はローラーブレードぐらい。友達が同好会を作りたいというので、ジャグリング同好会と折紙同好会を一緒に作りました。ジャグリングの公式ガイドブックに、ぼくが編み出した技が今も載っているんですよ。折紙は自分で新しい折り方を工夫するような上級者ではなく、文化祭での展示用に合宿して数百枚折りました。スキーよりよほど疲れたけれど、和気あいあいとやってましたね。

ジャグリングの練習(2000年8月)
———中学に入って生物に興味を持つようになったきっかけなどがありますか。
中学に入ったころ、免疫についての本を読んだんです。絵入りで、T細胞やマクロファージが病原菌を倒す説明が描かれていて、それがシミュレーションゲームのようでおもしろく、そこから生物に興味を持ちました。高校では生命科学をもっと知りたくて、本もずいぶん読みました。とくに当時広島大学の教授だった井出利憲(いで・としのり)先生の『分子生物学講義中継』は何回も読み返し、次第にタンパク質とかDNAといった生物のしくみに引き込まれていったんです。

2003年ごろ(後列左から5人目)
———進路はどのように決めたのでしょう。
研究環境としてベストな大学を選びたいと考えて学校や塾の先生に聞いてみると、東京大学を挙げる人が多かった。ならば、めざしてみようと。
合格が決まると、入学前から『Molecular Biology of the Cell』という世界的な分子生物学の教科書の日本語版を読みはじめました。当時は何でも早め早めに行動したい性格だったのかもしれません。入学後は、アメリカの生化学者・ヴォート夫妻の名著『Biochemistry』を、こちらは原著で買い求め、両方とも1年生の間に読破しました。

大学では合気道のサークルに所属。仲間とともに。2005年9月(前列右)

袴姿でポーズ(2006年9月)
———生物学でやりたいことは決まっていたのですか?
テーマは絞れていませんでした。ただ、研究室に配属されるのは4年生からなので、それまで待っていられなくて、興味のある研究室を自分で訪ねて回りました。大学2年のときは授業を受けていた深田吉孝(ふかだ・よしたか)先生の研究室で実験の手伝いをさせていただきました。先生は概日リズム*が専門で、ラボの大学院生に教わりながら、培養細胞を使って睡眠のリズムを測ったり、リズムの調節に関わる遺伝子を入れて変化を調べたりしました。3年のころは、分子細胞生物学研究所(現・定量生命科学研究所)の堀越正美(ほりこし・まさみ)先生の研究室で、遺伝子の転写調節など基礎的な生化学や遺伝学の実験に取り組みました。要求水準の高い先生で、ずいぶん鍛えられましたね。
*概日リズム:生物が約24時間周期で体温やホルモン分泌などの体内環境を変化させる機能のこと。
———学部生も受け入れてくれたんですね。
東大はそういう風土があるのかもしれません。もちろん、余裕がなければ断られたと思いますが、積極的な学生は応援したいと考える先生が多かった気がします。