公益財団法人テルモ生命科学振興財団

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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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中高校生が第一線の研究者を訪問
「これから研究の話をしよう」

第12回
匂いは生きていくための大切な情報源

第2章 ミニ講義後の質疑応答

体臭と遺伝子

黒川
生物は種が近いと嫌な匂いと感じると聞きました。人間でも、お父さんやお兄さんの匂いが臭く感じるのは、近い血が混ざらないようにするためですか?
東原
それは、いわゆるTシャツの実験ですね。何人かの男性にTシャツを着させて、全然知らない女性たちにその匂いを嗅がせ、「どれがいい匂い?」と聞くと、遺伝子が一番離れている人の匂いを好ましく思ったという実験です。それは他の動物では必ずあります。なるべく遺伝型の遠い個体との子どもをつくり、強い子孫を残すという動物的な本能を持っているからです。ただ、人間の場合は、先ほど言ったように経験や学習があるので、そういう本能だけでは判断しません。遺伝型が離れている人の体臭を好む場合もあるし、逆にお父さんやお兄さんの匂いを嗅いで安心感を得る場合もあります。ずっと一緒に暮らし、その人たちといる空間が安心であることを経験しているからです。人間の場合は両方あり、そういう実験をしても、必ずしも動物と同じような結果にはなりません。
佐藤
自粛期間中、家族はそれこそ同じ食事で、ほぼ同じような生活をしていても、お父さんやお母さんの匂いは自分とは違うと感じます。「これはお母さんの匂いだ」と感じるのは、やはり指紋のように、その人の匂いがあるからでしょうか?
東原
そう、食生活はかなり影響を与えているのですが、遺伝子が完全に同じだと匂いは同じはずです。だから、一卵性双生児は本来、同じ体臭で、警察犬も一卵性双生児を区別できません。どこで区別するかというと、食べているものです。しかし、食べているものやシャンプーなどが同じだと、一卵性双生児は全く同じ匂いになります。なので、遺伝子が異なるお父さんとお母さんは違う体臭で、皆さんはお父さんとお母さんの遺伝子を半々持っているので、また微妙に異なるわけです。家族の間でもその違いを記憶していて感じるのです。

嗅覚と味覚

高橋
おいしさには嗅覚が関わっていて、それはレトロネーザル経路とのことでした。あと、コロナウイルスによる嗅覚障害についてもうかがったのですが、コロナには味覚障害もあると聞いています。それは舌の感覚というより、やはり嗅覚が関係しているのでしょうか?
東原
それは鋭い指摘です。嗅覚と味覚の両方がやられるといわれますが、よく調べてみると、嗅覚を失っているから味覚が感じられなくなり、味覚を失っていると報告している人が結構いるようです。コロナは鼻のほうに感染していて、味覚細胞への感染はそれほどよくわかっていません。鼻をつまんで食べると味がしないように、香りがあるから基本五味という味の輪郭がはっきりする。香りがないと味がぼんやりするので、味覚障害が起こっていると勘違いする人がいます。
高橋
では、実際は嗅覚障害が主なのですか?
東原
はい。嗅覚の感染による嗅覚障害が主です。

図版提供:東原教授

良い匂い、悪い匂い

竹内
人によっていいと感じる匂いと悪いと感じる匂いがあり、例えばマッキーペンの匂いを好きな人と苦手な人がいます。一方、腐乱臭や刺激臭のように、誰もが嫌だと感じる匂いもあります。この違いがあるのはなぜですか?
東原
いい質問ですが、まずシチュエーションによって匂いに対する評価が違うということを押さえておきたいですね。例えば腐乱臭でも、温泉であれば、そんなに嫌じゃないですよね。でも、この教室で温泉の匂いがしたら、異臭と思うわけです。どういうシチュエーションで嗅ぐか、要するに情報によってそれが受け入れられるか、受け入れられないか変わってきます。
バラのいい匂いでも、それがもし食べ物についていたら、皆さん、最初は違和感を持つでしょう。ピエール・エルメという有名なパティシエがつくったバラの匂いのする「イスパハン」という赤いケーキがあるのですが、発売当初は全然売れなかったそうです。ところが、おいしいという口コミが広がると、みんなに受け入れられるようになりました。最初は嫌だと思っても、それが好きになっていく。好き嫌い、それを快いと思うかどうかは、結構変化します。
一方、みんながいい匂いというのもあります。それは、やはりバニラのような甘い匂い。ただ、それも本当に先天的なものかどうかには議論があります。
あと、先天的な部分もあり、嗅覚受容体の遺伝型によって、ある匂いを強く感じる人と弱く感じる人に分かれています。強く感じる人はその匂いを嫌だと思うケースが多く、強く感じない人はその匂いはOK。遺伝型によって強く感じたり弱く感じたり、あるいは匂いの質が変わったように感じられ、好きだったり嫌いだったりする。そうやって遺伝型で好き嫌いが出るケースもあります。
竹内
ありがとうございます

匂いと心理

高橋
ストレスや心理が匂いに影響する例で、スカイダイビングをした人の匂いを別の人に嗅がせると恐怖を感じるということだったのですが……。
東原
恐怖というか、そこまで意識には上らないのだけれども、少し避けたい、不安に感じる。「わっ、怖い」という、何か不安になる状況でした。
高橋
恐怖を感じている人が、他の人に不安感を与えるような匂いを出しているということですか。
東原
そうです。
高橋
他の人をそういう気持ちにさせることに何か意味があるのでしょうか。
東原
もともと動物は、警戒しなくてはいけない、ここは避けなければいけないという場合、それを仲間に伝えることをする。多分、その名残りではないかと。
高橋
群れているとき、自分の感じていることを情報伝達する?
東原
そう。それが視聴覚ではできない雰囲気であり、われわれは何となく感じているのではないでしょうか。だから、匂いにはもともと雰囲気という意味も含まれていたということです。
佐藤
心の変化で出す匂いも変わってくるということでしたが、それはどういう仕組みからでしょう?
東原
いろいろな仕組みがあるのですが、結構ホルモンが影響を与えます。自分の状況については、刻一刻と身体の中のホルモン系が動いているわけです。そのホルモンが、匂いを感じて脳に伝わるルートのどこかに影響を与え、感じ方を変えているのではないか。いい例が、空腹時にはどんな食べ物の匂いもいい匂いと感じるけれども、満腹になるともういいやとなる。つまり、食べると血糖が上がりインスリンなどのホルモンが出て、それが匂いの経路に影響を与え、あまり快く感じなかったりします。そういった体の変化、いわゆる脳内と血中のホルモンの変化が匂いに対する感じ方を変えています。

匂いと記憶

黒川
匂いを嗅いで、「これはお母さんの味だな」となるのはわかるのですが、例えば写真を見て、その場面の匂いを思い出すこともあるのでしょうか?
東原
匂いは必ず情景や場面とリンクして記憶されています。例えば、東日本大震災では津波で一帯が全部破壊され、ものすごい異臭というか、ヘドロだけでなく石油の匂いも含め、いろいろな匂いが混ざった普通にはないような匂いが充満していました。津波を経験した人には、その匂いと情景が記憶に残っていて、写真を見ると当時の匂いのイメージを浮かべるといわれています。匂うのではないのですが、匂いのイメージがあるわけです。
五感はクロスしていて、お互いに影響し合い、あるいは相互作用し、記憶に結びつきリンクしています。いま五感それぞれに研究が進んでいるのですが、これから10年、20年先、皆さんが研究者になったときには、1つ1つの感覚モダリティー(sensory modality)が相互作用して私たちがどう感じているか、感覚の相互作用がテーマになると思います。

*感覚モダリティー:感覚様相のこと。一般的に五感といわれる、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、皮膚感覚(触覚、痛覚、温覚、冷覚)に加え、運動感覚、平衡感覚、内部感覚がある。また、感覚受容器を特定できない感覚を「第六感」と呼ぶことがある。幻覚も感覚モダリティーの種類により、幻視、幻聴、幻臭、体幻感覚などに分類される。睡眠中にみる夢にも、その人が日常よく使用する感覚モダリティーが現れやすい。(出典:imidas/集英社)

ソムリエの鼻

佐藤
ソムリエの方は鼻がいいのでしょうか?
東原
それもいい質問ですが、特別に鼻がいいわけではなく、皆さんと同じです。
佐藤
では、訓練ですか?
東原
そう、訓練で匂いを覚える。覚え方は人それぞれで、ベリーの匂いを丸い形で覚えている人もいれば、ぶどう畑といった情景で覚えている人もいます。あるいは言葉で覚えているとか、化学物質の構造が浮かぶなど、何らかの形でワインから感じる匂いを覚えているのです。
あとは、自分が経験した、例えば1980年にこのワイナリーでつくられたワインは、こういう匂いが混ざっているという形で記憶していて、次に同じものを嗅いだとき、「あ、これだ」と結びつける。そうやって匂いを記憶する能力を持っている人がいいソムリエで、必ずしも鼻がいいわけではありません。
そして、いったん覚えると、その匂いを見つけることができます。例えば、アカシアの花の香りって、皆さん、わからないですよね。その匂いを知らないと、ここからその匂いが出てきても気づきません。でも、アカシアの香りが記憶にあると、ぱっと気づく。10月ごろに咲くキンモクセイの香りも、知っているからキンモクセイだとわかるけれども、知らない人は気づかない。何か匂いがするけれども、よくわからなくて通り過ぎてしまいます。知っているか知らないかで、その匂いを頭で抽出できるかどうかが変わってきます。ソムリエがいろいろな匂いを感じるのは覚えているからです。

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