最高峰のラボで腕を磨く
———学位取得後、スタンフォード大学に留学なさいます。留学先選びはどのように決めたのでしょう?
チャネルロドプシンの論文の執筆が佳境に入ったころ、濡木先生からアメリカの学会帰りにカール・ダイセロス博士に会うことになったから、論文を大至急完成させて持ってきてくれと言われました。
必死で仕上げて渡米したところ、同じスタンフォード大学でGタンパク質共役受容体(GPCR)*の構造解析で2012年にノーベル賞を受賞したブライアン・コビルカ(Brian Kent Kobilka)博士のラボを訪ねることになりご挨拶しました。後日、コビルカ博士が来日された際に、博士研究員(ポスドク)として受け入れてもらえないかと相談したら「君の仕事はよく知っているから、明日からでも来てくれていい」と言ってくださった。聞けば、博士は私が国際学会で行ったチャネルロドプシンに関する口頭発表も聞いていて、私のことを覚えてくれていたんです。そんなわけで、わずか5秒でポスドク先がスタンフォード大と決まりました。
*Gタンパク質共役受容体:G protein-coupled receptor:GPCR。細胞膜上に存在する膜タンパク質の一種。細胞膜を7回貫通する特徴的な構造を持つことから「7回膜貫通型受容体」とも呼ばれる。細胞外からのホルモンや神経伝達物質などのシグナルを認識し、細胞内のGタンパク質を活性化させることでシグナル伝達を行う。
———コビルカ博士の研究室はいかがでしたか。
博士のラボはノーベル賞をとった、いわばその世界のトップです。そのラボの運営や研究を間近に見ることができたのは良い経験でした。自分の研究のひとつの基準ができたのは大きな財産です。
スタンフォードはポスドクの比率が高く、コアファシリティ*が充実していて、しかもキャンパス内には各分野のエキスパートが揃っている。大学内でハイレベルな共同研究が完結してしまうんです。そうした部分は簡単には真似できませんが、研究における共用施設のありかたや、充実したサポート体制などは日本でも非常に参考になると思います。
そして、なによりブライアンは立派な人格者でした。留学前に、候補先のほかのラボも含めて調べたときも悪い噂は一つも聞こえてこなかったし、実際に多くの人に慕われている。そして、ものすごく勉強家です。X線結晶構造解析で得られるタンパク質の静止画像だけでは飽き足らず、原子核の磁気共鳴を利用したNMR(核磁気共鳴)という手法で動画が見たいと、専門外なのに分厚い教科書を1冊読んで装置の原理を勉強して、NMRの研究者と共同研究をしていました。「最低限、そのくらい知らなければクリティカルな質問**もディスカッションもできない」と言われて、さすがだなと驚きました。それがあるから、今の地位と評判があるんですね。
*コアファシリティ:複数の研究者が使用する研究用設備・機器とその維持管理・運用を担う人材を含めて整備した研究の核となる共用施設。
**クリティカルな質問:表面的な疑問や確認ではなく、物事の根底にある問題や前提を掘り下げるような、急所を突いた質問や議論を深めるための問いのこと。

ブライアン・コビルカ博士と妻のトン・サン・コビルカ(Tong Sun Kobilka)博士とともに(2023年10月)
———そこではどんなテーマに取り組んだのでしょう。
X線結晶構造解析をはじめとしたさまざまな解析手法を学ぶつもりでした。ブライアンからは血液の凝固に関するGPCRの構造解析をテーマとして与えられました。GPCRはホルモンや神経伝達物質など、細胞外からのさまざまなシグナルを細胞内に伝え、生理作用につなげる重要な受容体で、ヒトには800種類ほどあるといわれます。そのしくみは創薬にも使われていて、市販薬の3~4割近くはGPCRを標的にしているんですよ。
ちなみに、800種類のGPCRのうち約400種類は嗅覚受容体で、ヒトの嗅覚受容体の構造が解明されたのはごく最近のことです。もし濡木研で嗅覚受容体をテーマに選んでいたら、僕は未だに博士号が取れていなかったかもしれません(笑)。
———アメリカで独立しようとは考えなかったのですか?
最後まで悩みましたが、渡米して3年目にJST(科学技術振興機構)の「さきがけ*」プロジェクトで研究費が取れたんです。それで、半年に1回、会議で日本に帰る生活をするうちに、日本で研究するのも悪くない気がしてきて、最終的には両方で就職活動を行いました。
そうなると、就活シーズンは日本の方がアメリカより少し早く、しかも日本は採択すると返事を待ってくれない。ポジションをとってからも交渉を重ねるアメリカとは違って、「1週間以内に返事がほしい」といった感じですよね。しかし、ありがたいことに東京大学からオファーをいただいたので、日本で研究室を持とうと決心しました。
*さきがけ:JSTの戦略的創造研究推進事業。創造的な革新的技術のシーズを世界に先駆けて創出することを目的に、未来のイノベーションの芽を育む若手ならではのチャレンジングな個人型研究を対象に研究資金を提供する。

2016年2月、コビルカ研のラボメンバーとスキー旅行へ(前列左)