公益財団法人テルモ生命科学振興財団

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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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中高校生が第一線の研究者を訪問
「これから研究の話をしよう」

第14回
キリンの首がよく動くのはなぜ?
生き物の身体の形と機能に潜む“意味”を探究

第1章 講義

1 形態学・解剖学とは

1-1 生命科学って何?
郡司
私の研究のフィールドは、主に動物園と博物館です。例えば、動物園で飼育されている動物がどのように動き、どのようにご飯を食べているのかといった行動についての研究、そして博物館の骨格標本や亡くなった動物の遺体の解剖から、動物の骨や筋肉、血管がどんな構造をしているのかを研究しています。私はいま生命科学部生命科学科に所属しています。生命科学は英語でライフサイエンス。生き物の生命を研究対象とした学問全般のことで、いろいろな生物を対象として「生命現象とは何か」を研究します。そして、地球という限られた資源しか存在しない環境の中で私たちはどのように生きていけばいいのか、どう生きていけばこの地球環境をよりよい状態に維持できるのか。この2つが研究の中心にあると考えています。
生命科学の分野は幅広く、例えば個体レベル、私たちでいえば1人、1個体がどのように動くのかを研究している人もいれば、心臓や脳など組織レベルの働きを調べている研究者もいます。さらに、よりミクロな視点で、心臓や脳などの細胞レベルの研究、DNAやタンパク質といった分子レベルの研究を行っている方もいます。
逆に、個体レベルよりももう少し大きな視点、10個体とか20個体といった集団レベルの研究もあります。例えば、生き物の群れがどう生きているのか、複数種の生き物がどう関わり合っているのかという集団単位の研究です。このように、ライフサイエンスという分野には、大きな視点から小さな視点まで、いろいろな切り口で物事を見ている研究者がいます。ちなみに、私の主な研究範囲は個体~組織レベルぐらいです。
●高校の「生物」とは少し違う生命科学
郡司
大学の生命科学は、高校の生物とは少し違う側面があります。それが、化学や物理、数学などさまざまな知識を組み合わせて学んでいく点です。
例えば、集団レベルの話。東京のスズメの数は減っているのか、増えているのか。それはどうしてなのか考えるには、生物学の知識だけでなく、統計学といった数学に近い知識も必要になります。細胞レベルの話であれば、神経細胞が情報を伝えるとき神経の中で何が起きているのか? 化学反応が起きているので、化学の知識も必要になってくるわけです。 このように大学の生命科学では、いろいろな科目の知識を合わせて取り組んでいくことになります。
1-2 生き物はどうしてこんな形をしてる?
郡司
ここからは私の研究分野について説明します。私の専門は機能形態学で、生き物の身体の形にはどのような意味があるのかを考える学問です。現在、地球上にはゾウのように非常に大きな生き物から、微生物のようなものすごく小さなものまで多種多様な生き物が存在しています。それらの生き物は身体の構造が少しずつ違い、多様性を示しています。
では、それぞれに違う動物の身体の形には、どんなメリットがあるのか? 例えば、ヒトとチンパンジーはDNAの特徴でいえば非常によく似ているのですが、実際、身体の構造や行動はどこが似ていて、どこが違うのか。また、似ているところと違うところが存在するのはなぜか。進化の過程でそれぞれの動物はどのようなプロセスを経て、身体の形や構造を変えてきたのか……。ざっくり言うと、生き物の身体に備わっている機能、役割について解明しようと思い、研究を進めています。
●ヒトの身体の特徴を「手」と「足」から考える
郡司
解剖学について少し説明しましょう。私たち人間の身体は、あらゆる生き物の中で一番よくわかっています。どのような特徴があり、何の役に立っているのかという例で話したいと思います。
まず、私たちの身体の特徴ですが、脳が大きいとか二足歩行するなどいろいろあるのですが、その中でも大きな特徴として挙げられるのが、この手です。
私たちの手は、親指と他の4本の指の曲がる向きが違う。これを母指対向性と呼び、親指と他の指の腹同士をくっつけることができます。こうした構造は、哺乳類では、一部のサルなどのわずかな種だけが獲得した構造で、イヌやネコ、ウシ、ブタは指の腹同士をくっつけることができません。
指を向き合わすことができるので、小さな物をつまんだり、指先でボールのような丸いものを回すなど、非常に器用な動きができるようになりました。例えば、私たちは親指を向き合わせてコップをクルクル回すことができますが、イヌやネコのように同じ方向にしか指が曲がらない手は、手の平をグニグニと動かすことしかできないので、物をつかんだり、操作することがとても苦手です。
郡司
母指対向性と呼ばれる器用な手は、なぜ進化してきたのか。こういった特徴の手を持つ生き物は樹上生活者といい、主に木の上で暮らしている動物が多い。手で細い枝をつかんで動き回るサルの仲間をはじめとする樹上生活動物にとって、親指だけ違う方向に曲がる手は、とても有利な構造として進化してきたのだろうと考えられています。
では、足はどうか。私たちの足の指は、親指と他の4本の指の曲がる向きがまったく同じです。つまり、私たちの足の指には母指対向性がない。足の指で何か物をつかもうとしてもうまくいかないのは、指の腹を同士をくっつけられないという身体の構造に秘密があるわけです。
ただ、オランウータンやチンパンジーなど多くのサルの仲間は後ろ足の親指も少し違う向きに曲がっていて、まるで手のような母指対向性が観察できます。実はサルの仲間、つまり樹上生活動物には足にも母指対向性があり、足でも小さな枝をぎゅっとつかみ木の上を移動していたといわれています。人間の仲間は、樹上生活をやめ、地上で生きる方向に進化していく過程で足により安定感が出るような構造に進化し、足の母指対向性が失われていったことがわかっています。
●重力にあらがう「靭帯」という組織
郡司
キリンの首は長さ約2m、重さは100kgぐらいあります。では、どのように首を支えているのか? 実は非常によくできた仕組みが存在していて、解剖するとそれがよくわかります。
写真はキリンのうなじ部分の組織ですが、多くの哺乳類は首の後ろ側に大きな靭帯(じんたい)が存在しています。靭帯は引っ張ると縮みたがるゴムのような特徴をもった生体組織。エネルギーを使いATPを消費して縮む力を発揮する筋肉と違い、靭帯はエネルギーを使わず、伸ばされたら縮もうとする力を発揮する、とてもコスパのよい組織です。
四足動物の仲間、特にキリンやウマなど陸上で生活する動物の首や頭には、地面方向に引っ張り下げる力(重力)が常にかかっていますが、その身体は重力にあらがうような構造が生まれもって存在するよう進化してきました。その1つが、うなじの部分にある立派な靭帯です。首の靭帯は常に引き伸ばされていて、縮む力が発揮されるような構造になっています。首を下方向に引っ張る力と靭帯が縮む力が釣り合い、筋肉をほとんど使わず首を楽に支えていることがわかっています。
※ATP(adenosine triphosphate):アデノシン三リン酸。細胞の増殖、筋肉の収縮などエネルギーを供給するために生物が使用する化合物。
郡司
生存時と死亡時のキリンの姿勢を見比べてください。亡くなって横倒しになると重力は左右方向にかかるので、釣り合いが崩れ、首が背中側に反り上がってしまいます。この姿勢の違いを見ても、生きているときは重力と常にうまく付き合っていく仕組みが身体の中に存在することがわかりますね。
いま生きている動物だけでなく、絶滅した化石種も同様の構造を持っていたといわれています。首が反り上がった恐竜の化石は非常によく見つかりますが、なぜこのようになるのか。先ほどのキリンと同じで、絶滅した恐竜の仲間も首の部分に発達した靭帯を持っていて、亡くなって横倒しになると、その靭帯の力によって首が反り上がってしまうのだと考えられています。
●ヒトの重い頭を支えるのは「骨」
郡司
では、ヒトではどうでしょう。うなじの靭帯は私たちの首にも存在しますが、とてもきゃしゃで、あまり役に立っていません。私たちの身体は二足歩行、起立姿勢で生きていくことに特化しており、大きな頭を骨という硬い物質で真下から支えることで、筋肉の力をあまり使わなくても首や頭を支えられるようになっています。
多くの四足動物は、骨が斜め方向に伸びていて、重い頭を骨で支えることができないので、筋肉や靭帯の力をうまく使って支える構造に進化してきました。
このようにいろいろな動物の身体の構造を調べて比較する と、それぞれの生き物の身体がどんな働きを持ち、どういう生活に適しているのか理解できるようになります。
1-3 研究の風景
郡司
身体の構造を調べるために必要なのが解剖です。解剖と聞くと、「残酷だな」「かわいそう」と思うかもしれませんが、解剖はとても大事。例えば病気になって注射を打たなければならないとき、血管がどこにあるかなど身体の構造がわかっていないと、治療もできないからです。
私が解剖している動物は解剖のために殺したものではなく、病気や寿命、事故など、研究とはまったく関係のないところで亡くなり、献体していただいた遺体です。私は、亡くなった動物のためにできることは、その遺体から1つでも多くのことを学び取る以外にないと思っています。
●解剖~骨格標本の観察
郡司
動物園でキリンが亡くなると、連絡をいただき、お付き合いのある搬送業者さんに遺体を運んでもらいます。解剖しているのはキリンだけでなく、ゾウやネズミなどの哺乳類や鳥類の仲間であれば、結構いろいろな種類を解剖してきました。キリンの解剖の手順は次のようになります。
①献体された遺体を搬送。
②解剖作業場に下ろし、皮膚を剥がす。
③皮膚を剥いだ後、筋肉や血管がどういう構造をしているのか、私たちヒトとキリンやウシ、シカの仲間とでは首の筋肉の構造がどう違うのかを調べる。
④キリンの後ろ脚は高さ約2mあるので、クレーンでつるして筋肉を動かし、その働きと構造を調べる。
⑤解剖後、骨格標本を作成。
骨格標本は、基本的にはお湯でぐつぐつと煮込んで作ります。写真⑤は私がかつて所属していた国立科学博物館の解剖室で、左側にある銀色の機械が骨格標本を作る晒骨機(せいこつき)。この中に解剖後の骨を入れ、70℃ぐらいのお湯で3週間ぐつぐつ煮込むと、骨の中に含まれていた脂や血液、筋肉が溶けてなくなります。最終的に取り出し、水洗いして乾燥させると、皆さんが見たことのある骨格標本になります。
⑦骨格標本で骨の形を観察。
  • ①動物園から遺体を搬送

  • ②解剖作業場に横たわるキリゴロウ

  • ③皮膚を剥ぎ、筋肉や血管の構造を調べる

  • ④クレーンでつるした後ろ脚(後肢)

  • ⑤地下解剖室にある晒骨機

  • ⑥出来上がった骨格標本

  • ⑦骨格標本を観察

●解剖を支える日本ならではのシステム
郡司
私が解剖学に出合ったのは大学1年の秋です。解剖学が専門の遠藤秀紀先生に出会い、「キリンの研究がしたい」と相談したら、「解剖だったら、できるんじゃない」と言っていただき、その年の12月に初めてキリンの解剖現場に立ち会いました。それから、もうかれこれ13年になりますが、これまでに38頭のキリンを解剖しました。
これほどキリンを解剖する機会に恵まれた理由の1つに、動物園の数が非常に多いことがあります。日本は、国土面積あたりの動物園・水族館の施設数が世界1位です。
動物園・水族館で動物が亡くなると、まずそこの獣医さんが解剖し死因を調べます。死因解剖が終わった後、遺体を近隣の博物館や大学に献体という形で譲渡し、研究・展示活動に利用するという仕組みが出来上がっています。世界的に見ても、こうした活動が日常的に行われている国はどんどん少なくなっていて、いろいろな動物を解剖する機会が多いのは日本ならではの特徴です。

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