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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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留学先でニワトリの体節形成の謎を解明

———その後、フランスへ留学しますね。

私は英語の論文を読むのは好きで、よその研究室の論文紹介にも顔を出していたほどなんですが、話すのは苦手でした。だから相賀先生から「英語で議論くらいできなきゃダメだから、留学するしかないじゃない」と言われていたんです。
そんなとき、初めて参加した国際学会でフランスに行きました。そこで発表したポスター展示に興味をもってくれたのが、オリビエ・プルキリエ(Olivier Pourquié)というフランス国立科学研究センターの教授でした。彼は発表を見て「お前の研究は重要だ。うちに来るか?」と言ってくれた。ほめられたうえ、留学先も決まっていなかったので、「行きます!」と即答してしまったんです。

初めての国際学会でフランスへ(2008年9月)。

———プルキリエ教授とは、どういう方ですか?

体節形成が「hairy(ヘアリー)」という遺伝子の発現振動リズムによって時間制御されることを発見したスゴイ人です。これは20世紀の発生生物学における24のマイルストーンのひとつにも選ばれたくらい重要な発見で、彼は私にとってもあこがれの人でした。だから、声をかけられたときは本当に驚きました。相賀先生からは「英語もできないのにフランス?」と笑われましたが、結果的に研究室の公用語は英語だったので、なんとかなりました。

———引き続き体節形成を研究したんですね。

ただし、相賀研時代とは違う視点での研究です。それまでは、発生に重要な遺伝子を同定し、その機能を明らかにするという、いわば遺伝子視点の研究を行っていました。どうせなら視点を完全に変えてみようと考え、発生を代謝や化学反応の観点から捉え直すことにしました。そうした研究は100年ほど前には行われていましたが、分子遺伝学の進展に伴い忘れ去られていました。それを現代の先端技術で見直してみようというわけです。
当時は、細胞生物学ではエネルギー代謝で生じた代謝物が、ヒストン*などのタンパク質を化学修飾し、さまざまなシグナル経路に影響を及ぼしたり、遺伝子にはたらきかけることで多種多様な生命現象を制御したりすることが明らかになってきていました。同じように、発生においても代謝物がかたちづくりを制御している可能性があるのではないか。その分子メカニズムを探ってみたいと考えたのです。

*ヒストン:真核生物の染色体を構成するタンパク質で、長いDNAを核内に収納する際に DNA を折りたたむ最初の段階に関わっている。ヒストンは、アセチル化・リン酸化・メチル化などの化学修飾を受けることが知られており、DNAの凝縮度をダイナミックに変化させ、遺伝子の発現に大きな影響を及ぼす。

———モデル生物はマウスのままだったのですか?

ニワトリに変更しました。というのも、胎生のマウスでは、受精卵から次第にかたちづくりが進む「発生」の過程における時間経過に沿って、代謝物がどう取り込まれているかといった変化を観察することが難しい。卵なら殻に穴をあけて胚を取り出して簡単に培養できるし、培養環境の化学的条件を人為的に変えることで、代謝物の変化や発生への影響を簡単に観察できるからです。

———なるほど! 実験をデザインするうえで卵が最適だったのですね。

でも、モデル生物を変更すると研究はゼロからやり直しです。再びニワトリの体節形成の過程を調べ始めました。すると、エネルギー代謝が胚の前後に沿って変化し、体軸の形成に重要な役割を果たしていることを見いだしました。これは、歴史の中で埋もれてしまっていた「発生における代謝の重要性」を再発見した瞬間でもありました。とはいえ、代謝がどのように発生を制御しているのか、そのしくみはわかっていませんでした。そんなとき、ある研究者から「リソソームを調べてみたら」とアドバイスされたのです。

———リソソームは細胞内で物質を分解する小器官ですね。

そう、代謝に深く関わっています。そして、細胞内は弱アルカリ性から中性に保たれていますが、リソソームは酸性なんです。pHを可視化できるGFP(緑色蛍光タンパク質)変異体「pHluorin(フルオリン)」を入手したのでリソソームの働きを見ることにして、ついでに細胞全体のpHも調べてみました。すると細胞質のpHが変化していたんです。細胞内のpHは基本的に変化しないというのが常識です。最初は何が起きているのか理解できず、実験の手違いかと思いました。

———常識では考えられない現象だった、と。

途方に暮れて教授に報告したら「それは絶対おもしろい!調べるべきだ」と言われました。たしかに発生と細胞質のpHの関係を調べている人なんているわけがない。これまでの実験で、胚を培養する培地に含まれる物質を一つずつ引き算していくと、カルシウムやマグネシウム、糖、PBS(Phosphate-Buffered Saline:リン酸緩衝生理食塩水)があるだけで一日程度であれば発生を再現できることがわかっていました。ということは、糖やPBSをいじるだけで、細胞質のpHを簡単に変化させることができるんですね。

———それでどんなことが解明できたんですか?

胚の細胞内pH を変動させると、pH を変化させるだけで体軸形成に重要な役割を果たすWnt(ウィント)シグナル*1の活性が変動する。つまりpHがモルフォゲン*2として働くことがわかったんです。pHを下げて酸性にすると、体軸形成に関わる中胚葉のマーカーが弱くなる代わりに、神経のマーカーが強くあらわれる。pHを上げてアルカリ性にすると逆のことが起こる。さらに、細胞のアルカリ化は、がん細胞の特徴と重なることも明らかになりました。この研究は、一部のがん細胞が発生代謝プログラムを再活性化するという仮説を裏付けるものです。2020年に世界的な科学雑誌Nature誌に掲載されました。細胞内pHの変化が発生を制御することを報告した先駆的な研究の一つとなりました。

*1 Wntシグナル:初期発生、形態形成、幹細胞維持等の過程で生ずる、さまざまな細胞間相互作用を担うシグナル分子。ショウジョウバエからヒトに至るまで、多くの動物で類似した機能を持っている。Wntシグナル伝達異常が、大腸がんや肝がんなどの発生にも深く関わっており、Wntシグナル伝達機構の解析は、発生、形態形成、及び発がん機構の研究にとって重要とされる。

*2 モルフォゲン(morphogen):生物の発生過程において重要な役割を果たす物質で、未分化の細胞塊において拡散し濃度勾配を形成することにより、細胞に「体のどの部分にいるのか」というシグナルを伝え、どの細胞に分化するかを決定する。

細胞内pHの上昇が化学反応を加速し、体軸伸長を可能にする

プルキリエ教授がフランス国立科学研究センターからハーバード大学医学部に移ったので、ラボメンバーとともにハーバードへ。ハーバード時代の教授宅でのホームパーティーにて(最後列中央が私。プルキリエ教授はカメラマン)。