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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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中高校生が第一線の研究者を訪問
「これから研究の話をしよう」

第12回
匂いは生きていくための大切な情報源

第1章 ミニ講義

嗅覚とは?

東原
私たち人間は五感をバランスよく使っている唯一の生物です。他の動物はどれかの感覚に特化しているケースが多く、例えばネズミなどは割と匂いを使うし、クジラやイルカはエコーロケーション(echolocation:反響定位)、サルなどの霊長類は視覚・聴覚ですね。その中で、人間だけは五感をバランスよく使っていることが知られています。
東原
ところが、その五感の中で視聴覚は高等感覚であり、それ以外は劣等感覚というレッテルを貼られがちです。フロイトをはじめとする思想家や哲学者が「人間の自我は視聴覚でつくられる」と唱えたため、視聴覚優位と考えられるようになりました。皆さんも知っての通り、バーチャルリアリティーは視覚・聴覚がベースであり、そういう情報がわれわれにとって重要だということになっています。
一方、劣等感覚とされる「嗅ぐ」「味わう」「触れる」という感覚がないと、われわれは十分な情報を得ることができません。例えば、いまオンライン化が進みリモートで仕事をする人が増えていますが、視聴覚だけの情報で会議をすると、結構、疲れます。対面なら雰囲気を感じ、同じ匂いの空間をシェアできますが、そういう情報がないので相手の気持ちを読むことができず、疲れてしまうのです。

図版提供:東原教授

東原
その嗅覚ですが、確かに悪臭はわれわれの生活のQOL(Quality Of Life:生活の質)を下げるし、ないに越したことはない。でも、本当に匂えなくていいのでしょうか。皆さんも新型コロナウイルスに感染すると匂いがわからなくなると聞いたことがあると思うのですが、コロナウイルスが鼻の中の匂いを感じる「嗅上皮」に感染することで、嗅覚障害が起こるといわれています。
この話から言えるのは、嗅覚は体調のバロメーターだということです。嗅覚が完全に喪失していることは、体のどこかに異変を起こしている可能性が非常に高い。アメリカのグループによる少し怖い研究があって、死亡した人が死亡前の5年間にどんな病気を患っていたかを調べてみると、心疾患や脳梗塞、がんなどいろいろありますが、一番確率が高いのが嗅覚喪失でした。今回のコロナで「匂わなくなる=ヤバい」とわかったのではないでしょうか。

匂いと文化

東原
少し文化的な話をします。匂いの語源は何か? 中世の日本では「丹穂ひ」「丹秀ひ」と書いて、においと読んでいました。丹は赤い、穂や秀はすっと伸びていくという意味。実際に『広辞苑』や『広辞林』を引くと、匂いには香りや臭いだけでなく、光や趣き、感じという意味が出てきます。嗅覚的な意味と視覚的な意味、雰囲気など五感で感じるといった意味があるのです。

におい

赤などのあざやかな色が美しく映えること
はなやかなこと
かおり、香気
くさいかおり、臭気
ひかり、威光
人柄などの、おもむき。気品
そのものが持つ雰囲気。それらしい感じ
同色の濃淡によるぼかし
芸能や和歌・俳諧などで、そのものに漂う気分・情趣・余情

出典:『広辞苑』第7版(岩波書店)

東原
皆さんが知っている「かぐや姫」は、当て字で「嗅ぐや姫」と書くケースもあります。これは臭い姫ではなくて、美しく、燃え立つような姫という意味で、その雰囲気を表しています。
東原
それから、日本の神話には鼻から生まれたスサノオノミコトという神様が登場します。日本を創ったと伝わるイザナギとイザナミという神様がいますが、イザナミが亡くなり黄泉の国に行ったのを、イザナギが追いかけていく。行ってみるとイザナミは朽ち果てており、イザナギはがっかりしてこの世に帰ってきます。イザナギは黄泉の国の汚れを払うためにみそぎをするのですが、このとき左目を洗って生まれたのがアマテラスで、右目を洗うとツクヨミ、鼻を洗うとスサノオが生まれたといいます。つまり、鼻は異界、死後の世界への通路。「鼻の神の活動が匂いをつくり出し、匂いをめぐる光と闇の宇宙空間劇が存在した」と宗教学者の鎌田東二さんが『身体の宇宙誌』で書いていますが、匂いは現世と黄泉の国をつなぐ役割を持つという考え方ですね。

匂いを感じる仕組み

東原
科学的に言うと、匂いは化学物質です。炭素Cや水素H、酸素Oなどがつながった、分子量300ぐらい以下の小さい分子です。これ以上、高分子になると重くて揮発しないので匂いません。例えば、このような構造の物質は、バナナの匂いがします。

図版提供:東原教授

東原
世の中に匂い物質は数十万種類あるといわれています。しかも、それが1つずつ存在するのではなく、例えばコーヒーからは数百種類の匂いが一気に出ます。お酒やワイン、アロマ、そしてわれわれの体臭の匂いも数百種類の匂いの混合物です。そういった混ざった匂いが鼻の中に入り、それを感知しています。
チーズからも数百種類の匂いが出ています。それが鼻の中に入り、センサー(嗅覚受容体)によって感知され、脳で情報処理されて、「チーズの匂いだ」「おいしそう」「ちょっと臭いな」といった知覚になる。そういう仕組みです。

図版提供:東原教授

東原
チーズは、食べて口の中に入れたときに匂います。実際、われわれがどこから匂いを感じているかというと、実は喉越しからなのです。口の中で咀嚼しているとき、喉から上がってくる匂いを感じています。
これができるのは、実は人間だけ。ネズミなどは口から食道に行く経路と鼻から肺に行く経路が別ですが、霊長類はここが交差しているので、喉越しから匂いを感じることができます。また、チンパンジーは人間のように言葉を話せないので、声帯の位置が違う。なので、われわれのように喉越しから匂いを感じることはできないだろうといわれています。

図版提供:東原教授

東原
テレビの食レポで、口に入れた瞬間に「おいしい!」と言っていますが、あれはおかしいですね。きちんと咀嚼し、喉越しから香りを感じて、初めて「おいしい」と思うはずです。
一同
(笑)。
東原
匂いは鼻の奥のほうにある「嗅上皮」で感じます。そして、ここにある「嗅覚受容体」で匂いを嗅ぎ分け、それが脳に伝わって知覚されます。

匂いのセンサー・嗅覚受容体

東原
その「嗅覚受容体」ですが、ヒトで約400種類の嗅覚受容体遺伝子がある。つまり、皆さんの鼻の中には、400種類の匂いのセンサーが出ているのですね。そのセンサーでどうやって匂いを認識しているのかというと、数十万種類ある匂いと400種類の受容体、多対多の組み合わせで感知します。ここでは5つの匂いと3つの受容体と単純に描きましたが、匂いが数十万で受容体が400だと、組み合わせは天文学的な数字になります。

図版提供:東原教授

東原
嗅覚受容体の数をほ乳類で比べてみると、一番多く持っているのがアフリカゾウで2,000個。赤で示した部分(機能遺伝子)だけを見ていくと、一番上がヒトで400、霊長類が200~400、ラットやマウスなどのネズミは1,000ぐらい、イヌは約800ですね。ほ乳類で一番少ないのはイルカで、ほとんどありません。イルカは海に戻ったほ乳類なので、嗅覚は必要がなくなり退化。その代わりにエコーロケーションのような聴覚が発達しました。つまり、嗅覚受容体の数は、生物がどれぐらい嗅覚に依存して生きているかで違いが出てくるということです。

図版提供:新村特任准教授

匂いが伝わる経路

東原
さて、ヒトが匂いをどうやって知覚しているかですが、脳の断面図で説明しましょう。匂いが鼻の中に入ってくると、400種類の嗅覚受容体の組み合わせで匂いを感じます。その後、すぐ上の、目の奥の辺りにある「嗅球」というところに信号が伝わる。ここが脳とつながっています。先ほど言ったコロナウイルスも、嗅上皮に感染するだけでなく、ここを通って脳に入ってしまう可能性があります。
東原
この後、緑色で示した「嗅皮質」という、脳の中心のところに行きます。嗅皮質に伝わった後は、青色で示した「眼窩(がんか)前頭野」へ。ここが、例えばバラの匂いだったらバラだなと思うところです。紫色の部分は扁桃体、視床下部といい、情動、気持ちをつかさどる部分。視床下部はホルモン系、海馬は記憶をつかさどるところです。
匂いは大脳辺縁系に伝わる経路が短いので、瞬時にして情動や記憶系が動かされます。あと、視床下部を通してホルモン系を動かすので、自律神経系や生理的な機能に影響を与え、それがいわゆるアロマ効果といわれるものです。

味覚受容体

東原
ここで味覚の話もしておきましょう。嗅覚は400種類の受容体と数十万種類の匂いの組み合わせで、すごくいろいろなタイプの匂いがあると感じます。それに対して味覚は、基本的には、甘味と塩味、酸味、苦味、うま味の5種類しかありません。もちろん舌で感じますが、こういった受容体が舌の上にある細胞(味蕾:みらい)にあります。しかも、味覚のセンサー(受容体)の数は甘味、うま味、塩味、酸味がそれぞれ1種類で、苦みが少し多くて25種類。それに対して、匂いのセンサーは400種類なので、圧倒的に違いますね。
味覚の種類 味覚受容体の数
甘味 1
塩味 1
酸味 1
苦味 25
うま味 1
東原
例えば、甘味の遺伝子は1つなので、これがなくなると甘さを感じなくなってしまいます。実際、ネコはこの遺伝子がなくなっているので甘みを感じませんし、パンダにはうま味の受容体がありません。味覚の場合は1つなくなってしまうとまずいことになるのですが、匂いは400種類の組み合わせなので、1つぐらいなくなっても、何かの匂いに関して少し感度が悪くなるかもしれないけれども、それほど影響しません。

匂いの感じ方に影響を与える要因

東原
匂いは記憶とすごく結びついているのですが、匂いの記憶はいつからあるのか、考えたことがありますか? 実はお母さんのおなかの中にいるときからスタートしています。妊娠3カ月ぐらいで嗅覚の部分ができ上がるので、お母さんが妊娠に気づくかどうかというころから、もう赤ちゃんの匂いの記憶は始まっているのです。
フランスのグループによるアニスの香りを用いた研究を紹介しましょう。アニスの香りは豚の角煮に使う八角の匂いです。フランスでは一般的な香りで、クッキーなどにもよく使われます。アニスの匂いをつけた食事を取ったお母さんと、その匂いを全く使わない料理を食べ続けたお母さんがいて、それぞれから生まれた子どもにアニスの香りを嗅がせると、妊娠中にアニスを食べたお母さんから生まれた子どもはアニスの匂いを嫌がらない。ところが、一切アニスを食べなかったお母さんから生まれた子どもは嫌がります。つまり、おなかにいるときから香りの価値(好き嫌い)ができ上がっているということになります。

図版提供:東原教授

アニスシード

東原
もちろん、生まれた後の生活や食文化も香りの嗜好性に影響を与えます。これは筑波大学の先生の研究ですが、例えば納豆やほうじ茶、鰹節の匂いを日本人は比較的快いと思うけれど、ドイツ人は嫌だと思う。鰹節の匂いは魚臭くて、海の匂いのようで嫌だと。ドイツ人は納豆の匂いも嫌いですね。
それに対して教会の匂いは、ドイツ人のほうが快く感じます。ドイツ人には、毎週日曜日に教会に行き、それを心地よく感じる記憶ができ上がっているからです。一方、日本人はあのカビ臭い匂いに慣れていません。つまり、香りの価値(好き嫌い、快・不快)は、生まれてからも経験を通じて学習していくということですね。
香りの感じ方は、遺伝子にも影響されるけれども、経験や学習、あるいはその香りにどういう情報が付加されるかで変わってきます。

図版提供:東原教授

体臭を考える

東原
さて、そもそも匂いはどこから来るのか? 匂い物質は生命体から出てくる代謝産物です。植物の匂い、動物の匂い、人間の匂い。この建物に入って何かカビ臭いと思ったら、それは微生物の匂い。匂いは、生きとし生けるものがいるという証拠です。
匂いは代謝産物なので、病気になると変わります。病気になる、あるいは感染すると、ヒトはそれに一生懸命に抵抗しようと代謝を変えるわけです。それに伴い、匂いも変わります。例えば、口から甘い匂いがしたら、点滴を打たなければならないほど低血糖になっている可能性があります。がんの匂いについても聞いたことがあると思います。つまり、匂いは病気の情報だということですね。

図版提供:東原教授

東原
それから、年齢。赤ちゃんの匂いは誰が嗅いでもいい匂いで、特に頭からいい匂いが出ていることが知られています。では、年を取ったらどうか。おじさん臭、加齢臭などと聞いたことがあると思いますが、40、50歳になると確かにこういった物質が出てきます。では、若い人からは出ていないのか? 実は10代の匂い、20代の匂い、30代、40代と、それぞれの匂いがあります。年を取ると代謝が変わるので、匂いも変わっていきます。例えば、若者臭。ぼく自身、30代のころはあまり感じなかったけれど、いまはセンター試験(現・大学入学共通テスト)の監督で会場に入っていくと、若者の匂いを感じたりしますね。
また、心理も体臭に影響を与えます。ストレスがかかると肝機能が低下するので、少しアンモニアの匂いがする。あと、硫黄化合物系の匂いも出ます(2018年、資生堂が発表)。極度の緊張、例えばスカイダイビングをしているとき、脇の下にパッドを挟んでおいて、後でその匂いを別の人に嗅がせると、恐怖や不安感がうつる。心理が体臭に影響を与えるということも知っておいてください。

人の暮しを豊かにする匂いの研究

東原
匂いは、動物にとっては食べ物や天敵、仲間や異性などの情報で、それに対して適切な行動と生理変化が起きています。また人間社会では、おいしく食べて、快適に暮らす安心の空間をつくりだしています。つまり、生命や環境、食、健康といったところに関わるのが匂いの研究なのです。
最後に、香りの有効利用について少し説明します。実は、香りにはいろいろな応用面があります。例えば「孤食」。1人で食事する人が増えていますが、孤独さを感じさせない香りを食べ物に使えないか。それから、いま資源が枯渇してきており、肉などはいずれ食べられなくなるともいわれていますが、食感と香りで補った肉的なものができないか。診断でも体臭の微妙な変化で病気を察知したり、モニタリングで適切な治療につなげるなど、いろいろな試みがなされています。
コロナ禍でコミュニケーションが希薄になったと皆さんも感じていると思いますが、人間らしさという意味でも五感をバランスよく使うことが大切です。私たちは、匂いは非常に重要であるという認識の下、われわれを取り巻く匂い物質やフェロモンといった「生命のシグナル」について研究しています。
少し駆け足でしたが、私からは以上です。

豊かさを形づくる匂い研究

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