中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

再生医療をリードする4人の先生方とディスカッション

ディスカッション

やりたいことや、夢をどう見つけたか

大和
会場のみなさんから質問があったらお受けしたいと思います。先生方の間でも何か質問がありましたら・・・・・・。
仲野
みんなえらいなと思って聞いてましたけど、大和先生はどんな夢をお持ちだったんですか?
大和
大和
田畑先生みたいにこういうふうになりたいというのが先にあったわけではありませんね。東京大学というのは入学のとき理科I類、II類、III類と分かれていて、III類は医学部でII類は農学部とか薬学部なんですけど、理科I類はそれ以外の全部なんですね。工学部に行ってもいいし理学部に行ってもいいし、2年のときに選ぶことになっていて、僕の場合は物理も化学も数学も生物も全部やる基礎科学科というところに進学したんですが、結局、4年生の卒業研究が始まるまで、何を専門にするか決められなかったというか、決めてなかったんです。特に何がしたかったというわけではなく、先ほど言ったように同級生がコラーゲンの研究室に行くと言ったから一緒に行っただけなんですね。大学院に行くとき変えてもよかったんですけど、そこの教授がおもしろい人だったのでずるずるいて、そのあとに日大の薬学部に就職するんですけども、3年ほどそこにいて、たまたまポストが空いていたのが今の大学で、その研究というのが再生医療だったので再生医療をやっているという、まったく主体的ではないのです。
高橋
高橋
やりたいことって、なかなか見つけ出せないものなんですよ。私の場合も、医学部を選んだのは親が行けと言ったからだし、35歳まで何をしたいか分からなかったです。若いときって、どれを選んだらいいかものすごく迷うんですよね。だけど30ぐらいになると次第に何を選んでも一緒だっていうのが分かってきて、もう迷わなくなる。大和先生のように、たまたま行ったところであったとしても、それでいいのではないかと思います。先ほど人生に無駄なものはないと言いましたが、どこにいてもいろんなことがすべて生きてくるし、生かせるものです。
仲野
一つええこといいます。この前、『三つ星レストランの作り方』(小学館)という本を読みました。大阪で有名な「hajime」というレストランのシェフ、米田肇さんの物語です。米田さんは枚方出身で、小さいころからシェフになりたかった。35歳になったら世界一のレストランをつくると決めて、ホントに35でレストランつくって、1年半で「ミシュラン」の三つ星を獲得するんです。世の中にはそういう人もいます。田畑さんも同じです。しかし、実際にはそんな人はほとんどいない。だから田畑さんみたいな人の話を信用すると失敗します(笑)。
ここからがええとこ。その本に、僕らが学生のとき阪大の学長だった山村雄一先生の言葉が出てくるんです。米田さんは小さいころからシェフになりたいと思ったがお父さんは反対で、近大の理工学部を出て電子関係の会社に勤めていた。でもやっぱりシェフになりたいと会社を辞めるときに、お父さんが米田さんに贈った言葉というのが山村先生の言葉で、「夢みて行い、考えて祈る」。多くの人は、夢みて考えるんですよ。夢みて考えたら、考えすぎてだいたいあかんのよね。いらんことばっかり考えますよ。あれは違うんじゃないか、これはあかんのちゃうかって、そして夢というのはおそらくなくなっていきますわ。そうではなく、まず夢みて行う。そしてやっぱり運命というのがあるので、考えて、最後は祈る。天命を待つしかない。夢みて行い、それから考える、この順番が大事かなという気がします。
田畑
先ほどの話で最初から目標を持って突き進んできたように思われるかもしれませんが、実際には人一倍悩むタイプだと思います。きょうでも、きのうでも、ホントに人生これでよかったのかといまだに思い悩んでいます。でも、いくら悩んで人にいろいろ聞いても、結局は自分で判断しないとだめなんです。そのときに一番強く思っていること、こうなりたいという方向に行くしかないんですね。だから僕は、悩みに悩んでも一度決めたらもう絶対に戻らないと、決めています。
なので人一倍悩んでいますが、いろいろと相談できる相手に恵まれているので救われています。人脈が大切と言いましたが、仕事で引っ張っていってもらうだけではなくて、いろんなことを聞ける、悩みも聞いてもらえるという関係でもあるんですよ。
仲野
僕のところにもよう大学生とか大学院生が来て、「先生、悩んでます」とか言ってきますが、悩むというのは、できる可能性がたくさんあるから悩むのであって、もう僕ぐらいの年になってくると悩むことは何もない。悩むというのは頭がまだまだ若いということですね(笑)。
高橋
会場に女性が多いので1つだけ。私の場合、35まで何したらいいか分からないまま来たけれども、1つだけ思っていたのは、仕事は辞めないということですね。子どもを育てながら研究していて一番辛いのは、体がシンドイんじゃなくて、仕事が中途半端でも中断しなければならないときです。それで辛い思いをしたけれど、いくら辛くても仕事は辞めないと続けていたら何とかなるということです。
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