フロリダで研究室を立ち上げ、国立衛生研究所で室長に
———その後、独立して研究室を立ち上げます。
アメリカの居心地が悪くなかったので、もう少し研究を続けようと思ってポジションを探しました。それで、フロリダ大学の臨海研究所と医学部兼務の助教授として研究室をもつことができたんです。ここで4年ほど神経筋接合部を使ったシナプスの研究を行って、ワシントンの米国国立衛生研究所(NIH)に移りました。NIHの知り合いから、新しくできた部門に来ないかと誘われたんです。
———新部門はアルコール依存症の研究部門とのことですが…
神経分野のいい研究でありさえすれば、アルコール依存症に限らず好きな研究をやってよいとのことだったんです。なので、引き続き神経筋接合部を中心とした神経関連の研究をしていましたが、一応、私も造り酒屋の息子ですから、これも何かの縁だと思ってゼブラフィッシュにアルコールを与えて脳の変化を調べたりもしたんですよ。でも、そんなにおもしろい結果は出ませんでした。アルコールはいろんなものに少しずつ効くので、結果を判断しにくいんですね。
———アルコール以外で何か成果はありましたか。
2011年に、ゼブラフィッシュの速筋と遅筋ではアセチルコリン受容体の分子構造が違うことを発見しました。これは、日本に戻ってからその機能を調べ直しておもしろい成果が出ています。
それから、NIHには世界各国の研究者がいたので、彼らと新たな分野で共同研究ができたのも貴重な体験でした。パキスタンの研究者とは、網膜の遺伝病に関する遺伝子をゼブラフィッシュで調べました。マウスは夜行性なのであまり目を使わないし、生きた状態で神経の機能を見るのは当時の技術では難しかった。ゼブラフィッシュは透明で細胞も扱いやすく、視覚情報に依存して行動するので調べるのにちょうど良かったんです。

アセチルコリン受容体は、5つの“サブユニット”と呼ばれるタンパク質が円柱状に集まった構造をしており、アセチルコリンの刺激を受けると円の真ん中、中空になった部分をイオンが自由に通過できるようになることで筋肉の収縮につながる。アセチルコリン受容体はすべての骨格筋で同じものと思われていたが、ポールたちとの共同研究で、実は筋肉の種類によって分子構造が異なり、信号の強さや持続時間などをコントロールしていることがわかった。速筋のアセチルコリン受容体は、5つのサブユニットのうちの一つにε/γ(イプシロン-ガンマ)という特徴的なタンパク質が組み込まれており、このε/γは遅筋のアセチルコリン受容体には見られない。
———アメリカの研究環境はどうでしたか?
NIHでは日本人も全国から来ていたので、日本にいてはつくれない人脈ができました。ただ、大学にいるときは研究費の獲得には苦労しましたね。とくにNIHから大学に配分されるグラント(競争的研究資金)はアメリカ人が取るのも大変でしたから。でも、アメリカは若者を応援するマインドが強いので、その部分で少し大目に見てもらえた感じはありました。NIHでは研究費も応募しなくても自動的に配分されるし、ラボではいろんな国の人も雇って、楽しく研究できましたね。

NIHでラボのメンバーと。

NIHのラボに高校生が見学にきたことも。
———結局、アメリカには16年。一番の思い出はなんでしょう。
やっぱり家族との思い出です。渡米したときは長男が小1、次男が3歳で、三男はニューヨークで生まれました。まだ車もなくて、早朝に家内が産気づいてそのまま生まれちゃった。とりあえず私の臨床経験は役に立ちました。それから、住んだ街ではいつも日本語学校の世話役をしていました。父母が持ち回りで子どもたちを教えるんです。ワシントンの日本語学校は大きくて、大使館や企業の方も多く、そこでは私も日本流のコンセンサス(合意)の取りかたなど、仕事の進め方を学ぶことができました。

1999年10月。ニューヨークにて。ハロウィーンのかぼちゃを選ぶ。

フロリダ州中央部にあるオーランド日本語学校の校長を務める。

フロリダ。マナティーのいる池でボートに乗る。
———アメリカに永住しようとは考えなかったのですか。
アメリカに骨を埋めようという日本人は多くないと思いますよ。私も家内が日本食を作ってくれたから続きましたが、長居するつもりはありませんでした。日本は安全だし食事も旨いし温泉もありますからね。ただ、研究面では、アメリカの方が若くても自分のアイデアでやらせてくれます。もちろん成果は求められますけど。日本は年功序列が強いので、そういう意味では若いうちに海外に行くのはいいと思います。留学した経歴は有利だし、英語もできるようになるし。
ただ、アメリカは経験を積んでも成果はずっと求められるので、シニアになれば安泰ってことはありません。そこは日本の方が安心かもしれません。