言語への関心から神経生理学の研究へ
———そして東大医学部へ。学生生活はいかがでしたか。
バブル直前で景気もいいし、初めての東京で少し浮き足立っていましたね。永福町(えいふくちょう、杉並区にある町)のカンカンアパート(外階段を上がっていくとカンカン音がする古いタイプの2階建アパート)で一人住まい。井の頭線で初めて通勤ラッシュも体験しました。
大学では受験も済んだので新しい言語を覚えようと、必修のドイツ語のほかにラテン語の授業を受けたり、ギリシャ語の一般教養ゼミに入ったりしました。まわりはほとんどが文科三類の学生でしたが、ソクラテスを原語で読むのは楽しかったですよ。また英会話クラブに所属して、ボーリング部や空手部にも顔を出していました。

大学2年生。湯河原(ゆがわら、神奈川県にある町)でのギリシャ語のゼミ合宿(右から2人目)

ボーリング部(前列右から2人目)
———あちこち旅行もされたそうですね。
中国に行ってハマっちゃって、次はソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)に行きました。シベリア鉄道でナホトカから1週間かけてモスクワまで。社会主義国だったから帰ってこられるのか不安でしたが、改革を掲げたゴルバチョフ政権下で規制もだいぶ緩んでいて余計な心配でした。
印象に残ったのはインドです。貧富の差は想像以上でショックでした。ただ、人々は意外と明るくて、足が不自由な物乞いが車輪をつけたベニヤ板に座ったまま満面の笑みで「Welcome to Calcutta!」と寄ってきたりして面食らいました。とにかく、ユーラシアから中南米までいろんな国に行きましたね。

大学3年。中国、トルファン近郊。

大学5年。インドの列車内で駅弁を食べる。

大学6年。グアテマラ南部のアティトラン湖畔の街で。
———卒業後の進路は見えてきましたか。
じつは、研究か国際保健かまだ迷っていました。そこで、1〜2年生の間に3か月ほど、興味のある研究室に受け入れてもらえる医学部のフリークォーター制度を利用して、脳研(医学部脳研究施設)に通ったんです。
———脳科学に興味があったのですか?
言語が好きだから、脳や神経の研究もおもしろいかなと思って。脳研の高橋國太郎(たかはし・くにたろう)先生は、海洋生物のホヤを使って神経機能の研究をしていました。ホヤは無脊椎動物ですが構造は脊椎動物とほぼ同じで、幼生は透明で背骨のようなものもありオタマジャクシみたいに泳ぎます。当時はまだ、神経系をマウスなどで調べる手法は限られていて、ホヤのようにシンプルな動物がよく使われました。神経伝達物質の活動も、いまは蛍光色素を使って可視化できますが、当時はいちいち体に流れる電流を測っていたんですよ。
———まさに電気生理学ですね。
秋葉原のラジオデパートに部品を買いに行って、ハンダごて*で回路を作ったりしていました。学生だからたいしたことはできませんが、研究の現場をじかに見るのは楽しかったし、改めて神経系の研究にも興味がわきました。
*ハンダごて:電子部品を接続するための工具で、先端が熱くなりハンダを溶かして金属をつなぐ。パソコンや家電製品の基板に部品を取り付けるなど、主に電子工作や修理に使う。
———卒業後は国立国際医療センターで1年間内科研修を経験なさいます。臨床に進んだのはなぜでしょう。
まだ研究や国際保健分野もよさそうだと迷っていたのですが、研究って「ばくち」みたいな部分もありますから、まずは臨床を経験しておいたほうがいいだろうと。そのとき、神経内科で筋力が低下するALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんのお世話をしたんです。ふだんは人工呼吸器をつけていますが、お風呂のときは外すので、手動ポンプで空気を送ってあげるんです。本人も家族も本当に大変な病気だと知って、病気の治療に結びつく研究もできるといいなと思いました。
その後、大学院で正式に高橋先生の研究室に入りました。研究室では、岡村康司(おかむら・やすし)先生がホヤで神経細胞のナトリウムチャネルを調べていたので、私も先生の下でカリウムチャネルを調べることになりました。2つのチャネルは神経細胞を興奮させたり鎮(しず)めたりする対のしくみなんです。

国立国際医療センターでの内科研修医時代
———神経細胞が信号を伝える際の扉みたいなものですね。
そうです。神経細胞はその2つのシステムで電荷をやり取りして、興奮と鎮静を繰り返します。ナトリウムチャネルはプラスに働いて興奮させる、カリウムチャネルはマイナスに働いて興奮を鎮めます。研究では「この遺伝子をブロックすると、こっちの電流が消える」という具合に細胞に流れる電流を見ながら神経細胞の遺伝子の機能を見ていくわけです。
その後、高橋先生は明治薬科大学へ移られ、岡村先生は茨城県つくば市の通産省工業技術院生命工学工業技術研究所(現在の産業技術総合研究所)に移ったので、私も帯同してそこで学位を取りました。