「リピッドナノチューブ」に出合う
———留学したスイスの研究室はどのように見つけたのですか?
医療につながるバイオ系をやりたかったので、物理学系でもできる領域を考えて「バイオセンサー」というテーマを思いついたんです。タンパク質や細胞を半導体やトランジスタと組み合わせてセンシングするような領域なら、私も半分はわかる。そこで、web検索したところ「これは」と思う研究室がスイスにあったんです。さっそく興味があるとメールを送ったらZoomで話しましょうと言われ、そのあとすぐに現地で面接を受けることになって、無事、雇ってもらえました。スイスでは、博士課程の大学院生には給料が出るんですよ。
それがスイス連邦工科大学チューリッヒ校のヤヌシュ・ヴォロス(Janos Vörös)先生の研究室です。先生はハンガリー人で、生体医療工学とくにバイオセンサーが専門ですが、やはり物理からバイオに転向した方だったので、私の考えも理解していただけたんだと思います。
———研究室ではバイオセンサーの何を研究したのでしょう。
創薬で使う装置の研究です。薬をつくるには、病気に関係の深い遺伝子やタンパク質をターゲットとして作用する物質を探すわけですが、当時、流行していたのが「イオンチャネル創薬」です。イオンチャネルは細胞膜にあるタンパク質構造で、そこが開閉することで細胞内のイオン濃度を調節しています。それがさまざまな病気に関係しているため、薬のターゲットとして注目されていたんです。
私の仕事はイオンチャネルの開閉を調べる装置の改良でした。細胞膜のチャネルが開くと電流が流れるようになっていて、その測定効率を上げたり、感度を改良するのがテーマだったんです。装置の改良に取り組んで博士論文を書き上げました。そして、この研究の途中で偶然出合ったのが、「リピッドナノチューブ」でした。

博士審査のとき。右端がボスのJanos Voros博士
———リピッドナノチューブとはどんなものですか?
脂質(lipid)でできたチューブ構造のことで、リチウムイオン電池などに使われるナノ素材「カーボンナノチューブ」の脂質バージョン的な素材です。イオンチャネルのセンサーに使う材料を作製するにあたっては、細胞膜の中にある脂質膜とチップがうまくくっつくように調整する必要がありました。うっかり違う材料を混ぜたところ、偶然リピッドナノチューブが合成されたのです。ボスが「あなたが発見した現象だから自分のテーマにしなさい」と言ってくれたので、その現象の解明をテーマにポスドク(博士研究員)の奨学金を取って研究を続けることにしました。
———次の研究室はドイツですね。
ドイツのマックス・プランク知能システム研究所所長で、生物物理学、材料科学の権威であるヨアヒム・P・シュパッツ(Joachim P. Spatz)のラボでポスドクをしました。博士課程のボスだったヤヌシュの友達で、もともと交流があったこと、研究はもちろん、いろんな装置が揃っている点も魅力でした。もう一つ、私が発見したのは合成でつくる人工のナノチューブですが、ここのラボメンバーが、生きた細胞同士がつながる「トンネリングナノチューブ」を発見して話題になっていたこともあって、ここでならリピッドナノチューブの研究が進むだろうと考えたのです。
というのも、リピッドナノチューブを見つけたけれど、ではなぜできるのかがまったくわかっていなかったんです。99.99%が同じ分子なのに、たった1箇所の炭素結合が二重結合になっただけでチューブになる。なぜこんなに小さい差がマクロの形に効いてくるのか。それを調べる基礎研究に取り組んだ2年間でした。
———リピッドナノチューブができる原因はわかりましたか。
わかりました。「相転移(そうてんい)温度」といって、温度が上がるとバターが溶けるように、特定の温度になると分子の形が変化するためでした。脂質は親水性の頭の部分に疎水性の尻尾がついていて、頭と尻尾の大きさによって分子の形が変わるんです。同じ大きさだと円柱のような形なんですが、尻尾が大きいと円錐のような形になって二重結合の足が広がるんですね。リピッドナノチューブは、温度が上がって固体から液体になったときに、尻尾の方に炭素の二重結合が入っているため円錐型となり、それが鍵となってチューブになるとわかりました。それまで、夏にはできるのに冬にはできないなど再現性がなかったけれど、温度がポイントだった。
安定的にリピッドチューブができるようになって、その後10年近く応用に取り組んだのですが、残念ながらあまりいい出口が見つかりませんでした。