高1で脳科学に興味をもつ
———どんな幼少期を過ごしましたか?
愛知県蒲郡市で生まれました。岡崎の南にある港町です。小さいころはひとりで本を読むのが好きで、球技が大嫌い。保育園のドッジボールの時間に2回も脱走したほどです。家ではよく実験もしました。知りたがり屋のエジソンが物置小屋で実験をしたという伝記を読んで、自分でも科学者気分を味わいたかったのだと思います。
———将来は何になろうと思っていたのでしょう?
小学校時代には研究者になろうと決めていました。小6のころは、『Newton』などの科学雑誌を読んで、宇宙の巨大なエネルギーや1億光年先の世界にあこがれ、天文学者がいいなと思っていたのですが、進学した高校には地球や宇宙の成り立ちを扱う地学の選択がなかった。それと、最先端の天文学は大がかりな国際プロジェクトが多く、自分一人でできる研究が少ないように思えました。そのうち脳に興味がわいてきたのです。
———天文学から脳科学にシフトするきっかけは?
高校1年のとき、生物の副読本として立花隆さんの『精神と物質』を冬休み中に読むという課題が出て、すっかりハマって分子生物学者になろうと決めました。同じく立花さんの『脳を究める』では、生物がにおいの情報を「地図」に変換して認識しているという森憲作(もり・けんさく)先生の研究に興味を持ったし、DNAモデルで有名なフランシス・クリック(Francis Crick)博士が意識のメカニズムに迫った『DNAに魂はあるか』にも大いに感化されて、脳関係の本を読みまくりました。
———部活などは?
吹奏楽部でトランペットを吹いていました。才能はないなと思って大学ではやめてしまいましたが、音楽を聴くのは今でも好きです。スポーツはずっと苦手で、体育祭もサボっていたほどです。
———進路はどのように決めたのでしょう?
高1のときの生物の先生が担任で、最初の面談で「君は東大に行くから」って言われたんですよ。生徒をその気にさせるのが上手な先生でした。田舎でまわりと比較されることもなく、いまのように情報過多な時代ではなかったので、「そんなものか」と思って東大の理科II類に入学しました。
———大学生活はどんな毎日でしたか?
最初の2年間は教養学部です。「教養学部化学部」という、先輩に中村桂子(なかむら・けいこ)先生や柳田充弘(やなぎだ・みつひろ)先生もいる由緒ある実験系サークルに所属しました。毎週土曜日は自分たちで自由に実験をするんです。家でも野生型の大腸菌を飼っていて、冷蔵庫の中は培地でいっぱいでした。夏休み合宿は旅行を兼ねて地方へ。中学生たちに実験をやってみせるんです。私は当時から蛍光物質が好きで、液を混ぜると緑になったり赤くなったりする実験で子どもたちを喜ばせていました。
サークルの仲間と教科書を輪読しながら徹夜で「信長の野望」というシミュレーションゲームをやったり、毎週男だけでカラオケ行ったり。地味ながら充実した学生生活でした。

自宅庭にて。2歳ころ。

高校時代のトランペット仲間(右から2人目)。当時流行のセーラームーンポーズをしているものの、浮いている。