遠回りしてたどり着いた研究の道
———卒業後は筑波大学大学院の医科学研究科に進みますね。
改めて医学研究をしたいと考えたのです。当時、医学の修士課程がある大学は少なく、再び数学の試験のない筑波大学を受けました。幹細胞・免疫の研究で有名な研究室は人気が高くて入れませんでしたが、血液内科の研究室に入ることができて、臨床医の先生と念願の医学研究を始めることになりました。
———そこでどんな研究に取り組んだのですか?
当時は赤血球や好中球を増やす因子の発見と医薬品化が相次いでいて、最後の造血因子と言われた血小板を増やすトロンボポエチン(Thrombopoietin; TPO)がちょうど見つかったところでした。その造血因子を見つけた世界で4つのグループのうちの1つがキリンビールで、そこからTPOを分けてもらうことができたんです。すでにTPOの受容体が血小板にも発現することがわかっていたので、実際に血小板でTPOを作用させたらどうなるのかを調べて修士論文にしました。
なるべく親には頼りたくなかったので、エアコンも無いおんぼろアパートに住んでいました。一度両親が訪ねて来たときに母は、「なんだかかわいそうになって、あのときは涙が出そうになった」と今でも言います(笑)。でも、若かったからか、好きなことをやっているからか、結構平気でしたね。研究室の先生がお米をくださったりしたこともありました。念願がかなってヒトに関わる医学研究で修士の学位もとり、さらに研究に取り組みたいと企業の研究所をいくつか受けて入ったのが麒麟麦酒(キリンビール)の医薬事業本部でした。

当時のキリンビール原宿本社で

先輩と。黄色の冊子は担当していた治験薬の概要書。
———博士課程には進まなかったんですね。
博士課程に行きたい気持ちもありましたが、それほど自信もなかったし、企業で薬の研究をするのもおもしろいかなと思ったんです。ところが配属先は希望した研究職ではありませんでした。会社はTPO研究を深堀りするというより薬にする段階に入っていましたし、私の性格は開発向きだということで、臨床開発部に配属されたんです。業務について事前に説明を受けて、仕事に就く前から断るのも失礼だと思い、何よりまずやってみようと思い入社しました。
———臨床開発部では具体的にどんな仕事をするのですか。
研究所で生まれた薬の候補を、実際に患者さんに使える薬に育てるために、医師らと協力して治験を計画・実施し、有効性や安全性のデータを集めます。そのデータをもとに厚生省(当時)に申請、上市するまでを担います。会社としては花形の部署で、研究成果をいかに実際の薬の開発につなげていくかが仕事です。どのようなプロセスを経て薬になるのか、企業は研究をどう捉え、マーケティングしていくのか、医師とどう信頼関係を作っていくのかを、現場で経験できたことが非常にいい勉強になり、現在の研究にも役立っています。
それに臨床開発部の居心地も悪くなかったんです。会社の柱はビール事業だからか、なんとなく余裕もあり、「ビールを飲むのも仕事のうち」と飲み会も多く、上司も先輩もいい人ばかりでした。でも、やはり研究がしたい気持ちを抑えられない。同期たちが必死に臨床開発業務に取り組んでいるのを見て、中途半端なモチベーションではダメだ、モヤモヤしながら続けていても10年後には大きな差がついてしまうと、もう一度、大学院で研究しようと決意しました。
会社を辞めると言ったときは上司も驚いていましたが、最後の1週間は毎日飲み会で、胴上げまでして送り出してくれたので心から感謝しています。両親ももちろん驚いていましたが、とくに父は、「そうか、学問か、ええな」と言ってくれて、ありがたかったです。

上司がひらいてくれた送別会。この時の励ましは大きな力になった。