公益財団法人テルモ生命科学振興財団

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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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英語が好きで国際的なことにも興味

———大分の酒蔵のご出身だそうですね。

5人兄弟の長男で、杜氏(とじ:酒造りの現場を取り仕切る責任者)が麹と米を混ぜ、でかいタンクで米が発酵する匂いのなかで育ちました。でも、家業を継ぐことは強いられず、結局、父の代で蔵は閉めました。私はもっぱら友達と酒蔵の空タンクに入ったり原料を詰めた袋の山を登ったり、あとは野山で虫を捕ったり。典型的な昭和の子ども時代を過ごしました。心身を鍛えろと剣道の道場には通わされましたね。

祖父母と

2022年に取り壊された生家の酒造会社の建物

醸造タンク

———中学、高校は有名な進学校。目的があって受験したんですか。

小学校高学年になって友達が受験すると塾に行きだしたので、俺もやるかと思って。大分の田舎住まいでしたから鹿児島にも興味がありました。受験したラ・サール学園は県外出身の生徒向けの寮があるし、受かれば外の世界に行けるぞと。

———すると、中学生から寮生活でしたか?

人数が多いと抽選です。私は中1から高3までずっと学校指定の下宿で、ご飯から何からお世話をしてくれる人がいました。いわば、地方から来た子どもたちのお母さんのような存在です。うちの下宿は3、4人が一緒に暮らしていました。

———ラ・サール時代の思い出はありますか。

いろいろありますが、桜島の噴火も驚きだったし、初めて外国人にも会いました。ミッションスクールなのでカナダ人の宣教師がいたんです。英語の授業は彼らと日本人の先生とでみてくれました。学年の3分の1は九州以外からで、いろんな地方の友達ができましたね。体育祭では九州vs.九州以外みたいな感じで、紅白に分かれて競うんです。部活は、あまり強くはなかったけれど6年間空手部にいました。

ラ・サール高校時代。体育祭応援団(写真右)

———勉強の方はいかがでしたか。

寮では自習時間が決められているんです。私は下宿だったけれど、やはり勉強は厳しくて、途中で辞めちゃう子もいたほどです。
先生も個性的でしたね。英語のテストで漢詩を英訳させたり、とても美しい証明を見せてくれる数学の先生がいたり。私が好きだったのは地理の先生で、長期休みで訪れた国々をスライドで紹介してくれるんです。写真を見ながらいろんな国の話を聞くのが楽しみで、大学時代に海外を旅して回ったのもこの先生の影響です。

———とくに興味をもった学科は何でしょう。

やっぱり英語。海外にも行ってみたかったし、宣教師の先生と話す機会もあったので一生懸命、勉強しました。それと歴史。とくに東洋史が好きでした。

———当時は、将来何になろうと考えていましたか。

国際的なことに興味があり、物理学や数学も楽しかったけれど、官僚や政治家など文系の職業もいいかもしれないなどと考えていました。

———医学部に進むと決めたのはなぜですか。

まわりに医学部に行く人が多かったんです。父も医者の資格があれば食いっぱぐれないと応援してくれました。いろいろ話を聞くと、医学部卒業後は医者以外にも研究職や国際保健という途上国支援みたいな進路もあるとわかったので、それもおもしろいなと思いました。それから東京にも行きたかった。九州の人は大阪じゃなく一気に東京をめざすんですよ。たぶん学年の半分は東京へ行ったんじゃないかな。

———影響を受けた本はありますか。

司馬遼太郎は当時からずっと愛読しています。とくに中国の秦の始皇帝後の興亡を描いた『項羽と劉邦』とか、『空海の風景』なんかが好きでした。もちろん『街道をゆく』シリーズは地理にも関わるしよく読みました。