高校の授業で有機化学に目覚める
———どんな幼少期を過ごしていましたか。
小さいときからとにかくお転婆でした。2歳になる前には、3歳上の姉をまねして、補助輪なしで自転車に乗っていたそうです。でも、近所の子の自転車とぶつかって顔に大きなけがをしたり、草むらに自転車で分け入って古釘が出た材木に太ももをぶつけたりと、けがが絶えませんでした。1人で自転車に乗ってどこにでも行っちゃうような子供でしたね。
———得意なことや好きな習いごとはありましたか?
小学生になってからは、いろいろな習いごとに通っていました。母は女の子らしくバレエを習わせようとしたんですが、私には合わないなと感じて、結局バレエを見学に行った1週間後には、空手教室に通っていました。小学校入学前から高校生まで通っていたピアノもとても好きでした。ただ、コンクールをめざしていた先生と趣味程度で取り組んでいた私との熱意の差が大きかった。中学校でバレーボール部に入ったら、「指が硬くなってしまう」ととても怒られたのを覚えています。
———学校の授業はどうでしたか?
勉強自体は嫌だなと思った記憶もなく、塾にも楽しく通っていました。中学生ごろから医学部に行きたいなと漠然と考えていたので、高校では理系を選択しました。でも、得意なのは文系の科目だったかもしれません。大学では化学科に進みましたが、化学のおもしろさに気がついたのは、高校3年生の授業がきっかけです。先生の教え方がとにかくわかりやすくて、ひたすら覚えるだけだった有機化学の授業に楽しく取り組むことができました。
———なぜ、医学部をめざしたのでしょう?
幼いときからお転婆だったので、医師のお世話になることが少なくなかったことと、姉が少し体が弱かったことが、医師をめざすきっかけとしてあったのだと思います。真剣に考え出したのは高校に入ってからですが、従兄弟にも医師がいたので進路としてそれほど特別な感じはありませんでした。
———大学はどんな観点で選びましたか。
医学部をめざしていましたが、残念ながらうまくいかず・・・。浪人もしていたので、後期試験では、医学部以外の学科を受験しようと思いました。そこで、高校で興味を持った化学を選択し、当時、先に入学した友人の話などを聞いて、奈良女子大学の理学部化学科を受験しました。無事に合格することができましたが、入学直後は、正直まだ医学部に未練がありました。ですが、自分で本を調べたり、シンポジウムに参加したりして、化学から医療にアプローチできることを知りました。
———研究室はどんな分野を選んだのですか。
新規構造の界面活性剤の研究をしていた吉村倫一(よしむら・ともかず)先生の研究室を選びました。界面活性剤は水と油の混合を可能にする物質で、洗剤や化粧品などに使われるほか、塗料や医薬品、乳化剤の形で食品にも使われます。吉村研では界面活性剤の新規化合物の合成や物性の評価をやっていました。吉村先生は私が医療に興味があるということで、生体内で薬を運ぶDDS(ドラッグデリバリーシステム)に応用できるテーマを与えてくださったんです。大学院進学の際に吉村研を出てしまいましたが、今でも吉村先生とはご連絡を取り合う良い関係を続けています。

大学学部時代(中央)