最先端技術でトランスジェニックマウスをつくる
———遺伝研の先生を紹介してもらえたとは強運です。
ところが当初はそのありがたみがわからなかった。お恥ずかしいことに、理系の学生ならだれもが知る遺伝研や理研といった研究機関についてまったく知らなかったんです。紹介されたのは相賀裕美子*(さが・ゆみこ)先生でした。発生工学が専門でノックアウトマウスの作製の技術を日本で立ち上げた先駆者の一人で、当時、遺伝研で研究室を立ち上げたばかり。自分の幸運に気づいてスイッチが入り、相賀先生のもとで博士をめざすことに決めました。遺伝研は総合研究大学院大学の生命科学研究科遺伝学専攻として大学院生の教育も行っている研究機関なので、博士課程から正式に総研大に移ったわけです。
*相賀裕美子先生については「この人に聞く『生命に関わる仕事っておもしろいですか?』」第53回「ノックアウトマウスをつくって、生殖細胞の形成や初期発生の謎に迫る」を参照
https://www.terumozaidan.or.jp/labo/interview/53/index.html
———相賀先生の研究室では何を研究したのですか?
相賀研では遺伝子組み換えマウスを学生自らつくることができました。普通は外部から組み換え済みのマウスを取り寄せて研究するわけで、とても恵まれた環境だったんです。私もさっそく、外来遺伝子を組み込んだトランスジェニックマウスの作製に取り組みました。まさに実験生物学のおもしろいところが全部詰まった研究でした。

国立遺伝学研究所時代(右)。中央が相賀先生。左は現・理化学研究所 生命機能科学研究センター 呼吸器形成研究チーム チームディレクターである森本充(もりもと・みつる)先生。
———マッド・サイエンティストの扉が開いた(笑)
そうなんです。ホルモンで通常より多くの卵子を排卵させてつくった受精卵に、ロボットアームで遺伝子をインジェクション(注射)する実験などに熱中していたら、先生から指示されたのが「BACトランスジェニックマウス」の作製でした。BAC(大腸菌人工染色体)でつくらせた非常に長いDNAをマウスに導入するんです。導入するDNAが短いと、重要な因子がちぎれて発現しないことも多いのですが、BACを使えば配列が長いので遺伝情報が安定的に引き継がれるメリットがあります。しかし、当時は世界でも数人しか成功していない技術でした。
———世界でも先駆的な技術を任されたんですね。
日本でやっていたのは私のほかに1人ぐらいだったと思います。張り切って1年くらいかけて技術を習得しました。すると、マウスをつくってくれ、技術を教えてくれと急に引っ張りだこになり、ほめられるのに慣れていなかった私は有頂天になってしまった。そんなとき、分子生物学会で研究成果をポスター発表したんです。
———サイエンティストとしては華々しいデビューです。
すると、通りがかりの研究者から「この技術はすごいけど、君自身は何をしたいの?」と尋ねられました。うまく答えが出てこなくて、初めて自分は何をしたいのかを考えることになりました。当時は、自分の最先端技術こそが大きな武器だと思っていたんです。でもそれは心からやりたいことじゃなかった。彼の問いがなければ、私は今ここにいなかったかもしれません。
ちょうど悩んでいた時期に、相賀先生が学生向けのセミナーで「なんでもいいから自分が打ち込める武器を一つ見つけなさい。それさえあればサイエンスの世界では生きていける」とおっしゃいました。後から聞いたら、本人はそんなことを言ったのをすっかり忘れていたそうですが、私にとっては人生で最も大切な言葉のひとつになりました。それで流行だからといったこざかしい計算などせずに、他人が注目しない一見どうでもよいことを大切にしていこうと気持ちが固まりました。こうして取り組んだのが「体節(たいせつ)形成」の研究です。
———体節形成の研究とは、具体的にどんな研究ですか?
体節とは初期発生で周期的にくびれることでできる動物のかたちづくりにかかわる繰り返し構造のことで、脊椎動物なら背骨などが形成されていきます。相賀先生は体節形成に関わる重要な遺伝子「Mesp2」を発見していました。脊椎ってひとつの節(せつ)ごとに軟骨と硬骨が互い違いになっていますが、Mesp2がないとすべて硬骨になって節がなくなります。その形成メカニズムを詳しく調べてみようと考えました。
最初はBACトランスジェニックマウスを使っていましたが全然うまくいきません。そこで遺伝子の転写を可視化したり、免疫染色によってタンパク質活性を見たりと、独自にいろいろな技術を組み合わせて解析を続けました。そしてMesp2がTbx6という因子と協力して周期的なパターンをつくり出すメカニズムを解明し、学位を取得。これが大きな自信になりました。

2008年、学位を取得(右から4人目)。同時期に学位をとった仲間たちと。桂勲(かつら・いさお)所長(右から3人目)も来て祝ってくれました。
———自分の得意な技術から離れて、独自に工夫して完成した博士論文だったんですね。
そうです。この分子回路モデルは現在でも使われていて、そういう普遍的なモデルを提示できたことも嬉しかったですね。遺伝研は学生数に対して教員の数が多く、とてもオープンな雰囲気でした。学位取得後も遺伝研でポスドクをしながら、同じ遺伝研で細胞建築学が専門の木村暁*(きむら・あかつき)先生と共同研究を行い、コンピュータモデルのシミュレーションでMesp2の周期的な発現パターンのメカニズムを再現し、2010年に論文にしました。実はこの共同研究、相賀先生に何も言わずに勝手に始動しましたが、やさしく受け入れてくれました。勝手に共同研究を進めるなど御法度という研究室も多いようで、寛容な先生方にも感謝しています。
*木村暁先生と細胞建築学については「これから研究の話をしよう」第10回「ようこそ、細胞建築学の世界へ。」を参照。
https://www.terumozaidan.or.jp/labo/future/10/index.html